公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

新人が伸びない

2006-01-28 05:51:40 | 公営競技論

3年前だったか、競艇学校の卒業記念王者がデビュー後まもなく強姦容疑で逮捕され、競艇界から事実上追放された事件があった。

その選手は当時18歳と未成年であり、名前は一般的には「差し控えられる」わけだが、卒業記念王者ともなると当然、名前は分かるわけであり、そう考えると公営競技関係者の場合、たとえ未成年であっても絶対に犯罪に手を染めてはならないということが如実に分かるというものである。

ところで、93期より競輪学校の入試制度そのものが変わり、二次試験において国語・数学・社会の3科目の教科試験(高校卒業レベル)が課せられていたが、それが廃止されるという。

別に教科試験を廃止にしても構わないけど、その分、競輪学校では「みっちり」と学科教育を行なわねばダメだろう。

そんな中、「やまと競艇学校」になってからの卒業生の競走成績が期を追うごとに悪くなっているとか、競輪については若手が全く伸びてこないという現状であることから、教育方針そのものに問題があるのではないかという声さえ聞かれる。

JRAの競馬学校とて一緒。武豊らを輩出した初期の頃はともかく、ここ何年来、デビュー5年以内で競馬学校を卒業した騎手が大きなレースを勝つケースなどなければ、はたまた騎乗機会さえ恵まれていない様相も見受けられる。

一番問題なのは、なぜ若い選手、騎手が伸びあぐねているか?ということである。とどのつまり、レースの組み立て方に問題があるのではないか。

競艇では今や、20代前半の選手でさえ、イン取り合戦に終始する者が少なくない。インを取ればそれだけ勝つチャンスがあるのは確かだが、それはどの選手も同様に感じていること。ならば若い選手らしく、ダッシュ一閃一捲りでどうして勝とうと思わないのか?

今トップクラスに在籍している選手というのは、若い頃はアウトからどんどん思い切った競走をしてのし上がってきた選手がほとんど。また競輪だってトップクラスでデビュー以来追い込み一本なんてやっている選手はほとんどいまい。

競艇でいえばイン逃げ、捲り差し、差しなんてものは、「待ち」のレース。つまり展開に左右されるケースが多く、展開が向かなければたちまち大敗を余儀なくされるものである。

一方、捲りだとか、つけまいといったものは、自分でレースを作っていくもの。ところが大技のつけまいは別として、捲りを放てない若手選手がいかに多いか。

また、競馬学校上がりの騎手の騎乗を見ると、決まりきったところで手綱を強めるとか、はたまたムチを入れるとかいった感じのレースしかできていない。

競馬については調教師の指示もあるからおいそれと大胆なレースなどできないのかもしれないが、着順が悪くても、「先生の指示通り乗った」などと果たしていえるものなのか?

「学校」であるがゆえに、実技指導については勝敗は度外視されるケースは仕方あるまい。公平かつ公正な競走を叩き込むことしか限られた時間の中ではできまい。

しかし一旦「プロ」となったならば、はっきりいって「勝つか負けるか」しかないのである。そしてなぜ勝てるのか、はたまた負けるのか、といったレース分析ができるできないでその選手・騎手の力量が大きく変わってくる。

学校の中では実技面において勝つか負けるかといった指導はムリでも、例えば実際に行なわれているいくつかのレースを拾い出してそれを分析させることはできよう。無論その分析は生徒に行なわせるのである。

このことは非常に大事ではないか。

実技の力量だけでは、ベテラン選手や騎手に太刀打ちできるはずがあるまい。しかし、実技の力量を分析力で補うことはできるはず。その分析力というのが今の若い選手や騎手には欠けているような気がしてならない。

そしてその分析というのは世間一般では、マスコミがやったり、はたまた客がやることであるが、もう「プロ」になればそんなことはできないわけで、しかしそのことをたとえ学校にいる間の短期間であってもやっておくとその後に大きなプラスとなっていきやしないだろうか。

というわけで、このレースのどこが良くてどこがダメなのか、ということを生徒間で討議させるゼミナール形式の授業をぜひとも取り入れてもらいたいもの。ひいてはそれが客の心理を掴み取る機会にもなるはずなんだが。

顧客重点なる言葉はいまやどの業界でもなされることだが、公営競技についてはことこうしたことが遅れているような気がしてならない。ぜひともやって欲しく思うわけである。

日本の教育体制というのは、ともすれば理論派を軽視する方向にある。理屈っぽいことよりもまずは行動だ!みたいな姿勢があるわけだが、確固たる理論がなければそれを行動に移したときに実を結ぶわけがない。

そして理論さえあれば今度は確固たる信念が生まれる。信念ってのは大事なことで、周りに「流されない」自分の考えというものを示す「指針」である。

そうした自立心っていうものは特に客が投じたカネを背負って走る公営競技にとって大事だろ。

公営各種学校においては、実技以上に理論・学科教育を充実させていただくことを望む次第だ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする