8月7日から9日まで長崎で開催された「原水禁長崎平和大会」に参加してきました。私は初めての参加でしたが、市議ということから12人のメンバーの団長という立場でした。
長崎は連日35度前後の猛暑日でした。おまけに福岡空港から長崎までの高速バスは2時間半も到着が遅れたため、帰りは飛行機に乗り遅れるといけないため、JR自由席に換えました。自由席は30分前から並びようやくすわれましたが、デッキや通路にたったままの方もたくさんいらっしゃいました。
1日目は全大会、2日目は午前は分科会、午後は被爆遺構めぐりのフィールドワーク、3日目は語り部の方からお話を聞き、平和行進に参加し、原爆資料館を見学するという、結構ハードな、しかし、実に充実したスケジュールでした。
3日間を通し、「現地へ行き、その時代のその地の人の思いを致す」ことの大切さを痛感しました。長崎では、街中が原爆の犠牲者を悼み、その歴史を風化させないためにいたるところで様々な催し物が行われていました。
参加してみて、唯一の被爆国である日本としては核廃絶の先頭に立ち、世界にそのメッセージを発信し続けるべきであるとの思いを強くしました。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワから離れた地にいると、つい意識が薄れがちになります。負の遺産に向かい合い、これからなすべきことを忘れないためにも、現地へ足を運ぶ重要性を痛感しました。詳しいリポートは落ち着いてからしたいと思います。
長崎は連日35度前後の猛暑日でした。おまけに福岡空港から長崎までの高速バスは2時間半も到着が遅れたため、帰りは飛行機に乗り遅れるといけないため、JR自由席に換えました。自由席は30分前から並びようやくすわれましたが、デッキや通路にたったままの方もたくさんいらっしゃいました。
1日目は全大会、2日目は午前は分科会、午後は被爆遺構めぐりのフィールドワーク、3日目は語り部の方からお話を聞き、平和行進に参加し、原爆資料館を見学するという、結構ハードな、しかし、実に充実したスケジュールでした。
3日間を通し、「現地へ行き、その時代のその地の人の思いを致す」ことの大切さを痛感しました。長崎では、街中が原爆の犠牲者を悼み、その歴史を風化させないためにいたるところで様々な催し物が行われていました。
参加してみて、唯一の被爆国である日本としては核廃絶の先頭に立ち、世界にそのメッセージを発信し続けるべきであるとの思いを強くしました。
ヒロシマ、ナガサキ、オキナワから離れた地にいると、つい意識が薄れがちになります。負の遺産に向かい合い、これからなすべきことを忘れないためにも、現地へ足を運ぶ重要性を痛感しました。詳しいリポートは落ち着いてからしたいと思います。