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桂由美さんが2024年4月26日に亡くなりました。94歳

2024-05-01 03:12:09 | その他
桂由美さん死去 94歳 日本のブライダルファッションの先駆け 2024年4月30日 19時26分

日本のブライダルファッションの先駆けで、世界的に知られたデザイナーの桂由美さんが今月26日に亡くなりました。94歳でした。

桂由美さんは東京生まれで、大学卒業後にフランスに留学し、デザインや縫製の技術を学びました。

公式ホームページによりますと、1965年に東京 赤坂に日本で初めてのブライダル専門店をオープンし日本初のブライダルショーも開催しました。

当時は、一般的ではなかったウエディングドレスを浸透させ、女性のシルエットを美しく引き出すドレスで日本の結婚式のスタイルにも強い影響を与えてきました。

また、1980年代からはニューヨークやパリなど世界の30以上の都市でショーを開いて活動の場を広げ、日本を代表するファッションデザイナーとしての地位を築きました。

1993年には当時のローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世が復活祭のミサで着ていた祭服をデザインしたことでも知られています。

桂さんは、3月に東京で最新作およそ70点を発表するファッションショーを開催するなど精力的に活動していましたが、今月26日に94歳で亡くなりました。

假屋崎省吾さん「アイデアが枯渇せずあふれて出てくる天才」
亡くなった桂由美さんと親交があった華道家の假屋崎省吾さんは「桂先生とは30年弱、ご一緒させてもらっている美の開拓者としての同志でした。桂先生は、アイデアが枯渇せずあふれて出てくる天才で、思いついたら人をどんどん巻き込んでいく行動力もあって実業家としても大きな才能を持っていたと思います。桂先生から刺激を受けてきたので、本当にショックです。いないと思うと涙が出て心にぽっかり穴が空いたような気持ちです。なにしろ仕事仕事という方だったので、少しゆっくり休んでくださいと声をかけたいです」と話していました。

キャシー中島さん「デザインに絶対に妥協しない」
桂由美さんと家族ぐるみで親交があった、キルト作家でタレントのキャシー中島さんは「桂先生のドレスは体型に関係なく美しいラインを出してくれるすばらしいもので、私の結婚式のドレスだけでなくことし2月には結婚45周年のドレスも作ってもらいました。その際、デザインに絶対に妥協しない姿を見てウエディングの仕事をまだまだ続けると確信していましたし、すごく元気だったので、さびしいです。たくさんの愛情をいただき感謝しかありません」と悼んでいました。

また、キャシー中島さんの夫で俳優の勝野洋さんは「先生のドレスを着ると妻は一段と美しく見えました。パワフルでチャーミングな方でした」と振り返っていました。

桂さんデザインのドレスメーカー「大切な存在」
桂由美さんが亡くなったことについて、桂さんがデザインしたドレスをつくっている福井県若狭町では、関係者から悼む声があがっています。

若狭町には、桂さんがデザインしたドレスをつくる国内で唯一のメーカーの工場や、ドレスを展示する施設があり、桂さんは去年7月にも工場を訪れていたということです。

このドレスメーカーによりますと、30日は、東京で新作のデザインをチェックしてもらう予定があったというです。

ドレスメーカーの中村みゆきシニアマネージャーは、「突然の知らせに驚いています。なくてはならない大切な存在でした。桂先生の嫌いだった悲しむということはせずに、これからも多くの人に憧れを持ってもらうようなドレスをつくっていこうと思います」と話していました。

共立女子大 堀学長コメント「謹んで哀悼の意」
桂由美さんの母校、共立女子大学の堀啓二学長は「客員教授を務め、『桂由美給付奨学金』を通して本学の教育活動を支えていただきました。ご生前に賜りました本学への多大なご貢献に深く感謝いたしますとともに、謹んで哀悼の意を表し、安らかな眠りにつかれますよう心からお祈り申し上げます」とコメントしています。

約60年 第一線で活躍
桂由美さんは、およそ60年にわたり、ブライダルファッション界の第一線で活躍しました。

事務所によりますと、東京で生まれた桂さんは大学卒業後にフランス・パリに留学したあと母親が経営する洋裁学校の教師を務めるかたわら、およそ20か国を訪問し、海外のブライダルの現状を視察しました。

日本人女性に似合うウエディングドレスを作りたいとの思いで、1965年には、日本では和装での結婚式が主流だった時代に東京 赤坂に日本で初めての西洋風のブライダル専門店をオープンさせました。

同じ年には日本で初めてのブライダルショーも開き、1968年にはブライダルの専門書を刊行、当時の日本人になじみのなかった「ブライダル」ということばを広く浸透させました。

その後、世界にも活動の幅を広げ、特に1981年にアメリカ・ニューヨークでのブライダルショーで発表した「ユミライン」と呼ばれる、着物の「お引きずり」からヒントを得て誕生した長いすそのドレスは、アメリカで評判となり、日本でも大ヒットしました。

その一方で、日本人の和装離れを心配した桂さんは着付け時間の短縮となるツーピース式の着物を開発したり、「打掛」(うちかけ)を大幅に軽量化したりするなど新たなスタイルを提案して和装の改革にも力を入れました。

2010年には全米ブライダルコンサルタント協会から、世界で4人のみに与えられた称号の「名誉協会員」をアジア人として初めて受賞したほか、2019年には文化活動で優れた功績のあった人に贈られる「文化庁長官表彰」を受賞しました。

2022年4月には、自身のブランドのウエディングドレスを長年製造している縫製工場がある福井県若狭町に、桂さんがデザインしたドレスを展示するミュージアムがオープンし、桂さんは「結婚への憧れを持ってもらえるような場所になってほしいです」と話していました。
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