バンク氏が元選手だと判明し、かつハロン10秒台だったという話を聞くにつれ、さすがは競輪選手、埋もれた存在はごまんといるわ!と思った次第。
となれば、1975年の阿部良二から1989年の神山雄一郎、佐古雅俊まで、15年連続して世界選手権でメダル獲得を果たした理由が分かるというもの。
しかしながら、その頃の競輪は違った意味で、「楽しかった」。
丁度その頃、日本のスポーツ選手が世界の舞台でだんだん勝てなくなっていったのとは裏腹に、競輪選手といえば、世界選手権で必ずメダル獲得。内、1977年から1987年までの11年間の間、必ず優勝者が出ていたからねぇ。
「競輪は世界に通用するスポーツだ!」
と、偉そう風を吹かすことができたから、競輪を見るのが非常に楽しかった。しかも、必ずしも、中野浩一が勝つとは限らなかったし。そういった意味においては当時、
「世界で勝ったからといって、競輪で勝てるとは限らない」
という言葉は説得力があった。
しかし今はねぇ・・・
競輪を無視して五輪のための調整に入ってやっとこさ、チームスプリントやケイリンでメダル獲得。しかもそれ以外の種目では、はっきりいって歯が立たない。また、五輪のような調整が利かない世界選では大敗続き。毎回聞く言葉は、
「世界の壁は厚い・・・」
確かに、今はプロアマオープンであり、競輪選手がメダルを獲得し続けていた時代は、旧東欧が出場しない、プロというカテゴリのみの出来事だった。それでも、15年連続って、そう簡単にできるわけがない。しかも当時、競輪選手はほとんど片手間の参加だったし。
今はナショナルチームがあり、それ相当に斡旋の優遇もされているというのに、どういうわけか結果が出ない。 なぜなのか?
ところで、五輪で金を取って帰ってきたならばともかく、銀や銅だと、競輪選手の場合だと、まず忘れ去られてしまうだろうね。というか、取って当たり前、と思われるのがオチ。後で、多額の報奨金が出ることになるわけだし。ま、十文字の場合は少々違ってたけど。
だから、五輪だけでなく、世界選でもメダル、さらにいえば、優勝することが大事。もし五輪の翌年の世界選でも結果を残せていたならば、恐らくマスコミが黙っていまい。
マスコミを味方にできれば、必然的に競輪に注目が集まり、ひいては、新規客が参入する可能性も高くなる。「ジャパニース競輪」だけやってても仕方ないんですよ!(とT社長口調)。
そんなもんなんだって。私だって、競輪へのとっかかりといえば、そんな感じだったし。中野が何連覇もしている競輪というヤツを見てみよう!っていうところからはじまったからね。
だから、世界選で16年も続けてメダルが取れない、ということが不思議でならない。一体どうすれば取れるのか?
だったら盛一大に託そう!って、何を考えているんでしょう!盛は競輪選手ではないんですよ!