「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「一枚脱いで」

2019年03月06日 | 季節の移ろい・出来事

                                    

寒さに耐えるために地中に潜っていた虫たちも、地上に出ようと言う気になり始める季節。
蟄(あな)を啓て(ひらいて)世間に顔を出そうとする様子を、簡単に言うと「啓蟄」という言葉になるのだろう。

二十四節季の中でも一番身近に季節を感じる「節季」ではある。つまり移り行く季節の節目として、心揺さぶるものがある。
さあ、春が目の前だ!重ね着を1枚減らして身軽になろう。そして躍動の一つもしてみよう。という意欲を掻き立てられるような気がする。それも、花粉症などという厄介なアレルギー体質を持っていないから、そんな呑気なことが言えるのかもしれない。

花粉症に泣かされる向きにとっては、お気の毒なシーズン到来というから、季節の移り変わり一つをとっても、人間社会は思いのままにならぬものではある。

しかしながら、啓蟄を迎えたからと言って何もかも陽気に、前向きに、とばかりではいられない悩みも抱えてはいる。ただそのような事柄に対してでも2月の冷え込みよりは、少し気持ちが上向くということか。
喜寿同窓会の返信状況がはかばかしくない。返信はがきは先ず先ず順調に帰って来ている。
問題は出席者の数である。「お陰様で元気です。皆さんによろしくお伝えください」と、堂々と欠席に〇をして寄越す地元在住者の何と多いことか。

地元で元気に暮らしているのなら、最後の同窓会に出席したら・・・と言いたくなる。これは幹事の思い。
それとこれとは話が違う。行きたくないものは行きたくない・・・。これが欠席する者の言い分。
まあどっちにも言い分がある。が、それらをなんとかクリアーして実行に移すのが案内状を発信した幹事の務めである。
「今回は出席できないが、最後と言わず、有志だけでも集めて傘寿の祝いを計画してくれよ」という我がまま男もいる(笑)かたや「一回も出たことにない同窓会に最後なので出席します。楽しみです」という女性もいる。

締め切りまで10日を切った。あと10人上乗せが欲しいな~。無理だろうな~。
穴から這い出て、最後の同窓会に来てみんさいや、面白いけ~。と独り言。ちょっと切なさを伴う啓蟄ではある。

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「姉、三回忌法要」

2019年03月03日 | つれづれ噺

                               

晴天の霹靂。寝耳に水。全く予期せぬ、姉の突然の死から早くもまる2年が過ぎた。
東京に住む長男一家と奈良に住む次男一家の総勢7人が帰省し、姉弟や甥・姪などが集まって、三回忌法要を営んだ。

浄土真宗本願寺派の住職のお話しでは「一周忌というのは、亡くなった日から1年たった命日をご縁として仏法に遇い、阿弥陀さまの恩徳に報謝する思いでお勤めする法要です」ということで、「回忌法要は亡くなったその日を1回忌として起算し、その後まる2年を経過した日を三回忌として法要を営むことです」ということであったような。

要するに、交通事故という突然の訃報に接したのが一昨年3月4日。あれからまる2年を経過した今日を、三回忌法要として近しい親族が菩提寺にお詣りに出向いたという次第。門前の小僧ではないが、お経本を配られて、住職に倣い習わぬ経を読ませて頂いた。少しはそちらの方面も勉強しておけばよかった、と反省する傍らで、妙に気持ちの静まりを覚えたのは、ここに改めて姉に対する供養になったのだろうと思いたい。

今思い返しても、自分の人生を自分の思い通りに生き抜いた生涯であったように思える。
だから、今さらなにおか況やではあるが、もう少し長く生きて、子どもたちとの接触や孫の成長を見守りたかったのではないか、という弟としての老婆心は頭をもたげる。

それにしても、月日の流れは早いね~。あの日あの時から早くも丸2年という歳月が。
時間を大切にして、やるべきことはちゃんとやっておかないと、いつ途切れてしまうかわからないな・・・などと改めて思わされる読経の席であった。

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「新たな一歩を」

2019年03月01日 | 家族・孫話

                                  

私たち夫婦に授かった初めての孫という存在。私が定年退職して間もなく始まった「孫守り」という新たな生活パターン。彼が1歳になった直後から今日まで、ず~っと離れることなく、日々の成長を楽しみ、そして見守って来た。
幼稚園のお遊戯会、運動会、学習発表会に始まって、小学校も、中学校も、ことあるごとにカメラを抱えて彼の姿を追った。我が家にも入り浸りで付き合ってきた。良くも悪くも、娘夫婦がすぐ近くに住んでいるという宿命みたいなものがあった。

そんな彼が、今日、平成という年号の最後となる平成31年3月1日 島根県立飯南高等学校を卒業した。仕事の都合でどうしても出席できない父親に代わってジジが、母親の運転するクルマに揺られて出席した。
一人ひとりが壇上に上がり、校長先生から直接卒業証書を授与された。最後となる校歌斉唱に声を張り上げ、在校生や大勢の保護者の拍手に送られて教室に戻る。ここからが、彼や彼女にとっての本当の意味での「涙のお別れとなる卒業式」が始まる。これまで母校の高校卒業式では経験してこなかった、最後の教室でのお別れ会に侍らせてもらった。

            を

羽織はかまに身を包んだ30代半ばとみられる男性教師が「おめでとう」の挨拶を始める前から、涙涙涙で言葉にならない。卒業生から励まされやっと言葉が出始めた。この一瞬で、孫君はいい学校でいい教師との巡り合いがあったことを確信した。

「2年前の4月。新天地にやって来てまさかの2年2組の担任に。君たちも驚いただろうが、君たちは僕を受け入れてくれた」から始まった感謝や感動の言葉は続く。そして3年となって過ごした1年間で一番の印象は?などと聞かないでくれ。それはあり過ぎるから。濃すぎるから。とまたハンカチを目に当てる。
そして改めて、一人ひとりに卒業証書と「こんな時欲しくはないだろうが・・・」と通知表を渡しながら、それぞれの個性を紹介して最後の言葉を一人ひとりに述べさせる。これは感動せずにはいられない「本当の卒業式」という思いで最後まで付き合った。

気持ちの中であふれかえる思いがなかなか言葉にならず、先ずは涙がほとばしる。ここでは男も女も関係なく感激の涙を流す。そしてやって来た我が孫君の番。意外に涙なく淡々と振り返った、と思っていたら「母ちゃん、遠いところを何回も何回も足を運ばせてごめん。今までは言えなかったけど、今は言える。」ここで下を向きしばらく次の言葉が出てこない。しばらくして「じいちゃん、ずーっと俺のこと見ていてくれてありがとう」などと言われるともういけん。メガネを外して下を向きハンカチの出番。実に感動的な卒業式を終えた。時計を見たら10時から始まった式から延々4時間半が過ぎていた。

                

こうして新たな一歩を踏み出した。
さてさて明日から、彼にとってどんな日々が待っているのだろう。
応援しようにもだんだんジジの手など届かなくなる遠くへ羽ばたくのであろう。ひたすら応援団は旗を振りエールを送るのだ。
ガンバレルーキー!!

コメント (4)
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