大師匠もちらっと触れている、福永洋一のこと。
http://plaza.rakuten.co.jp/daikokusya/diary/201003270000/
福永洋一の毎日杯における落馬事故後、関西では競馬をやめた、という人が少なくなかった。何せ当時、洋一は2回騎乗すれば1回は必ず連に絡んでいたから。だから、洋一の落馬事故を知ってて今も競馬やっているという人は案外少ないかも。
私の亡き父親も、当時しばらく放心状態となり、やれなくなっていた。テンポイントの事故を京都競馬場で目の当たりにした時点で、毎週やっていた競馬場通いをやめ、電話投票主体に切り替えたんだけど、福永の事故後は、それさえも一時やめてしまった。加えて、毎週買っていた週刊競馬ブックも、その頃からしばし買わなくなったし、おまけに、専門紙のブックさえ買わない週もあった。
が、その年のダービーに、カツラノハイセイコが出ていたが、鞍上が松本善登だった。松本は福永の兄弟子。しかも福永自身がこの馬に騎乗実績があったこともあってか、そこから買うのを再開したみたい。
そしたら、カツラノハイセイコが勝った瞬間、
「善さんやった!」
って大喜びしていたよ。
と同時に、以前書いたけど、私の競馬との出会いも、実はここから。
それでも、
「善さんがダービー勝ったことやし、洋一もいずれ出てくるやろ!」
といって疑わなかったんだが・・・
その3年後、松本は他界、福永はついに復帰ままならず・・・
そういえば、洋一の息子、祐一が騎手として出てくるまで、私の親父は、競馬つまらん、を繰り返していたな(それでも、やってたけど)。