「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「月見る月」

2013年09月01日 | つれづれ噺

 
                                 

九月  長月  September  今日から9月。
長く続いた暑さに別れを告げたい人や、「金風」とも呼ばれる秋の風を待ち望む人は多いのだろう。
何を隠そう、涼しさの到来を一番待ち望んでいるのは、だれでもない、吾輩である。
猛暑酷暑と、逃げ場のない蒸し暑さに奪われた体力を、出来るだけ早く元に戻したいと欲張っている。

9月の満月は、1年中で最も明るくきれいに見えるという。心静かに見上げたいものである。
一方では、我が国の歴史の中で大きな自然災害がもっとも発生しやすいのが9月と言われて来た。
二百十日と恐れられ、台風よけの祈りを込めて鎮守様の祭りが準備される季節でもある。
それほどに稲作農家にとって魔の月でもあったのであろう。

9月1日を「防災の日」として、災害防止に備える気運が一番高まるのも、この9月という月である。
今年に限っては、7月、8月の異常気象や秋雨前線停滞で、猛烈な暑さに加え、ゲリラ豪雨や一極集中の長雨によって、日本全国いたるところで大きな爪痕が残された。いまだ復旧のめどさえ立たないところも多々ある。
せめて9月に入った今日から、少しは安穏な日が送れることを望みたいのだが、果たして・・・。

このような災害の状況をあれこれ思う時、あの東日本大震災で被災された方々の無念の思いは如何ばかりか、胸が痛む。
3.11。 たった2年半前の出来事である。なのに「風化させてはならない・・・」などと簡単な言葉を使うことに違和感をおぼえる。
「風化」とは、岩石が土に変わる変化の過程をいう。つまり、「心に刻まれたものが段々弱くなっていくこと」である。
とするならば、いまだ復興さえ覚束ないあの未曾有の大災害に「風化させては・・・」という言葉はあまりにも時期尚早の感強し。

防災をことさら強く思い描く9月。東日本大震災に向けて「あなたは何が出来ますか?」と問われると咄嗟には答えられない。
が、あのテレビ画面にくぎづけされた当日の、押し寄せる津波の悲惨さと恐怖は、生涯忘れることなどあり得ない。
いつどこで何が起きるか分からない自然災害。命を守る行動とはどんなことか、孫たちともゆっくり話し合いたい。

コメント (2)
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