ほぼ週二 横浜の山の中通信

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鉄道よもやま話 1 ~SLの思い出~

2015年03月19日 | 鉄道・リニア新幹線・航空機

 私が小学生の頃、京都駅の西方に広大な国鉄用地があり、その一角にSLなどが煙を吐いている梅小路機関区がありました。ここにSLが遅くまで残ったのは、山陰線が長く非電化だったからです。山陰線の京都-丹波口-二条-花園-嵯峨までは、単線・非電化で市街地を通り、嵯峨駅(今は嵯峨嵐山駅)の先でトンネルに入って行きます。

 

(ここに昔の梅小路機関区の写真を入れる予定)

 

もっとも当時でもほとんどはディーゼルカーで、たまにSLが客車を引いていました。私は山陰線でSLに乗ったハッキリした記憶がありません。

 

私がSLに乗った記憶が今も残っているのは、おそらく北海道だったと思います。このSLの旅は快適ではありません。客車の窓はうす汚れて外が見えにくいし、客車の両端の乗降口は吹きさらしのオープンデッキなので客室のドアを開閉するたびに外気が流れ込み、窓を閉めていても何か車内はほこりっぽく臭いし、喉がおかしくなりました。長く停車している駅でプラットフォームに降り、水道で顔を洗った記憶があります。その昔、古びたプラットフォームには水道が必ずあったので、なるほど昔の旅行に駅の水道は必須だと妙に感心しました。

復元されたSLに乗っている人たちが、TVでニコニコして「良かった」と言っています。 今の客車の乗降口はオープンデッキではなく、しかも自動扉なので、車内に煙も入らないのでしょう。それだけ昔の風情は無いですが。

 

山陰線のSLの思い出は、昭和40年代初めの高校生の頃、二条駅近くの平地の踏切を渡ろうとしたら遮断機が下りて来たので待っていると、二条駅を発車した下りのSLが数両の客車を引いて轟音と共に1m先を通り過ぎて行きました。さすがC形の動輪はデカく、自分の身長くらいあって迫力満点でした。

 

この「自分の身長くらいの動輪」という記憶が誇張して覚えていたのかな?と思い、インターネットで調べました。すると当時山陰線を走っていたのはC57らしいので、通り過ぎたSLがC57形とすると動輪の直径は175cmあり、自分の身長172cmと同じくらいなので、記憶は合っていました。

 

(注)SLのC形とD形

客車用のSLの動輪(ピストンに繋がった車輪)はスピードが出るように直径は大きく片側3個なのでC、主に貨車を引くSLの動輪は直径が小さく片側4個なのでD。

 

ところで最近、鉄道ファンとおぼしき人が、ディーゼルカーを「電車!」と言っているのをTVで見て、「あほ!」と思いました。頭の弱そうなかわいい女の子が「電車!」と言っているのは「演出だし仕方ないか!」と思いますが、鉄道マニアがねぇ。「プラットフォームの水道で顔を洗って出直してこい!」ですね。

2015.03.19

 

題名を「SLの思い出」から変更しました。

2017.04.17

 


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