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「日本で未来を」願う…ある在日クルド人家族の翻弄の歴史 父は難民申請四半世紀でなお「仮放免」

2024-02-13 07:31:36 | 安倍、菅、岸田の関連記事
「日本で未来を」願う…ある在日クルド人家族の翻弄の歴史 父は難民申請四半世紀でなお「仮放免」2024年2月12日 16時00分:東京新聞 TOKYO Web

想像もしない再会から、ちょうど1年になった。トルコでの迫害から逃れ、埼玉県川口市で暮らすクルド人男性のもとに、東日本大震災が起きた2011年に帰国していた妻子が戻ってきたのは昨年2月のこと。クルド人が多く住むトルコ南部を襲った大地震がきっかけだった。二つの天災に翻弄(ほんろう)された後、懸命に日本で未来を切り開こうとしている。 (飯田克志)
◆迫害から逃れ来日 福島第1原発事故の不安で父を残し帰国
「家族と暮らせてうれしい」。在日四半世紀になる50代のMさん(仮名)が自宅で穏やかに話す。妻と20代の次女、いずれも10代の長男、次男がいる。長女夫婦は仕事の都合で別居しているが、よく顔を出してくれる。
 Mさんはトルコで「身の危険を感じ」て1999年に来日、難民申請した。3年後に妻と幼い娘2人を呼び寄せた。息子2人も生まれたが、東日本大震災で妻子は帰国した。原発事故による被ばくを恐れ、苦渋の決断だった。
 昨年2月、5万3000人以上が亡くなるトルコ大地震が起きた。妻子の自宅は損壊した。夜は氷点下10度以下の極寒となる。Mさんを頼って日本に避難した。
◆日本で暮らし続ける決意
 トルコでは被災地の復興が進まず、妻子は日本で暮らし続ける決意を固めた。ただ、Mさんが長年難民認定されず苦しむ姿を見ており、難民申請以外で在留資格を得る道を探すことにした。
 流ちょうな姉妹の日本語が活路になった。帰国時は中学生と小学生高学年だった。2人だけの会話は自然と日本語を使い、支援団体から贈られた国語の教科書で勉強を続けていた。
 長女は事務職の仕事を見つけ、就労ビザを得た。忙しい毎日に「だいぶ慣れた」と笑顔。次女はアルバイトをしながら日本語学校で読み書きを磨き「トルコの医療関係の資格を生かす仕事をしたいけれど、日本語をもっと勉強しないと」と話す。
日本で生まれたものの、幼かった長男と次男は日本語が姉たちほどうまくない。長男も現在、日本語学校に通う。中学3年の次男は得意な英語の授業以外、理解できないことが多く「つらい」と明かすが、今春、高校進学を目指す。Mさんの妻は2度目の日本の生活に「夫と暮らせてよかった。でも将来がはっきりせず、特に息子たちのことが心配」と顔を曇らせる。
◆「強制送還」の瀬戸際に…「もう離れ離れになりたくない」
 Mさんは仮放免で6回目の難民申請中。妻と息子2人は3カ月の短期滞在ビザの更新しか認められていない。Mさんは高血圧や頸椎(けいつい)ヘルニアの持病があり、妻も目に難病を患う。仮放免や短期滞在ビザは就労や健康保険の利用はできず、生活費や全額自己負担の医療費などは、姉妹の収入や支援団体の援助、寄付などでやりくりしている。
 さらに、6月までに入管難民法のうち難民申請3回目以降の人を強制送還できるようにする規定が施行。欧州で難民認定された親族のいるMさんは「どうなるか分からないけれど、子どもたちもいるから日本で頑張る」と揺るがない。
 長女は訴える。「お父さんは日本で20年以上罪を犯さないで生きてきた。日本人の皆さんと同じように生きようとしているのを認めてほしい。もう離れ離れになりたくない」
  ◇ 
 支援団体「クルド人難民Mさんを支援する会」はMさん家族の学費や医療費などへの寄付を募っている。振込先は「中央労働金庫一ツ橋支店 普通4360458 クルド人難民Mさんを支援する会」。
 クルド人 「国を持たない最大の民族」と呼ばれ、トルコ、イラク、シリアなどに居住。トルコでは弾圧があり、国連推計で2011年からの10年間に、世界各国で約5万人が難民認定された。日本でも川口市などに約2000人が住んでいる。難民認定は22年の1人にとどまる。
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