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第37代養成所優勝者は定松勇樹 → ボートレース第125期生の修了式が9/20に行われた

2019-09-22 00:51:29 | 競艇


 ボートレース第125期生の修了式が20日、福岡県柳川市大和町のボートレーサー養成所で行われた。修了記念競走は定松勇樹(18=佐賀)がイン逃げで制し、第37代養成所チャンプとなった。18年8月1日に父・寿行さん(享年57)が、がんで死去。ボート好きだった天国の父に最高の恩返しを果たし、佐賀支部で7人目の頂点に立った。男子22人、女子6人の合計28人の訓練生は11月から全国で初出走を迎える。
 定松はコンマ05の全速Sを決めて難なくイン先マイ独走。ただ、3周1Mで不意にキャビって、見守る同期がざわつくおまけが付いた。ピットに戻ると、緊張で乾いたままの白い歯を見せつつ、苦笑いで喜んだ。

 「うれしいです。でも最後まで気を抜けないレースでした。周回ごとにターンを漏らしたし、必死でした。まだまだ技量不足です」。

 謙虚な18歳は、リーグ全7戦のうち6優出5優勝。勝率7・81、2連対率66・67と、いずれもトップでチャンプ決定戦1枠に陣取り、佐賀支部では124期の覇者・末永和也に続く“がばい”連覇を達成した。

 父・寿行さんに連れられて福岡ボートを観戦し中学1年時に選手になると決めた。4度目の受検で養成所に合格。誰よりも父は一人息子の入所を喜んでくれた。尊敬する人物は父。「何事にも真剣でオンとオフがしっかりしている」ところが憧れだった。応援してくれていた父は2018年8月1日に膵(すい)がんで死去。「合格してから体調がだんだん悪くなっていって…。だから、僕は要領が悪いんですけど何とか頑張ろうと思った」。天国から見守る父に感謝と最高の結果をもたらした。

 憧れの選手はSG常連の峰竜太。福岡市在住だが、あえて佐賀支部生としてB1斡旋特例で11月2日のからつでデビューする。「握って回るレースが武器なので、峰さんのような豪快なターンができる選手になりたい。でも、まずはお母さんの手料理が食べたい」。ひと休みした後、秋から新チャンプ定松の勝負は本格化する。

 ◆定松 勇樹(さだまつ・ゆうき)2001年(平13)5月2日生まれ、福岡市出身の18歳。小、中学で水泳と野球、高校ではバドミントンに打ち込む。好きな言葉は「なんくるないさー」で、負けず嫌いな心配性。1メートル66、50キロ。血液型A。





 原田父子はオール2連対達成となった。原田富士男(50=福岡)の次男・原田雄次(21)が養成所チャンプ決定戦5枠で登場。父と、長男で兄の原田才一郎が見守る中、5コースからコンマ01の快Sを踏み込んで1M外マイし2着でゴールした。父・富士男は「僕が(本栖養成所卒業競走)2着で兄は(122期で)優勝、弟は3着かなと思ったが準優勝。うちはオール2連対ですね」と笑った。原田雄は「父に勝って、兄にまずは追い付きます」と意気込んでいた。




琉球育ちのボート界最小兵選手が誕生する。身長1メートル40の冨名腰(ふなこし)桃奈(沖縄=19)が、オール女子戦3Rで5コースからコンマ17のSを決めての5着で全行程を終えた。「無事故を達成できたし、涙がこみ上げてきました。小さくて豪快な走りはできないかもしれないけど、握るレースで“沖縄旋風”を巻き起こしたい」。公式には1メートル39・4センチだが「朝の計測では1メートル40ある。1メートル40で推します」。福岡支部生として、背伸びはせず、11月22日からのからつでデビューする。

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