犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

芝生のない所を選んで歩く

2016-03-31 07:18:09 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 隣の駅の近くまで行きヘアピンカーブを回って帰るコースを歩く。曇り。

 ヘアピンカーブの所まではほぼ直線コース。家から参道を東上し国道に出てからは北上する。が、ヘアピンカーブを回ってからは家の間の道を選んで歩く。出来るだけ芝生のない所を歩きたいのだ。少々遠回りになっても仕方がない。芝生のある所で犬の費やす時間を考えたら遠回りは遠回りではなくなる。
 犬にしてみたら何という嫌がらせだと思うかも知れないが、そのようにして歩いても芝生の所はいくらでもあるのだ。犬の立ち寄り先が減ったということに過ぎない。

 7時5分に帰着。汗をかいたので肌着を着替える。この気温で普通に歩いていたら汗が出るはずもないのだが。




 昨夕の散歩について

 4時10分前に犬の散歩に出掛ける。

 公園もグラウンドも桜の木に花が咲く。咲き始めると早いものだ。三分咲き位だろう。公園もグラウンドも子供の天国になっていた。気候が良くなりみんな気分が良いのだろう。寒さに耐えていたからこその嬉しさである。
 これを展開するに不幸がなければ幸せなしということか。幸せがなければ不幸はなしということの裏返しではあるが。そういう何もかもない世界はやがて誰にでも訪れる。
 だが生きている以上、人間間には何でもありということであり、特に正逆でワンセットになっている点は特徴的だ。二元論は自然においても社会においても有効な範囲は甚だ広いと言わねばならない。
 よく言われるが好きの反対は嫌いではない。好きも嫌いも同じものなのだ。対象に深くコミットしている点において。観点の軸を共有しているのだ。それから外れているのが無関心である。無や非や反は要注意語だ。それぞれ似て非なるものだ。

 海岸に出て南の鼻ヅラを見ると山の中に白いものが点々と見える。屹度、山桜だろう。

 突堤に向かっている時、猫を連れた人が先端から戻っているのが見えた。餌をやるから猫が付いて来る。
 もう突堤に上がる気がなくなる。

 4時半に帰着。