9月18日(日)、大阪府泉南市で開催された「『地方自治と子ども施策』全国自治体シンポジウム2011」に参加して来ました。
標記のシンポジウムは、昨年白山市で開催されました。大変充実した会であったので、今年もぜひ参加しようと思いました。
泉南市は大阪府の南端、和歌山県境近くに位置する人口数万の小さな市です。子どもの権利条例策定予定ということで開催市となりました。
オープニングセレモニーとして、地元の小学校の演劇クラブ(4年生~6年生)による平和劇がありました。長崎源之助原作の「大もりいっちょう」
時代は大戦中。集団疎開した子どもたちは、食糧不足から日常的におなかをすかしている。絵の上手な子に頼んで食べたいごちそうの絵を描いてもらって、食べた気分味わおうとしている。ごちそうはいらないから「白いご飯の大盛りいっちょう」の絵を描いてほしいと頼む子がいじめられ、ひもじい思いから夜逃げ出し、足を踏み外し命を落としてしまうというストーリー。
戦争下では飢えに悩まされ、子どもが子どもらしく生きる権利を奪われていました。あの時代でなければ、絵ではなく実際にごちそうをおなかいっぱい食べられたであろうに。現代においても世界には紛争のため幼い命がいとも簡単に奪われています。
子どもたちの純朴で素直な演技が感動を呼んでいました。
あの戦争から66年たった今も、私たち日本人にとっては戦争体験が語り継がれ続けています。今年発災した東日本大震災は、戦後最大の出来事としてこれからも語り継がれていくことでしょう。
大江健三郎さんは、9月8日「講演会・さようなら原発」で次のように述べています。
「・・・私たちの国、私たち日本人は、しかし、憲法は変えなかった。戦争直後の1年半の間に決意したことは、守っている。それは、当時の日本の追い詰められた現実、被害体験と加害体験、辛かった事実、われわれを囲んでいた事実を覚えているからではないでしょうか。・・・」
あの大戦の被害体験、加害体験の苦しみから戦争放棄の憲法が生まれ、それを変えずにいます。今回の取り返しのつかない原発災害から、これからの日本社会のありかたを展望する道を探らなければならないのではないでしょうか。
「がんばろう日本」が偏狭なナショナリズムに利用されることの危険性を認識し、今こそ「変えよう日本」。
標記のシンポジウムは、昨年白山市で開催されました。大変充実した会であったので、今年もぜひ参加しようと思いました。
泉南市は大阪府の南端、和歌山県境近くに位置する人口数万の小さな市です。子どもの権利条例策定予定ということで開催市となりました。
オープニングセレモニーとして、地元の小学校の演劇クラブ(4年生~6年生)による平和劇がありました。長崎源之助原作の「大もりいっちょう」
時代は大戦中。集団疎開した子どもたちは、食糧不足から日常的におなかをすかしている。絵の上手な子に頼んで食べたいごちそうの絵を描いてもらって、食べた気分味わおうとしている。ごちそうはいらないから「白いご飯の大盛りいっちょう」の絵を描いてほしいと頼む子がいじめられ、ひもじい思いから夜逃げ出し、足を踏み外し命を落としてしまうというストーリー。
戦争下では飢えに悩まされ、子どもが子どもらしく生きる権利を奪われていました。あの時代でなければ、絵ではなく実際にごちそうをおなかいっぱい食べられたであろうに。現代においても世界には紛争のため幼い命がいとも簡単に奪われています。
子どもたちの純朴で素直な演技が感動を呼んでいました。
あの戦争から66年たった今も、私たち日本人にとっては戦争体験が語り継がれ続けています。今年発災した東日本大震災は、戦後最大の出来事としてこれからも語り継がれていくことでしょう。
大江健三郎さんは、9月8日「講演会・さようなら原発」で次のように述べています。
「・・・私たちの国、私たち日本人は、しかし、憲法は変えなかった。戦争直後の1年半の間に決意したことは、守っている。それは、当時の日本の追い詰められた現実、被害体験と加害体験、辛かった事実、われわれを囲んでいた事実を覚えているからではないでしょうか。・・・」
あの大戦の被害体験、加害体験の苦しみから戦争放棄の憲法が生まれ、それを変えずにいます。今回の取り返しのつかない原発災害から、これからの日本社会のありかたを展望する道を探らなければならないのではないでしょうか。
「がんばろう日本」が偏狭なナショナリズムに利用されることの危険性を認識し、今こそ「変えよう日本」。