公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

半年間ぶっ通しナイター開催

2009-01-30 19:55:04 | 競馬

残り2年間が勝負であるホッカイドウ競馬。今年度の日程決まる。

http://www.keiba.go.jp/topics/2009/0130_2.html

開幕は4月29日(祝・水)の札幌だが、今年度の札幌開催はわずか6日間だけ。残る76日は門別。しかも、5月20日(水)から11月19日(木)まで、全てナイター開催となる。

そういえば、去年は函館競輪でも、11月5日の開催最終日までナイター開催が行われた。11月といえばすっかり冬模様の北海道だけど、門別ならば、11月中旬過ぎでも大丈夫、っていうことなのかな。

ところで、門別へ4年前行ったときは、事前に札幌駅からの無料バスを予約していて、それに乗ったけど、そのようなサービスがあるんだろうか?もしなければ、車でも持ってない限り、門別競馬場というところは、行くのに相当骨が折れるところ。札幌から出ている高速バスもそんなに本数ないようだし。

コメント (4)
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阪急電鉄、「逆転負け」

2009-01-30 00:52:48 | 競輪

時事通信より。

1月29日18時54分配信 時事通信  

兵庫県西宮市などが競輪事業から撤退したため、西宮競輪場の設備投資が無駄になったとして、設置者だった阪急電鉄が同市などに約16億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁の成田喜達裁判長は29日、「赤字による撤退はやむを得ない」として、5億円余の支払いを命じた一審判決を取り消し、阪急側の訴えを退けた。 成田裁判長は「継続すれば税金を投入せざるを得ず、地方財政の健全化という競輪事業の目的に反する」と指摘。阪急側が1973年の事業開始から約393億円の賃貸料を受け取ったことも踏まえ、「補償措置を講じる信義則上の義務はない」とした。 判決によると、西宮市など県内20市でつくる事務組合は、阪急から競輪場を賃借して競輪事業を実施していたが、景気低迷で売上高が減少。2001年11月、阪急側に契約は更新しないと伝え、03年3月に解散した。 

阪急電鉄広報部の話 主張が認められず遺憾。今後の進め方は判決文を精査して検討する。 


まだ決着がついていない、西宮競輪廃止訴訟問題だが、一審の原告勝訴を退け、二審は阪急電鉄側の完全敗訴。 

まぁ、西宮競輪場跡地には昨年11月、阪急西宮ガーデンズがオープンし、今のところ業績もソコソコにいいらしいので、仮に阪急電鉄側が、競輪の廃止をカタにとって和解案に持ち込んだところで、被告の西宮市もまず応じまい。

となると、「泣き寝入り」か、はたまた最高裁へと持ち込むかのいずれかになりそう。

ただ裁判長の判旨文には若干誤りがある。

『継続すれば税金を投入せざるを得ず、地方財政の健全化という競輪事業の目的に反する』

というのは少々違うな。西宮・甲子園競輪は、廃止表明をした2000年度ならびに、廃止された2001年度についてはまだ基金が残っていた。基金が底をつくのは2005年度の見通しだった。

ということは、少なくとも2004年度までは、財政基金で賄うことはできていたともいえる。そのあたりの点をどう見るか。それと、阪急電鉄側に廃止直前までその話が伝えられていなかったという点についてもまだまだ争点となりうるのではないか。


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カルテット計画その1

2009-01-30 00:01:45 | 競輪

畑中智晴さんの案も参考にしつつ、持論を展開していきたいと思います。

競輪の売り上げは1992年度以降、毎年減少。オートレース、地方競馬、そして競艇が対年度比で下げ止まり局面が見られた年度があったことと比較すると対照的。中央競馬も、2008年度(1~12月)はほぼ横ばい(-0.03%減)だったことを考えると、競輪だけが、いまだ減少局面の歯止めがかかっていないことがいえよう。

もっとも、2008年度については、F1、F2(一部の開催を除く)において12レース制が導入されたこともあって、1日あたりの売り上げは10%近い伸びを示している。しかし、G1、G2の下げ止まり局面は見られず、G3についても、数年前のような勢いは明らかになくなってきている。そして問題なのはF開催。特にF2は、2層トーナメント制が導入されても、赤字を解消する形にはいまだ至っていない。

加えて、主力ファン層の高齢化についてもある意味深刻。特にF開催においては、後期高齢者層に近いと見られる年代が大半を占めており、さらに、そうした年代の方々は、キャリアがン十年といったケースが大半とみられることを考えると、若者層だけにとらわれない、まさに「新規ファン」の開拓が急務だと考えられる。

ところで、競輪だけはなぜか、競輪人気回復のきっかけという話に至ると、

「昔の競輪に戻してくださ~い!」

と言う人が少なくない。しかしながら、昔の競輪とは一体いつ頃のことを指すのか?そのあたりが明確ではないことが多い。

高原永伍の全盛時代なのか?はたまた、福島、田中、阿部の三強時代を指すのか?中野VSフラワーライン時代を指すのか?いや、それよりももっと古い、吉田・石田時代なのか?松本勝明や山本清治が全盛を誇った頃なのか?

昔の競輪とはいっても、一体いつの年代なのか分からない。少なくとも、「昔」という以上、吉岡・神山時代でないことは確かだろう。

少なくとも、他競技において、例えば競艇において、彦坂・野中・北原のビッグスリー時代に戻してくれ!なんていうファンなど聞いたことがない。いや、ビッグスリー時代があったことさえ今や知らないファンも少なくないのではないか。オートレースについても、飯塚将光の全盛時代云々がどうとかいう話は、昔話としてはあったとしても、その頃のオートレースに戻してくれ!なんていう話はおよそ聞かない。

中央競馬にしたって同様。地方競馬も、一部にアラブ復活論がある程度。

そして、結果論として「見る限り、ファンも含めた、「昔」にこだわる姿勢を見せなくなった業界は、何らかの形で回復基調を果たしている。と考えると、競輪の起死回生策はまさに、「昔」という概念からの脱却を図ることではないのか。(以下、続く)


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