公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

何で16年連続メダルゼロなんだ?

2009-06-02 21:02:45 | 競輪

バンク氏が元選手だと判明し、かつハロン10秒台だったという話を聞くにつれ、さすがは競輪選手、埋もれた存在はごまんといるわ!と思った次第。

となれば、1975年の阿部良二から1989年の神山雄一郎、佐古雅俊まで、15年連続して世界選手権でメダル獲得を果たした理由が分かるというもの。

しかしながら、その頃の競輪は違った意味で、「楽しかった」。

丁度その頃、日本のスポーツ選手が世界の舞台でだんだん勝てなくなっていったのとは裏腹に、競輪選手といえば、世界選手権で必ずメダル獲得。内、1977年から1987年までの11年間の間、必ず優勝者が出ていたからねぇ。

「競輪は世界に通用するスポーツだ!」

と、偉そう風を吹かすことができたから、競輪を見るのが非常に楽しかった。しかも、必ずしも、中野浩一が勝つとは限らなかったし。そういった意味においては当時、

「世界で勝ったからといって、競輪で勝てるとは限らない」

という言葉は説得力があった。

しかし今はねぇ・・・

競輪を無視して五輪のための調整に入ってやっとこさ、チームスプリントやケイリンでメダル獲得。しかもそれ以外の種目では、はっきりいって歯が立たない。また、五輪のような調整が利かない世界選では大敗続き。毎回聞く言葉は、

「世界の壁は厚い・・・」

確かに、今はプロアマオープンであり、競輪選手がメダルを獲得し続けていた時代は、旧東欧が出場しない、プロというカテゴリのみの出来事だった。それでも、15年連続って、そう簡単にできるわけがない。しかも当時、競輪選手はほとんど片手間の参加だったし。

今はナショナルチームがあり、それ相当に斡旋の優遇もされているというのに、どういうわけか結果が出ない。 なぜなのか?

ところで、五輪で金を取って帰ってきたならばともかく、銀や銅だと、競輪選手の場合だと、まず忘れ去られてしまうだろうね。というか、取って当たり前、と思われるのがオチ。後で、多額の報奨金が出ることになるわけだし。ま、十文字の場合は少々違ってたけど。

だから、五輪だけでなく、世界選でもメダル、さらにいえば、優勝することが大事。もし五輪の翌年の世界選でも結果を残せていたならば、恐らくマスコミが黙っていまい。

マスコミを味方にできれば、必然的に競輪に注目が集まり、ひいては、新規客が参入する可能性も高くなる。「ジャパニース競輪」だけやってても仕方ないんですよ!(とT社長口調)。

そんなもんなんだって。私だって、競輪へのとっかかりといえば、そんな感じだったし。中野が何連覇もしている競輪というヤツを見てみよう!っていうところからはじまったからね。

だから、世界選で16年も続けてメダルが取れない、ということが不思議でならない。一体どうすれば取れるのか?

だったら盛一大に託そう!って、何を考えているんでしょう!盛は競輪選手ではないんですよ!


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GM沈没

2009-06-02 16:22:33 | 政治経済問題

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。

おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

以上、平家物語の冒頭部分。

まさに、ゼネラルモーターズ(GM)の事実上の破綻は、このことを意味しているのか。

一応、破産・消滅という事態こそ免れたものの、GMの破綻は起こるべくして起こった。

1950年~1960年代にかけて、GMは最盛期を誇ったが、その後は坂を転げ落ちるかのごとく。

今日の日経の記事によると、その兆候は、1960年代前半に発生した新車の事故頻発から起こったのだとか。にもかかわらず、対応が後手に回るなどしたものだから、消費者団体から猛烈なる非難を浴びせられることに。

1970年代には2度に亘るオイルショックにより、燃費が悪いGM車は敬遠されるようになり、代わって燃費性に優れている日本車にじわりじわりと迫られる羽目に。加えて、従業員への手厚い福利厚生施策にかかる「レガシーコスト」が膨大に膨れ上がり、ますます経営圧迫を招くことになった。

そこでGMは、経営の大幅な合理化を図るべく、1980年代に大幅な人員削減策に打って出たが、これによって、GM=大リストラ企業、というレッテルを貼られる始末。そこで今度は、イメージ悪化を払拭するべく、組合側に対して大幅な懐柔策に出ることになるが、これにより、人員コストが大幅に膨れ上がることに。加えて、経営者の報酬は一向に減らない・・・

1990年代、宿敵・日本車に対抗するべく、電気自動車の商用化に打って出たが、採算が全く合わず即座に撤退。これが大きなダメージとなったのか、ハイブリッド車などの次世代自動車の開発にも乗り遅れた。その後は企業買収や保有株式の売却によって延命を図るだけの状態。本業は一向に経営軌道に乗らず、ついに昨年9月に発生したリーマンブラザーズの破綻により資金繰りは窮地に陥ることに。

しかしながら経営陣は、「大きすぎて潰せない」ことをいいことに、政府からの公的資金を当てにしていたが、こんな経営がデタラメなところに税金を投入することは罷りならん!という声が強くなり、ついに6月1日、破産法11条を適用し、一時国有化とあいまった。

但し、国有化といっても、GMは大幅に経営縮小を余儀なくされる。 

日本にはいまだ根強い「アメ車ファン」がいるらしいが、日本でも今や「外車」といえば、ドイツ車が中心。キャデラックに乗りたい、という人はほとんどいないんじゃないかな。

1953年、

「我が国にとって良いことはGMにも良いこと。逆も真なり。」

という名言を放ったのは、同社社長から、アイゼンハワー政権の国防長官に転じたチャールズ・ウィルソン。しかし、その言葉が逆に驕りを生み出し、ひいては転落、滅亡への足がかりになろうとは思いもしなかったことだろうな。


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