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南海トラフ 揺らぐ80%:防災の専門家らが「低い確率では予算が取れない」などと反発

2022-10-18 11:39:02 | 安倍、菅、岸田の関連記事



<南海トラフ 揺らぐ80%②>
前回までのあらすじ 毎年、莫大ばくだいな防災対策予算が充てられる南海トラフ地震。政府は30年以内に「70〜80%」の確率で地震が発生するとしているが、その確率の信ぴょう性に疑問を持った私は、確率算出の根拠となっている江戸時代の港役人「久保野家」に伝わる古文書を調査し始めた。

◆「予は大発見した様な思い」
 久保野家に伝わる古文書が、南海トラフ地震の確率計算の根拠とされるきっかけは、旧東京帝大の今村明恒教授が高知を訪ねた際、当主の久保野繁馬が古文書の記録を紹介したことだった。
 1930年、地元紙の土陽新聞にはその時のことが繁馬の言葉でつづられている。「先般今村博士が来町し、地震の記録を示したのに、(地形研究の役に立つと)喜ばれました」。今村は関東大震災(23年)の発生を事前に警告したことで、大変に有名な存在だった。

久保野家は長宗我部氏の家臣として、文禄・慶長の役(1592〜98年)にも従軍し、1653年に土佐藩から室津港を管理する「湊番」に任命されてからは、明治まで9代の当主が担った。代々、港に関する記録を残しているが、古文書にはいくつかの年代で水深の記録があり、今村はこれを閲覧した。
 出張から戻った今村は地震学会誌に「予は貴重な史料に接し、恰も大発見をなした様な思いをなした」と論文を発表する。内容は地震でどれだけ海底が隆起したかを示す記録を見つけたとの報告だけだった。
◆「低い確率では予算が取れない」
だが、その報告は50年後、島崎邦彦東大名誉教授(76)らの論文に引用され「時間予測モデル」として知られる理論の根拠となった。
 モデルは地震の規模と次の地震までの年数に関係があるという「仮説」だ。地震が大きければ海底が大きく隆起し、次まで時間がかかる。逆に規模が小さければ隆起量も小さく、次は早く来る。実際に室津港で起きた地震と、隆起の記録の関係は、モデルの仮説にぴったり合った。
 最終的にこのモデルを80%予想に利用したのは、地震調査研究推進本部だ。前回の南海地震(1946年)は比較的規模が小さかったため、モデル通りなら次の地震は早く来る。だから高い確率が出る。
 委員会での検討時、地震学者らはデータの信ぴょう性への疑問からモデル採用に反対したが、防災の専門家らが「低い確率では予算が取れない」などと反発し、採用が決まった。

◆おおざっぱな記録が防災対策の基盤に
コロナ禍もあって、私が高知へ飛んだのは、久保野さんに電話をした2年半後の今年の4月だった。その間に、古文書は高知城歴史博物館に寄贈されていた。学芸員の協力で解読すると、今村論文の原典は27年に繁馬がまとめた「室戸港沿革史」だと推定できた。
 論文と同様、沿革史にも詳しい水深の測量日時や測量地点、大潮、小潮の差の影響などの記録はなかった。私は「やはりそうか」と納得した。港の管理者が必要なのは船の出入りに関わる「おおざっぱな」水深の記録だからだ。そんなデータの不確かさも考慮せず、国の防災対策の基盤となる予測計算に使うことが誤りだ。
 高知から戻った私は、古文書を記録した写真を眺めていると、毎年、港で工事がされた記録を見つけた。この発見が、80%予測が完全に崩壊していることを確信させる事実になるとは、まだ気付かなかった。(小沢慧一)
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