犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

正月休みが終わり仕事が始まった

2015-01-05 07:55:19 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 国道を渡って大きな川沿いの道を東上し2つ目の枝道を左折して北上し市の施設の駐車場を通って帰るコースを歩く。空は晴れており風はない。最初、寒く感じ指先はかじかんだが、歩いている内に体は温まり指先までほかほかしてきた。しまった、汗を掻くかもしれないと心配した程、温かくなった。

 近所の家の庭のサザンカの木からキュウキュウという軽く透明な声がしきりにしていた。近付くとそれがチッチの声に変わった。メジロだろうか。

 国道は上りも下りも車の列が出来ていた。正月休みが終わり仕事が始まったのだ。

 犬は歩くとはさっさと走るように歩くが、留まると長い。何か気になるものがあると嗅ぎそれが何かを確かめるまで時間を掛ける。

 8時15分前に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。小倉の親戚がリードを持ってくれた。

 暖かい。気温がかなり上昇しているようだ。お日様も出ているし南寄りの風が僅かに吹いて暖かいのだ。

 家の近くの郵便ポストにやっと出来た賀状を投函する。

 グラウンドでカイトが揚がっていた。また、海岸でも見た。どちらも大人が揚げていた。
 確かに昔の遊びを子供たちはしなくなった。昔の遊びといっても定義が曖昧なのだが、自分が子供の頃としても、正月は凧揚げ、独楽回し、双六、カルタ取り、福笑いなどであった。が、それらはその時の流行だったとも思える。遊びに限らず現象はどんどん変化していくのが当然なのだ。というのも人は同じことに耐えられないからだ。ちょっとでも変わったもの新しいものに人は惹かれるのだ。
 玄関の正月飾りでも今では一割位しか飾っていない。車と来たら二,三台見掛けただけだ。車に付けていたのは一つには家と同じように考えていたからではなかろうか。交通事故防止の神頼みの面もあったかもしれない。だが、今や車は移動手段か運搬手段としてしか見られなくなった。生活が変われば社会も意識も当然変わる。みな一時の流行である。

 グラウンド、公園を通って海岸に向かう。

 浜に下りて北に向かう。風景はかすんでいた。

 チドリが浅い海に入っていた。時々くちばしを水に入れるので何かを捕って食べているのだろう。

 高い空にはトビがゆっくり旋回し低い空にカラスが南の塒に向かい海の上をカモメが羽ばたく。

 犬は暑く感じるのか常に赤い口を開けていた。

 5時15分前に帰着。