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KEIRINグランプリ2018回顧

2019-01-01 06:05:21 | 大レース回顧集
回顧:12/30 静岡・KEIRINグランプリ2018:寺内大吉記念杯 決勝











[ 2018年12月31日 05:30 ]

競輪日本一を決める「KEIRINグランプリ2018」は30日、静岡競輪場で行われ、脇本雄太の逃げに乗った三谷竜生(31=奈良・101期)が追い込んでグランプリ初制覇。賞金1億160万円を獲得し初の賞金王に輝いた。三谷の今年の賞金獲得額は2億5531万3000円となり、山田裕仁氏の2億4434万8500円(02年)を超え、年間賞金の最高記録となった。
 最後も近畿の結束力が実を結んだ。打鐘で脇本がカマしてライン4車で出切るとハイピッチで飛ばしていく。番手の三谷が直線でこん身の差し切り。2度目の挑戦で頂点に立った。

 「素直にうれしい。脇本君は打鐘のところで浅井さんの動きが気になって行きづらそうだったけど非常に掛かっていた。清水君が来たので多少張ったぐらい。外に浅井さんが見えたし踏んで優勝を狙いにいった」

 5月の日本選手権(平塚)、6月の高松宮記念杯(岸和田)に続き、またも脇本の番手で戴冠。村上兄弟に続く近畿では3人目となるGP覇者が誕生した。

 「ダービー、宮杯もラインで走った中での結果。近畿の強さを改めて実感できました」

 充実した一年のように感じられたが、大きな悲しみを乗り越えていた。母・湖雪(こゆき)さんが寛仁親王牌初日の10月5日に亡くなった(享年61)。「今まで育ててもらって感謝していたし、もう少し一緒にいたかった。母のために優勝すると思っていたので、できて良かった。いい恩返しができたんじゃないかなと思います」と話すと涙があふれた。

 GPを制し年間賞金獲得額が2億5531万3000円。史上最高額を樹立した。「入る前から記録は言われていたので抜けたことは凄くうれしい」。優勝賞金1億160万円の使い道を問われると「物欲がないので決めてない。何か記念になるものを買いたい」と照れくさそうに話した。来年は1番車のチャンピオンユニホームを着用することも決定した。

 「1年間、責任あるレースが増えるので、しっかり走りたい。自分の競走スタイルは変わらない」

 進化を続ける近畿の若きエース。19年はさらなる強さを見せつける。

 ▽グランプリVTR 新田―平原―武田―浅井―清水―脇本―三谷―村上義―村上博。残り2周から清水が上昇、新田の前に入る。打鐘前の2コーナーから脇本が踏み出し三谷―村上義―村上博が続いて打鐘すぎに主導権。5番手以降は清水―平原―武田―浅井―新田。最終B前から清水がまくるが村上義が止める。平原が村上義の内に入り両者が落車。三谷が番手有利に追い込んでV。外伸びた浅井2着。











12/30(日) 18:03配信 デイリースポーツ

「KEIRINグランプリ2018」(30日、静岡)

 11Rで行われ、三谷竜生(奈良)がグランプリ初制覇を果たした。一方、最終3~4角で村上義弘(京都)ともに落車した平原康多(36)=埼玉・87期・SS=は、自転車が壊れたものの、必死になってゴールを目指し、その姿に感動した場内のファンからは「平原、平原」と平原コールが巻き起こった。

 サドルにまたがってペダルを踏んでも前に進まない。平原は何度も自転車をこぐが、壊れているため、進むどころか再度落車。それでも少しずつ前進し、自転車を携えてゴールできる範囲(30メートル手前)までたどり着くと、担いでゴールに向かう。1着から4分20秒後、執念の8着で、賞金552万円を手にした(棄権した村上義は9着賞金の80%にあたる425万6000円)。

 レース後、平原は「勝負に行っただけに残念です」と多く語らなかった。平原は右肘、腰部擦過傷で全治7日、村上義は右肘、右大腿部擦過傷で全治7日と診断された。




KEIRINグランプリ2018 レース経過


 号砲が鳴り、新田祐大がゆっくりと誘導員を追って前受け。2、3番手に平原康多-武田豊樹の関東コンビが続き、単騎の浅井康太、清水裕友、近畿ラインの脇本雄太-三谷竜生-村上義弘-村上博幸が後ろ攻めで隊列が落ち着く。

 青板4コーナーから清水が上昇。誘導員を降ろしてハナに立つ。6番手の脇本は赤板1センター過ぎから仕掛けると、清水を一気に叩いて打鐘で主導権を握る。近畿4車が前に出切って、清水が5番手、脇本に合わせて踏んだ平原が6番手で最終回へ。グングンと加速していく脇本に、清水は2コーナー手前から反撃に出るが、3コーナー過ぎの三谷のけん制で失速する。同時に、空いた村上義の内を突いた平原と、村上義が接触し2センターで両者が落車。絶好の展開で4コーナーを回った三谷は、直線で力強く抜け出して初のグランプリ制覇を果たした。最終バック8番手からまくった浅井は、好スピードで三谷に迫るも2着。落車を避けて、直線で大外を伸びた新田が3着でゴールした。



<11R>

KEIRINグランプリ2018は大方の予想通り脇本雄太が主導権を握り、近畿勢がレースを支配。絶好の番手回りを生かした三谷竜生が直線で鋭く追い込み、グランプリ初制覇を果たした。

 「本当に素直に嬉しかったですね。ジャンのところで少し浅井(康太)さんの動きが気になって、脇本(雄太)君も少し行きづらそうだったんですけど。でも、出切ってからは、しっかり後ろの様子を見てって感じでした。非常にかかっていましたし、誰も来れないかなと思っていたんですけど、清水(裕友)君が来たので少し張ったりしました。その外に浅井さんとかが見えたので、しっかり踏んで優勝を狙いに行きましたね。ダービー、高松宮記念杯、今回もしっかりラインができて、ラインで走った中での結果なので、本当に良かったです。近畿の強さを改めて実感することができました。(来年は)1年間、1番車っていうことで、責任感の中でしっかり走りたいと思います」

 最終バック8番手から懸命にまくり上げた単騎の浅井康太(写真)は2着まで。グランプリ連覇はならなかったが、持てる力は出し切った。

 「平原さんの後ろと決めてました。平原さんがもう1個、清水の前なら面白かったですね。平原さんに付いていって、そこから仕掛けたとしても3コーナーで浮くんで、それまでに平原さんの横までいこうと。もうちょいでしたね。(三谷)竜生もしっかり展開をモノにして優勝したんで強いし、そのなかで自分のできることを最大限やりきった結果なんで。勝てなかったのは何かが足りなかったということなんで、まずは来年のグランプリに出れるように、しっかり努力して考えることが大事だと思ってます」

 最後方に置かれた新田祐大(写真)は3着に入るのが精いっぱいだった。

 「脇本がけっこうかかってました。中団に清水君、平原さんがいて誰も何もしないことはない。その動きを見極めて、あとは自分のタイミングでって思ってました。リズムが悪くて綺麗に踏めなかったです」

 人気を集めた脇本雄太は直線で力尽きて5着に敗れた。

 「ジャン前の2コーナーの浅井さんの動きでバランスを崩して、焦ってしまいました。もう1回、立て直してから行けば確実に粘られますからね。自分のタイミングではなかったけど、4コーナー勝負はできると思ってました。あと30メートルくらい踏み切れないといけない。自分のなかではいい経験ができました」

 先に切って近畿勢を受けた清水裕友は5番手からまくり上げて見せ場を演出した。

 「楽しかったです。切って飛び付いたぶん、脚を消耗しました。キツかったけど、行くしかないと思って行きました。力の差がまだありますね」



平成30年12月30日

静岡グランプリは冬の合い間の凄い天気の中開催、日本一の集客を誇る静岡競輪場に2万余のファンが押し寄せ、40年前にタイムスリップした様な大盛況。売り上げこそ昨年を少しだけ下廻りましたが、このファンを集めたのは静岡施行者の努力。私見ですがGPは静岡に固定しても良いのでは、そしてダービーは交通の便は最高の川崎と決めれば、大学生を取り込めるかと、何れにしてもファンを集めるためなら成り振り構わずやるべし、そうしないとライバル、ボートレースとの差は開くばかりかと。

寺内大吉杯は狙い通り、3連単は2点で的中させましたが、グランプリは今年の寬仁親王牌初日に最愛の母(享年61歳)の母親を亡くしても親父の進言で走り切った三谷家の3男坊が、悲しみを堪えて息子3人を連れて石垣島に何度も行き車誘導で引っ張ってくれた父(典正氏)の恩に報いる優勝で幕を閉じました。母親を早くに亡くしてる脇本雄太は、自分の事より、三谷竜生を優先したのは人間性、そこ迄読み切れなかったのは大ミスですが、脇本の性格を考えたら取れる車券でした。落車した平原康多と村上義弘は心配です。私は休む事なく久留米ナイターと小倉ミッドナイトの仕事をやってます。そして大晦日は岐阜FⅠの前検日、現地の「ひかり」さんに情報は全て貰いしっかりした新聞を作る予定。これも普段からちゃんとした付き合いをしてるからの事、感謝しかありません。



初日と2日目を見る限り、「静岡らしくない客入り」と思われたが、グランプリともなれば、やっぱり違ったね。

2001年、平塚のグランプリに行ったときのこと、隣に、静岡から来た客がいて、


「静岡だったらもっと入る!」

「グランプリは静岡でやれよ!」


と言ってたな。

その客の言う通りだったかもしれない。


恐らく、静岡での2度目のグランプリ開催が、近いうちに行われることだろう。


川崎は、もともとスタンドが小さかったのに、今は1センターのところがなくなったから、「ちょっと厳しい」んじゃないの。「GI」は1965年のオールスター以降やってないし。




12/30(日) 17:17配信 デイリースポーツ

 「KEIRINグランプリ2018」(30日、静岡)

 11Rで行われ、三谷竜生(31)=奈良・101期・SS=が番手絶好の展開をモノにして1着。2012年7月のデビューから6年5カ月でグランプリ初優勝を飾り、賞金1億160万円(副賞込み)を獲得。これで今年の獲得賞金額は2億5531万3000円となり、2002年の山田裕仁(引退)が記録した2億4434万8500円を抜いて、競輪史上最高額を達成した。2、3着には浅井康太(三重)、新田祐大(福島)の順に入り、グランプリV3を狙った村上義弘(京都)は平原康多(埼玉)とともに、最終3~4角で落車した(村上義は棄権、平原は再乗8着)。

 レースは赤板で5番手の清水裕友(山口)がインを切り、周回中2、3番手の平原-武田豊樹(茨城)も上昇。6番手で構えていた脇本雄太(福井)が三谷-村上義-村上博幸(京都)を打鐘で連れて猛然とスパート。ハイペースで飛ばし、最終2角まで一列棒状。バック5番手から清水がまくり上げ、3角で三谷-村上義がけん制。空いた内を平原が突っ込むと、戻ってきた村上義と接触して、両者が落車。三谷は直線で脇本をかわし、バック8番手からまくり上げた浅井、落車を避けながら外を踏んだ新田を振り切って、先頭でゴールした。

 表彰式で三谷は「優勝することができて良かったです」と語ったあと「寛仁親王牌(G1・10月前橋)で母が亡くなりました。母のためにと思い、優勝できて良かったです。母に優勝を見せることができなかったですが『ありがとう』と伝えたいです」と言うと号泣した。

 その後「脇本君は気持ちの入ったレースをしました。村上(義弘)さんがコケてしまったのは残念です」とレースを振り返り、2019年は白のグランプリユニホームで戦うことについては「1番車に恥じないように頑張ります」と語った。



結果 - 静岡競輪場 11R (最終日) 「KEIRINグランプリ2018」

1 1 三谷 竜生 31 奈 良 101 SS 11.6 差し
2 2 浅井 康太 34 三 重 90 SS 3/4車身 11.2 捲り
3 4 新田 祐大 32 福 島 90 SS 1/4車輪 11.0
4 6 清水 裕友 24 山 口 105 SS 3/4車身 11.6
5 3 脇本 雄太 29 福 井 94 SS 3/4車身 11.9 HB
6 8 武田 豊樹 44 茨 城 88 SS 1 車身 11.5
7 5 村上 博幸 39 京 都 86 SS 1/2車身 11.7
8 7 平原 康多 36 埼 玉 87 SS 大差 落携入
  9 村上 義弘 44 京 都 73 SS 落車棄権

■ 払戻金

2枠複 1=2 1,900円 (12)
2枠単 1-2 3,550円 (21)
2車複 1=2 1,760円 (6)
2車単 1-2 3,560円 (13)
3連複 1=2=4 3,820円 (12)
3連単 1-2-4 21,440円 (71)
ワイド
1=2 530円 (5)
1=4 780円 (11)
2=4 610円 (8)



KEIRINグランプリとして、史上初の「車番選択」が行われた今年、「迷わず1番車」を選択した三谷竜生が、今年、3度目となる、脇本雄太の番手から抜け出し優勝。そして、明日、大晦日以降も約1年間、1番車のユニフォームを着ることが決まった。

今年は、平塚の日本選手権で大会連覇達成、そして、続く高松宮記念杯も制し、GI連覇を達成した三谷。年初には、出場機会記念3連覇も達成するなど、充実の一途の1年だった。そして、年間獲得賞金額史上最高額も記録するというおまけつきだった。

宮記念杯の表彰式では、心無い客から、「乞食!」という罵声を浴びせられた三谷だが、はっきり言って、今の競輪界において、脇本を番手から差せるのは三谷しかいない。だからこそ、村上兄弟という「大御所」がいながらも、すんなり三谷が脇本の番手に決まった。しかも、村上博幸はこのレースで、4番手を固める競走に徹した。三谷の強さを認めなければ、一発勝負のグランプリで、このようなプレーをする選手はいない。

三谷は、今でも、基本的には自力主体の選手だが、昨年の日本選手権も含めて、獲得した4つのタイトルにおいては、全て追い込み勝ち。こういうケースの選手もまた珍しい。ということは、三谷のような選手こそが、「真に強い競輪選手」と言えるのではないか。

関東学院大学時代は、センターのポジションでレギュラーでありながらも、身長が低いことが災いしてか、トップリーグのチームからの誘いはなかった。これを期に、三谷は、父親や兄二人と同じく、競輪選手へと進路を変えた。

そして、優勝インタビューの途中、母親が今年亡くなったと吐露し、思わず涙を流した三谷。真ん中の兄貴(将太)とは違い、感情をあまり表に出さないタイプの三谷にしては珍しい光景だったが、それは「喜び」への裏返しと取ってもいいのではないか。

マークのほうが向いている感のある三谷だが、自力が使えるうちは、まだまだタテ勝負に拘ることだろう。来年は、日本選手権3連覇がかかる。方々から、「ダービー王」と言われ続けた三谷だが、今や、ダービー王だけでは「済まなくなった」。1番車のユニフォームを纏って、今年以上の活躍を祈るばかりである。


あと、平原が落車最乗を目指すも、車輪がへし曲がっていて、乗ることもままならなかったが、それでも「完走」を目指した。

すると、何と場内から「平原コール!」が起こった。

平原は、何度か途中で「転倒」しながらも、携入が可能となる、30メールラインを目指して乗車。そして、30メートルラインに到達し、携入できるようになると、場内から拍手が起こりはじめ、「ゴール」したときには、割れんばかりの拍手で迎えられた。


「昔の競輪」だったら、


『乞食!外道!死ね!』


という罵声「しかなかった」だろうが、今の競輪客は『180度変わった』(だからこそ、三谷に乞食と言った客は「残念」)。

これも、今年のグランプリを特徴づける光景だったのではないか。

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