よく、今の20代の若者は、『消費しない世代』と言われる。
かつては、クルマや腕時計といった、いわゆる「高級品」を購入することが、若者のステータスと言われた時代があり、その後は海外旅行も加わった。ま、私が20代だった頃までは、低価格帯の商品が広く出回るようになって、商品価値が相対的に下落した腕時計はともかく、クルマや海外旅行はまだまだ若者のステータスであり続けた。ところが。
21世紀に入ると、IT化の波を受ける形で、とりわけ携帯端末の普及により、月当たりの通信料を支払うのが精一杯の状態となり、一回あたりの購入金額が大きい、クルマや海外旅行には回りにくくなった。また、大学のサークルも今や衰退基調を通り越し、「風前の灯火状態」なんだとか。さらに、デートしたいと思わないという若者も急増しており、1980年代の若者を「新人類」と呼ぶならば、今の若者は「超々新人類」とでも呼ぶのが適当なのかもしれない。
一方で、1990年代から2000年代前半頃までは、パチスロブームが起こり、借金してまでそれにつぎ込んだ若者も少なくなかったが、法改正等があったとはいえ、現在はそれも沈静化。ましてや公営競技に若者が大勢集った時代など、中央競馬を除けば、せいぜい1970年代あたりまで。中央競馬は逆に1990年代に多くの若者を引き寄せることに成功したが、21世紀に入ってからは若者の流入はめっきりと減った。
しかしながら、一見堅実そうに見える彼らの中にも、「経済の勉強」になるからといって、株などの金融商品に多額のカネを突っ込んだり、はたまた最近ではごく一部の若者に、紛れもなく犯罪行為である、大麻を中心とした「クスリ汚染」が広がりつつあるという、ある意味「心配」な様相も伺えるというわけ。
つまり、堅実のタガを外したとき、「間のステップ」を踏むことなく、高リスキーでかつ、社会から葬り去られかねない行為にまで手を染めかねない、というのが、今の若者の特徴ともいえる。
確かに、得たカネをため込んで、それを貯め続けることが、人間としては一番真っ当な考え方かもしれない。しかしながら、人間には欲求というものがある。それを無視して生き続けることはおよそ不可能である。
そんな中、当ブログは公営競技がメインテーマであるから、公営競技について話をしていきたい。
公営競技といえば、少なくとも1980年代前半あたりまでは、中央競馬を除けば、それをやる者は「社会のダニ扱い」をされた。しかしながら、公営競技は合法ギャンブル。それをやったからといって、手錠をはめられることはないというわけ。
また、借金してまでつぎ込んだ者も少なくなかったが、借金しないで続けられる者からすれば逆に、金銭感覚が身につけられるというわけ。
そもそも、公営競技なんて、10回やって1回儲けられればいいほう。この間、大橋巨泉氏の新書本を立ち読みしていたところ、
『競馬評論家で、馬券で儲けられたのはボクただ一人』
と豪語していたが、「競馬の神様」と言われたお方でさえ、馬券で損さえしなければ、家の1軒や2軒は建っていたと言われるのが当たり前なのである。
しかしながら、「普通人」は、借金してまで公営ギャンブルにつぎ込む余裕などない。すると、持ち金の範囲内でやろうとするようになる。つまり、最初から損することを考えたほうがいいというわけ。
欧米人の場合、競馬をする者はそうした考えに立ち、確率的に見て、損しにくいものを選択するケースが多い。だから単・複馬券がよく売れる。巨泉氏もまた、単・複しかほとんど馬券を買ったことがないというお方であった。
ところが今の公営競技といえば、「当たる、儲かる」ことが前提となっているきらいがある。だから売り上げが増えないし、当たらなければ去り行く者が多くなる。それ以前の問題として、「最初から当たるわけがない」と敬遠する若者が多くなる、といえるわけである。
一方、たとえば株をやる者は最初から損切りすることを前提として売買するものはいまい。しかしながら、株とて所詮はギャンブル。証拠金取引などは今でも、「一世一代の大博打」である。はっきりいうが、株を売買したからといって、経済の勉強などできない。経済の勉強をしたかったら、「経済学」をしっかりと学ぶことだ?
とはいっても、たとえば株とか投資信託をやっていると、それをやることによってプラスになる側面もある。それは、配当が得られるとか、その銘柄の将来性を信じ、託すという側面。むろん、株主である以上、株主総会に出席して、株主代表として、経営陣に意見を述べる権利も出てくる。
しかしながら、その前提として、株などの金融商品をやる前に、まずは公営ギャンブルをやって現実を直視することが大事なのではないかと言いたいわけ。はっきりいうが、くじやパチ類では、そうした考え方は少々無理。特にくじの場合、それこそ、「当たる」ことが前提だし。
その上で、たとえば、証拠金取引なんて、よほどのカネを持っておかないと、後でとんでもない目に遭う可能性が高い、といったことも覚えるはず。
そしてこうした考え方というのは、社会に出れば否応なしに幾度となく経験せざるを得なくなるものばかり。つまり、「決断」が要求されるというわけ。思うに公営ギャンブルって、今でこそ、たとえば競輪なんて、「アラ後世代」の遊びとなっているが、本来ならば若いうちにやっておいたほうが得策なのである。
失業したりしている人も多いし、
博打どころではない人も多いと思いますが…
それにそもそも物心がついた頃から
「不況」だったのでお金を使うという感覚がないのではないでしょうか?
自分も「高額商品」に価値観を見出せないし…
もっとも、大卒の就職事情については、昨春まで3~4年間程度は絶頂状態が続いていました。
さらに、つい数年前まであった株式ブームは、20代の若者が少なからず絡んでいますし、パチスロも若者層が多い(今は多かった、か?)ことを考えると、必ずしも、ギャンブル嫌いとはいえないと思われます。
しかしながら、彼らはおそらく、ひとつのことが長続きしないというのか、見極めが早いという気がします。ということは、彼らを繋ぎ止めるには、絶えず考え方を変化していかねばならない、といえそうです。
公営競技については、ただ、ギャンブル面を押し出すだけでは限界があり、もしそうした考え方を踏襲するのであれば、最後に残るのはキャリアン十年の人たちだけになってしまうと考えられます。
ま、競輪ではくじ式車券のチャリロトが導入されましたが、見方を変えるということは大事だと考えられます。
そう考えると、ギャンブル以外で話題を集め、またアピールしていくことが大事ではないかと考えられます。