俳優の宇津井健さん死去 「赤い」シリーズなど
NHK 3月14日 21時31分
映画やテレビで二枚目俳優として活躍した宇津井健さんが、14日午後、慢性呼吸不全のため亡くなりました。82歳でした。
宇津井さんは東京都出身で、昭和28年、早稲田大学在学中に、映画「思春の泉」の主役に抜てきされて、デビューしました。
その後、映画やテレビで二枚目俳優として活躍し、民放のテレビドラマ「ザ・ガードマン」や歌手の山口百恵さんと共演した「赤い」シリーズなどで、安定感のある落ち着いた演技で親しまれました。
NHKでは、平成6年に放送された連続テレビ小説「ぴあの」で主人公の父親役を演じたほか、「武田信玄」や「信長」、「天地人」など、大河ドラマにも数多く出演しました。
乗馬が得意だった宇津井さんは、3年前にNHKで放送されたドキュメンタリー番組「旅のチカラ」に出演し、22歳のときの銀幕デビューは馬に乗れることでつかみ取ったというエピソードをはじめ、俳優人生の背景に常に馬への愛があったことなどを振り返っていました。
所属事務所によりますと、宇津井さんは14日午後6時すぎ、慢性呼吸不全のため亡くなったということです。
通夜、告別式は親族のみで行う予定で、後日「お別れの会」が開かれるということです。
石井ふく子さん「とてもまじめな方でした」
ドラマプロデューサーの石井ふく子さんは、「2か月前にお話ししたのが最後となりましたが、お元気そうでしたので、本当に急なことで驚きました。役者としてとてもまじめな方で、台本はいつも事前に完璧に覚えて稽古に臨んでいました。誰に対しても優しく、努力家で、常に礼儀正しい方でした。もっと一緒に仕事がしたかったです。本当に残念です」と話していました。
何といっても、ザ・ガードマンが代表作だろう。このドラマで、宇津井健という俳優は一躍有名となった。
ま、私は見たことないんだけどね。
この他、元大映の俳優ということもあり、「大映テレビ」制作ドラマのバイプレーヤーとしてはおなじみの人だった。
ところで、古舘伊知郎が競輪実況やってた頃、定期的に競輪中継に電話出演していたことを思い出す。
宇津井氏自身は競輪のことは全く知らなかったのだが、バイオリズム研究を趣味としており、それに基づいて予想を行っていた。かなりユニークで面白かったのだが(ま、予想は当たった試しがなかったと思うけど)、古舘が実況から降りると出演しなくなってしまった、というよりも、競輪中継そのものが地上波でやりにくくなっていった時代でもあったな。
ま、この人ほど、「善人」しか似合わない俳優はおそらく日本ではそんなにいないんじゃないかな、とも思う。
ご冥福をお祈りいたします。
NHK 3月14日 21時31分
映画やテレビで二枚目俳優として活躍した宇津井健さんが、14日午後、慢性呼吸不全のため亡くなりました。82歳でした。
宇津井さんは東京都出身で、昭和28年、早稲田大学在学中に、映画「思春の泉」の主役に抜てきされて、デビューしました。
その後、映画やテレビで二枚目俳優として活躍し、民放のテレビドラマ「ザ・ガードマン」や歌手の山口百恵さんと共演した「赤い」シリーズなどで、安定感のある落ち着いた演技で親しまれました。
NHKでは、平成6年に放送された連続テレビ小説「ぴあの」で主人公の父親役を演じたほか、「武田信玄」や「信長」、「天地人」など、大河ドラマにも数多く出演しました。
乗馬が得意だった宇津井さんは、3年前にNHKで放送されたドキュメンタリー番組「旅のチカラ」に出演し、22歳のときの銀幕デビューは馬に乗れることでつかみ取ったというエピソードをはじめ、俳優人生の背景に常に馬への愛があったことなどを振り返っていました。
所属事務所によりますと、宇津井さんは14日午後6時すぎ、慢性呼吸不全のため亡くなったということです。
通夜、告別式は親族のみで行う予定で、後日「お別れの会」が開かれるということです。
石井ふく子さん「とてもまじめな方でした」
ドラマプロデューサーの石井ふく子さんは、「2か月前にお話ししたのが最後となりましたが、お元気そうでしたので、本当に急なことで驚きました。役者としてとてもまじめな方で、台本はいつも事前に完璧に覚えて稽古に臨んでいました。誰に対しても優しく、努力家で、常に礼儀正しい方でした。もっと一緒に仕事がしたかったです。本当に残念です」と話していました。
何といっても、ザ・ガードマンが代表作だろう。このドラマで、宇津井健という俳優は一躍有名となった。
ま、私は見たことないんだけどね。
この他、元大映の俳優ということもあり、「大映テレビ」制作ドラマのバイプレーヤーとしてはおなじみの人だった。
ところで、古舘伊知郎が競輪実況やってた頃、定期的に競輪中継に電話出演していたことを思い出す。
宇津井氏自身は競輪のことは全く知らなかったのだが、バイオリズム研究を趣味としており、それに基づいて予想を行っていた。かなりユニークで面白かったのだが(ま、予想は当たった試しがなかったと思うけど)、古舘が実況から降りると出演しなくなってしまった、というよりも、競輪中継そのものが地上波でやりにくくなっていった時代でもあったな。
ま、この人ほど、「善人」しか似合わない俳優はおそらく日本ではそんなにいないんじゃないかな、とも思う。
ご冥福をお祈りいたします。