より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

イースター 

2012-04-16 22:27:27 | 先祖、系図、臨死、あの世、神殿

昨日の聖餐会は、イースターがテーマでした。先週は、総大会衛星放送がありましたので、一週間遅れとなったわけです。さてはて、ちょうど毎週の聖餐会が更新の時として新たな七日間が与えられることへの思いを馳せる時でもあるとするならば、このイースターの時節は、新たな一年が与えられることを喜ぶ時でもあるんでしょうか・・・・この一年は、震災で気持ち的に全く動転してしまったような状況で、今、やっと、たまWEB、多少安堵の気持ちが・・・・

昨日朝、『歴代管長の教え ジョージ・アルバート・スミス』の第7章’人の不死不滅’(p67~)が、レッスンだということで、予習しました。といっても読むだけなんですが、んで、「肉体は朽ち果て、土に帰りますが,霊は存在し続ける・・・・現世は終わりではなく,永遠の一部にすぎないこと,またわたしたちが現世で与えられている特権を生かすならば,現世はよりすばらしく,より望ましい状況への踏み台にすぎないことが,この末日に啓示によって知らされ,明らかにされたことに,わたしは感謝しています。」(p70)のところが、特に、”よりすばらしく,より望ましい状況”の語句が、心に残りましてですね、またまた、臨死体験者の話でもないですが、霊界に行く、死すということは、ある意味、この試しの現世を卒業できて、より栄光ある状態へ移り行くこととも言えそう、と思い起こされた感があったんでした。

モルモン書では、霊界はパラダイスと呼ばれる状況でもあり得ると・・・・

   義人  パラダイス アルマ
   http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%BE%A9%E4%BA%BA++%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

     イースター  復活     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%80%E3%80%80%E5%BE%A9%E6%B4%BB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

   いろんな体験者がおりますな・・・・
   臨死体験  川津
   http://search.yahoo.co.jp/search?p=+%E8%87%A8%E6%AD%BB%E4%BD%93%E9%A8%93++%E5%B7%9D%E6%B4%A5&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

     川津祐介の神住まう家  http://blog.livedoor.jp/kawazuyusuke/

  「私たちがこの世で死んであの世に旅立つとき、私たちはこの世で手に入れたものをすべてこの世に置いてゆく。肉体はすべて地球にあった物質を一時お借りしただけのものだから、地球にお返ししてゆく。名前も置いてゆく。一生涯かけて築き上げた地位も財産も置いてゆく。貯金も、車も、家も・・・・そして、私たちは生前自分が心の中でエネルギーを送り続けた世界に帰ってゆく。感謝することを知らず、恨み続けた人は、恨みが渦巻く世界に帰ってゆく。怒り続けた人は、修羅の念が渦巻く世界に帰ってゆく。そして、許し、感謝し、愛を生きた人間は明るい世界に帰ってゆく。私に起こった三度の死は、そのことを私に教えた。信じるか否かは、あなたが決めることである。そして、どのように生きるかもあなたにゆだねられている。」 (p152)

   「あの世には明るい世界も暗い世界もある。明るい世界は、この世の明るさとは比較にならない透明な光に満ちた、輝くような歓びを伴った明るさがある。そして、なんとも言えぬ温かさがあり、何もかもが美しい。花一つとっても、この世界の花とは比べものにならないくらい美しい。あそこにもう一度行けるなら、この世で手に入れたものすべてと引き換えにしてもいいと思う。しかし暗い世界は本当に暗い。暗いだけでない。狂いそうになるほど怖い。淋しい。冷たい。霊の次元の冷たさ、裸の魂になって味わう怖さ、淋しさ、心細さは現身の中にいるときの人間の想像を絶する。魂だけになってあの暗い世界に行くことになったら、それこそ大変だ。もう二度と行きたくない。絶対に行きたくない。また、誰一人行ってほしくない。あの世界に行きそうな人がいたら、私はひざまずいてでもその人に止めてくれと頼みたい。私がひざまずくことで止めてくれるなら、私は、そうしたい。

明るい世界に行くか。暗い世界に行くか。その選択は、誰もが日常を生きるその生き方にかかっている。日常を生きる中で感じたり、考えたり、行ったりしたことの積み重ねの総和が、死後私たちが行く世界を決める。略奪をし、他人の幸せを破壊し、他人を苦しめておいて天国に行こうと思っても、絶対に無理だ。意地悪をし、いじめておいて明るい世界を目指しても絶対に行くことはできない。

心の世界にはたらく重力の法則は、思いのほか精緻で厳しい。心の中の世界が本当に明るく軽やかであったか、どうか。心の中にいつも感謝がたたえられていたか、どうか。心の中で思ったことが本当に思いやりや優しさに満ちていたか、どうか。私たちが測り知ることができない尺度できっちりと測られている。そしてその人の思い方、考え方、生き方の総和が行くべき世界を決める。

恨み、憎しみ、怒り、嫉み、妬みの感情は重く暗い。その思いとともに生きるならば、精神世界の重力の法則に従って、暗い重い世界に行く。このとき、自分がしてしまったことを他人のせい、社会のせい、いきさつのせいにはできない。魂にとってはすべてが条件にすぎないからだ。貧しかったから、親がこうだったから、あいつが先に手を出してきたから・・・・という言い訳はいっさい通用しない。私たちはその条件を引き受ける約束をして生まれてきている。魂の次元では言い訳も言い逃れも通用しない。

神はあるか? 神はある。私はそのことを知った。何と幸運であったかと思う。」(p164~)

『三回死んでわかったこと』 川津祐介著 小学館文庫 2005  より

    "三回死んでわかったこと"
    http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E4%B8%89%E5%9B%9E%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


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