報道でご存知かと思いますが、8月以来、市内で教員による逮捕に至る不祥事が連続して起こりました。子どもを指導する立場の者が決して犯してはならない行為であり、教育に対する信頼を著しく損なったその責任は厳しく問われなければなりません。かつて教員であり、今も学校現場とかかわり続けている私にとっては、大きな衝撃を受けると同時に、このような事態を二度と起こさないような根本的な解決策を是非とも真剣に追求しなければならないと痛感しています。9月24日、会派として、浅香教育長にこれらの事件を受け、対策についての申し入れを行いました。
教員の不祥事の少し前に市職員の不祥事も連続しました。これは決して偶然ではなく、共通する背景があるのではないかと考えます。
以下、申し入れの文書を転載します。
2010.9.24
金沢市教育委員会
教育長 浅香久美子 様
金沢市議会会派社民
団長 平田 誠一
連続した教職員の不祥事への対策に関する申し入れ
この夏以来、金沢市立小学校に勤務する教職員が、教育並びに教職員の信頼を失墜させる不祥事によって、連続して逮捕されるという事態に直面している。市民社会の基礎であり未来への希望であるべき教育に携わる者が、自身の職責と社会的な信用を貶める行為に走ったことは、極めて残念であり、酌量の余地はない。その責任が厳しく問われることは論を待たない。
しかしながら、同時に、こうした事態が連続したことをどう受けとめていくか、服務監督者である金沢市教育委員会は問われている。それと共に、市民の付託を得て教育条件整備に責務を負う私たち議会議員もまた、そのことが問われていると痛感している。
こうした事態を招く度に、厳正な処罰が求められ、厳しい行政処分と再発防止のための訓辞、指導が繰り返されてきた。しかし、こうした一方的な指導監督がどこまで有効であろうか、疑問を感じざるを得ない。
学校現場の教職員もこの度の事態を深刻に受けとめているはずである。私生活上とは言え、社会的規範から逸脱した行為がなぜ教職員から生じてしまうのか、問いかけているに違いない。その背景としての学校の置かれた状況、日々の教育活動、さらには生活をも含めた様々な思いが渦巻いている。皆、生身の人間である。
金沢市の教育がこの事態から立ち直って行くには、教育行政と現場教職員とが、胸襟を開いて対話することが極めて重要であると思う。綱紀の粛正を求めることは当然であるが、同時に、現場に降りて、現場の思いに傾聴することに是非とも努めて頂きたい。教育行政と学校現場教職員との信頼関係にもとづく共同作業が必要である。問題解決への新たな士気がそこから生まれるものと確信する。
以上、浅香教育長の見識ある対処に期待を込めて申し入れとする。
教員の不祥事の少し前に市職員の不祥事も連続しました。これは決して偶然ではなく、共通する背景があるのではないかと考えます。
以下、申し入れの文書を転載します。
2010.9.24
金沢市教育委員会
教育長 浅香久美子 様
金沢市議会会派社民
団長 平田 誠一
連続した教職員の不祥事への対策に関する申し入れ
この夏以来、金沢市立小学校に勤務する教職員が、教育並びに教職員の信頼を失墜させる不祥事によって、連続して逮捕されるという事態に直面している。市民社会の基礎であり未来への希望であるべき教育に携わる者が、自身の職責と社会的な信用を貶める行為に走ったことは、極めて残念であり、酌量の余地はない。その責任が厳しく問われることは論を待たない。
しかしながら、同時に、こうした事態が連続したことをどう受けとめていくか、服務監督者である金沢市教育委員会は問われている。それと共に、市民の付託を得て教育条件整備に責務を負う私たち議会議員もまた、そのことが問われていると痛感している。
こうした事態を招く度に、厳正な処罰が求められ、厳しい行政処分と再発防止のための訓辞、指導が繰り返されてきた。しかし、こうした一方的な指導監督がどこまで有効であろうか、疑問を感じざるを得ない。
学校現場の教職員もこの度の事態を深刻に受けとめているはずである。私生活上とは言え、社会的規範から逸脱した行為がなぜ教職員から生じてしまうのか、問いかけているに違いない。その背景としての学校の置かれた状況、日々の教育活動、さらには生活をも含めた様々な思いが渦巻いている。皆、生身の人間である。
金沢市の教育がこの事態から立ち直って行くには、教育行政と現場教職員とが、胸襟を開いて対話することが極めて重要であると思う。綱紀の粛正を求めることは当然であるが、同時に、現場に降りて、現場の思いに傾聴することに是非とも努めて頂きたい。教育行政と学校現場教職員との信頼関係にもとづく共同作業が必要である。問題解決への新たな士気がそこから生まれるものと確信する。
以上、浅香教育長の見識ある対処に期待を込めて申し入れとする。