「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「一日仕事に」

2024年01月20日 | 趣味・・エッセイ

                
                     パソコン修理

時々拗ねて横向いたら、なかなか素直になってくれない。お願いだからご機嫌直してよ。精一杯努力するからさ・・・。などと言った昔を思い出されたお父さん、あなたはまだまだお若い。そんな昔があったことも忘れたりするよりはいい。なんていう艶のある話ではなくて、いつも普通に使っているはずの愛しのパソコンちゃんが時々拗ねて、にっちもさっちもいかなくなった時ふとそんな遠い昔を思い出す。

そんな話は置いといて、もう我が家にやってきて5年目で私の手垢も馴染んだ中性能のパソコンちゃん。
今までも何度か不機嫌はあった。その都度、同級生の腕達者やパソコンをこよなく愛する友人の知恵を借りてなんとかかんとかやりくりして来た。今回は少し違った。それだけ余分なところを触ったり、押してはいけないポイントを押してしまったのか、すんなり元通りにならない。焦ったというかあずったね~。

いっそのこと購入した時の状態に戻すリカバリーしてしまおうか、とイラつかされた。だが待てよ、下手に短気を起こしてやってしまうと、あれこれ取り込んだ独自の使いやすさが失われるんじゃないか。思い直してまた最初っから根気を詰めてやり直してみる。そろそろ機嫌直した方がいいんでない?と開き直り気味になっても、パソコンデスクの上で小さな体ではあっても、どっしりした威圧感さえ見せている。こいつがねー

取説と首っ引きでおよそ一日。なんとか元にちかい形になたてので良しとするか、明日また今一度完璧復帰を目指してもう一度マウスを握りしめるのか、頭を枕に着けて考えよう。ま、このままでしばらく行こうという落ち着き方がいちばんいいのかもねー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジジ・ババのチカラ」

2024年01月19日 | 地域活動

私たち地域活動のこの季節のメイン行事の一つ、小学1年生を対象にした「昔のあそび」が、17・18日の2日間、地元にある二つの小学校で行われた。
同じ地元にある小学校ながら、一方は56人で29人と27人の二クラス。一方は1年生全員が14しかいなくて一クラス。学校側もそれぞれの事情に柔軟な対応をされているのだと思う。我々も、それぞれにあそびの種目を調整したり柔軟な対応をした。

ただ、この昔の遊びに対しては、応援参加の地域の人たちが多い。児童数の少ない学校ではマンツーマン以上の指導者数に目をパチクリさせる子も。片方は一つの種目に3人貼り付けて対応するなど、面白い現象が見られた。

  
          福わらい                   あやとり

1年生対象なので、飲み込みの早さには歴然とした差が見られたり、「オレじいちゃんに習ってきたから出来るよ」と、こちらのジジババの説明など聞く耳持たぬ子もいる。
  
         コマ回し                     輪回し

我々の手でこしらえた竹ポックリや竹うま、自転車のタイヤ・チューブを取り外したリムの輪回し、コマ回しなどは特に早く生まれた子や遅く生まれた子、お父さんお母さんの一緒に遊ぶ時間の長さ、じいちゃんばあちゃんが近くにいるかいないか。そんな生活様式が垣間見えて面白い。
  
       竹ポックリ                     竹うま
    
        昔あそび終了後、児童から肩もみのサービスを受ける、地域の人たち 

昔の遊び授業の締めくくりは、参加した地域住民へこどもたちが直接のお返しをするシーン。お礼の言葉や肩もみがあったり、子どもたちが集めた花びらを押し花にしたものをラミネート加工した栞のプレゼントなど様々。結構つかれるがとても面白い取り組みであるし、子どもたちがモロに喜んでくれるのがいい。

我が家にもジジババの手を通過したのが二人、今少しバーさまの料理をあてにする現役が一人。これからジジババの手を待つ幼い二人がいる。今回。ジジババの偉大な存在価値を見せた子がいたように、ジジババもまだまだがんばるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「29年の歳月」

2024年01月17日 | 思い出話

阪神淡路大震災から29年
そのとき私は


高齢の母と妻を残して、ふるさとから遠く離れた東京都世田谷区三軒茶屋の単身赴任寮で、出勤を前に朝ご飯のテーブルに着いた。その時、いまでも体中を衝撃が走る凄まじい光景がテレビ画面いっぱいに広がっていた。大きなビルが根元から折れて真横になっている。今にも倒れんばかりに傾いたビル。その向こう左右あちこちから煙が立ち上っている。メラメラ燃える炎も見える。

しばらくして阪神淡路大震災のまさに第一現場を捉えたNHK報道写真の一部であることが確認できた。
どれだけの人が亡くなったのか、家族や家や家財一式を失い途方に暮れる人がどれだけいるのだろう。などと混乱する頭の中であれこれ想像するばかり。
会社に着いてようやく、断片的ではあるが信ぴょう性のあるコメントが投げかけられる。

陸上の完全道路はもちろん、JR山陽線など軒並み不通となり、岩国工場と本社の通路は一時的に断ち切られた。こんな地獄絵が容赦なく目の前に晒される自然災害は、全く意図しない我々の前にいとも簡単に表れる。陸路を断たれた本社と工場間、大量の製品輸送の最初に開通されたのが海路であったと記憶する。人の往来は空路となった。

阪神淡路大震災から神戸が、関西が復興して一安心したころに東日本大震災。さらには熊本地震など多くの自然災害が重なってまた今回の能登半島地震襲来。
災害は忘れたころにやって来るはずなのに、忘れるどころか舌の根の渇く間もなく襲い来る災害。どうやって
自身を守り家族を財産を守るか、厳しい宿題が投げかけられている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高齢の働き者」

2024年01月16日 | つれづれ噺

                  

乗用車とは別に、言うなればサイドカーとして、義兄が山間の里で愛用していた軽トラックをもらい受けて以来、養子先の我が家の強力な助っ人として働いてくれている。古い古い世代のギアチェンジ、車検が通るからまあ載せていただこうというほどのおんぼろろ~ではあるが、ひとたび走り出すと4WD馬力でゴンゴン走る。そんな馬力があるから、いざと言う時の頼もしいお助けマンの役割りを果たす。

いつ寿命が切れてもおかしくないというほどのロートルである。まさに高齢者なのにその見事な働きぶりについつい甘えて、ありがとうねなどと声を掛けながら色々お世話になっている。ただこのロートルも、私のような普通の人間が感謝しながら運転する分には何の問題もない。ただ、倅のようなカーキチに言わせると「アクセルのワイヤーの滑りが悪いので足を離した時のアクセルペダルの戻りが遅いね」とか「ウインカーの左右の早さが異なるのでどこかおかしいよ」とか。高齢ゆえのちょっとした息切れも厳しく指摘する。

それもこれも、常時運転するこのロートルに何事もないようにとの気遣いではある。近いうちに知り合いの車屋さんにでも行ってみよう。それにしても、雨にも負けず風にも負けず、急な登り坂も4WDで突っ走る。荷物?そんなもんは目じゃないよと言わんばかりの奮闘ぶり。ロートル軽トラばんざいである。

運転するこのロートルも、軽トラの馬力にあやかりたいが今はちょっとね、無理が効かない状態だから。それもこれも明日になればこれからの方向性が出される。運転者の車検みたいなもので合格すれば儲けものってところですかね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2週間の重み」

2024年01月15日 | ニュース・世相

            

正月元旦に襲いかかった能登半島地震。絶望と苦難と暗闇と渇望の中で2週間という日々を過ごした。
早いものでもう今年も2週間が過ぎたね~という時間の流れの速さを言う2週間とはまるで中味が違う。
どんな思いで、どんな苦悩の中で日々の朝を迎えておられるのだろう。

政府はもとより、全国各地から支援の手が差し伸べられ、物心両面から大きな支援とエールが送られている。
それでも、我が住む家を追われ、生業を奪われた上に、道路事情の悪化で外にも出られず、遠方の知己や友達と遮断され音信もままならない生活。お風呂やトイレの不自由も想像を超えるお気の毒な生活。

一日も早くそういった避難生活から解放させてあげたいと思うが、ライフラインの全てが崩壊された現実は現時点では如何ともし難いらしく、ただただ今を耐えて新たな光が差し込むのを待って頂くしかない、本当に辛いときである。

何よりも辛いのは、2週間と言う期間を経てもなお見つかっていない家族の姓名を公表して、行方の連絡を待つという行動を取らざるを得ない家族の思いである。元気で目の前に現れて欲しい。それがダメならせめて遠く離れたところからでも元気でいる便りを発信して欲しい。ありとあらゆる方法で探し出して、結末を見届けたい気持ち。入り混じる複雑な思いを、ただ想像するしかない。心からお察し申し上げますというしかない。

辛い2週間。これから先どこまでの辛さに耐えられるのだろう。ただただご自身を大切に、現実と向き合っていって欲しいと願うばかりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地域の元気の源」

2024年01月14日 | 地域活動

            
              小さな地域の小さな「とんど祭り」

自治会の来年度の役員選定や基本的な活動方針を話し合う会合に、オブザーバーとしての出席を依頼された。
現役の役員ではないが、自治会運営には意見を聞いておいた方がいいんじゃない?という程度のおまけメンバーとしての参加ではある。しかし、しばらくは黙って聞いているが少し違う方向に行きかけたらついつい黙ってばかりはいられない。

自分の発言が正論かどうかは、発言を訊いた現職の役員さんたちが判断すればいい。色々ケースごとの修正を加えればいい。私は自治会員の一人として、また地域活動を様々に経験している立場で、現在の高齢化社会での自治会の在り方、存在価値を示すにはどうするのがよいかという基本スタンスは、どこまで行っても変わらない一種頑固に見える持論を持っている。

現職が他地区の体験話を聞いてくるのは負の体験ばかり。負の体験ばかりを聞かされるとなかなか積極性が出てこない。そんな時こそ「人が何と言おうとアナタの気持ちはどうなのか?」を訪ねて、たとえちっぽけな自治会運営と言えども人の世話をすることであり、多くの人の居心地を善くすることを考える。それは意外に面白みのあることで、決して無駄なことではない。と吹聴したくなる。人から好かれないイヤな性分ではある。

地域に余る高齢者のパワーを活用できるのは、先ずは自治会という組織である。そこから外へ広がって面白さを味わって自治会に戻ってくる。それは何となく子育てに似ている。外へ行きっぱなしで戻ってこない当て外れも大いにある、これも子育ての宿命であろう。どっちにしたって、自分の居場所を少しでも楽しくしていけばやがて周りの人に楽しさが伝染すれかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「悪魔のいない世の中は」

2024年01月13日 | つれづれ噺

           
                   この世は悪魔の天国か?

正月元旦の能登半島地震から日がたつにつれて、新たな被害も見つかり、先の見えない自然災害の大きさにおののくばかりである。そんな激甚災害に指定される被災現場においてさえ、まるで悪魔の仕業ような犯罪が人間の手で行われている。傾いた家主の弱みに付け込んで、応急修理費と称するブルーシートを玄関前に積み上げたり、碌な修復もせずに高額な修理代を請求して騙し取るという。日本人としては有り得ない犯罪である。何年か前までは。

今は違う。情や義理、限度限界をはるかに超える、非人間的な犯罪がそこここに転がっている。ほんの少しの油断や不注意で足を取られて転んで大けがをさせられる。そんな犯罪を生業(なりわい)として暗躍するグループが捕まって一段落するのかと思う間もなく、連日〝絶て特殊詐欺“ といった犯罪被害の記事が後を絶たない。

正月明けから山口県でも1千数百万の被害が2件発生している。いずれもキャッシュカードを騙し取られる前後の暗証番号を口に出して相手に伝えている。銀行職員だの警察官だの弁護士だの、様々な職業を並べて不安を煽る劇場型と言われる芝居をして引っかける。引っかからざるを得ないように間髪を入れずまくし立てて、80歳を超えた高齢女性の思考を麻痺させてしまうのだろう。私たちのパソコンに誘惑の画面が出て、クレジットカードの情報を抜き取ろうとする仕掛けは1日に何通も入ってくる。

今一度考えておきたいことは、暗証番号を他人に教えることは「財産の根こそぎ放棄」であることを周囲の高齢者に口を酸っぱくして教えてあげたい。しかもキャッシュカードを手放すこと自体も同じく「財産根こそぎ放棄」なのである。ここ数年、オレオレ詐欺以来あれだけ騒がれている特殊詐欺に未だにまんまと騙されるのも如何なものか。いくら手口が巧妙化したとしても、とどのつまりは「キャッシュカード」「暗唱番号」「現金を受け取りに行く」という形になるのだろう。どこかで何かのヒントを得て誰かに話してみて欲しいものだ。

❝ 浜の真砂は尽きるとも 世に盗賊の種は尽きまじ ❞ と大見得を切ったのは日本駄右衛門だったかな。
歌舞伎の世界に君臨するのは許せるが、現実の世界で純真な人々を苦しめる奴は許せないね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「地域貢献!」

2024年01月12日 | 追っかけ爺!

              
               とんど焼き、イラスト(ネット拝借) 

お正月飾りや昨年の初詣で買い求めた破魔矢など、1年間家庭のお守りとしての役目を果たした品々に感謝を込めて、完全に燃やすことで昇華させる「とんど焼き」「とんど祭り」が各地で行われている。
我が住む地域では明後日と決められており、明日はその準備があるという。

中学校2年生も3学期を迎えた孫君が、友達数人を誘ってとんど焼き準備のお手伝いに行くことにしたと誇らしげに言う。地元自治会連合会の世話役から学校の方へ、よかったら何人か手伝いが欲しいという依頼があったようだ。「オレ、参加するからじいちゃん車に乗せて行ってくれ」という。「通学路の途中にある公園なんだから通学チャリで行く方がええよ、帰りも自由になるし」ということでジジは顔を出さないことにした。

本当はジジが一緒に行って、お手伝いとはどういう立ち位置なのか、どんな配慮をするのか教えておくのがいいのかなとも考えた。いやいやそうじゃない、ジジという保護者がいないところで、初顔合わせの地元のじいちゃんたちとどれだけのことが出来るのか。どんな役に立ったのか。それを密かに確かめたかった。後で地元の世話役に尋ねれば孫君たちの行動は全て教えてくれる。

大したことはできないと思うが、昨年11月の海岸清掃では、集めたごみの集積係としてそれはそれは的確な仕事をしていたのを遠くから見ていたので少しは安心している。生意気にこいつめ、何も知らぬような顔をしてジジがやってきた背中を見てきたのかな。などと思わせるふるさとの年中行事のお手伝いである。
大いに尻を叩いて応援してやろう。クラブ活動の指導も学校から地元有志に引き継ごうという時代。学校と地域の橋渡しになる活動は大切である。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鏡開き」

2024年01月11日 | 季節の移ろい・出来事

           

今日1月11日は鏡開き。お正月を迎えるに当って、神仏にお供えした鏡餅を美味しく頂く日とされている。
昔は二十日正月といって、20日に鏡開きを行っていたのだが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったという説もあるようだが、これは諸説あるようだ。

もともと武家社会の行事であって鏡開きは、「具足祝い」という戦国時代の武士の風習に由来するといわれている。お正月に刀や鎧、兜などの前に鏡餅を供え、それを下ろして食べる行事である。
また、鏡餅には「歯固め」という意味もあって、宮中の「歯固め」の儀式に由来し、丈夫な歯の持ち主は何でも食べられ長生きできるので、新年の健康と長寿を願い、固くなった鏡餅を食べたという逸話もある。

いずれにも共通するのは、年の初めに年神様が家々に訪れるため、鏡餅を召し上がっていただくことでその力を授けてもらい、1年の一家の無病息災を願っていた。鏡餅は、供えて、おろし、開いて食べてこそ意義があることから、小さなかけらも残さず食べるのが佳いとされている。

なんで鏡餅と呼ぶのか。元々神様を象徴する銅製のまん丸い鏡、太陽の光を丸く受け止めその反射をあらたかなものとして崇める風習が根付いて、神様に備える餅を鏡になぞらえて丸くしたことに由来すると言われているがこれも諸説あるのかもしれない。
いろんな話はあるが、正月に神様にお供えをすることは人間としての気持ちの問題である。家内安全や無病息災を念じた鏡餅をこの日に頂いて元気を付ける。やっておきたい1年の行事である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「歌手 八代亜紀」

2024年01月10日 | つれづれ噺

               

額に汗して働いた私たちを、色んな形で癒してくれたネオン街。そんな場所には必ずと言っていいほど、歌手八代亜紀のあの独特な歌声が流れていた。テレビ映えするパフォーマンスと何となく愛嬌のある人柄、そんなものが見えるような気にさせられて応援したくなる歌手の一人であった。もちろん好みがあるからこれは私個人の話である。

しかも彼女とは、超一流の売れっ子時代に思いもよらぬ偶然で、至近距離といってもいいほどとても身近に感じさせる出来事があった。これもこちらが宝物のように大切に覚えているだけで、彼女の頭の片隅にも記憶のかけらも残ってはいない話ではある。世の中には演歌歌手と言う名の素敵な女性は星の数ほどいるが、そんな中でもたった一人だけ特別に近しく感じている。

お隣広島県にある、習字の筆からお化粧に使う柔らかい刷毛まで、ありとあらゆる筆を作る「熊野筆の里工房」がある。何年前だったか筆の里工房に遊びに行こうと思い立って、何の下調べもなく何も考えずにふら~っと出かけた。筆の作り方などを見る前に先ず目を引いたのが素敵な風景画であった。「歌手八代亜紀作品」と書かれていた。ふ~ん、彼女は画家とは聞いていたがこんな絵を描くのか、ぐらいの感想だった。

そこへ中国新聞の記者が表れていきなり「間もなく八代亜紀さんご本人が自身の絵を見に来られるので、このまま自然な形で一緒に絵を見てください」とエキストラを頼まれた。まさしく彼女が腰を曲げてのぞき込む傍でカミさんと二人で、それとなく絵を見てはいるが心臓はバックンバックン。それに続く彼女のトークショーと抽選会では、これも偶然で彼女お好みの頬紅刷毛が当たって彼女と握手して刷毛をもらって帰るという偶然が重なった。そんな印象深いご縁もあって少なからず応援していた八代亜紀さん。73才の生涯は速いよねー。

第一線を走り続ける歌手と言う仕事。中傷や蔭口の山を乗り越え、自分の地位を守るのは並の精神力ではないのだろう。華やかなイメージのままで永遠の眠りにつくのはいいねー。惜しいが仕方ない。安らかな眠りを祈りたい。 合掌

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい