「03 わたしの弟のヤコブもまた、わたしが贖い主にまみえたと同じように、すでに贖い主にまみえている。それで、わたしは自分の言葉が真実であることをわたしの子孫に立証するために、この二人の言葉を子孫に伝えよう。神はかつて、「わたしは3人の言葉をもって、わたしの言葉を確かなものとする」と言われた。にもかかわらず、神はさらに多くの証人を遣わして、御自分の言葉をことごとく立証される。
」
(第2ニーファイ11章)
上記聖句のところに目がとまりました。理想的には、主にまみえる、第二の慰め主を受けることが(救い主御自身が、その人の慰め主、伴侶となる)、予言者・指導者としての条件なんでしょうかね。モルモン書では、予言者・指導者といった立場の人物は、ほぼ例外なく、そういった召しと選びを確実にしたであろう、主にまみえた、顔と顔を会わせてメッセージを受け取った人たちのようであります。
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