「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「カマを研ぐ」

2013年09月19日 | つれづれ噺

           
               風に吹かれて裏側を見せる蓮の葉。その向こう、秋の夕焼け。

西の空を茜に染める秋の夕焼け。カマを研いで、気持ちも道具も明日の農作業に備える・・・。
そんな農を守る心構えが「秋の夕焼け、カマを研ぐ」ということわざになったのだろうか。
黄金色に実った稲の借り入れには、2・3日続くお天気が必要となる。夜露の降り具合も見極めなければならない。そんな、経験からくる勘や読みで、刈取りのタイミングを測る。これらが米作りの奥義でもある。

この頃では、コンバインという機械で刈取り、すぐにモミとなって乾燥機に放り込んで水分調整させる。
だから、それほどお天道様に頼り切ることもなくなった。
しかし昔はカマで刈り、ハゼに干して自然乾燥を待つ。その後脱穀してもみすり機で玄米にしていく。まさに八十八手のうちの八手も十手もかけてきた。
そういった意味でも秋の日和は大切なもので、収穫量に影響するほどの要素があった。

サツマイモ・レンコンなどの秋の実りは今がたけなわ。そして、クリ・柿・みかんなどなど、やはり味覚の秋である。
ところが、稲を作る田んぼもない、クリや柿もみかんの木も持たない、小生如き趣味程度の菜園愛好者にとっては、秋の夕焼けカマを研ぐというより、冬の実りに期待する部分が大きい。   

           
                秋の実り、サツマイモ(手前)。その向こう冬の実りを目指して

夏野菜の終わった畑の草取りに汗を流し、苦土石灰でお化粧を施し、秋ジャガ・大根・蕪・水菜など、今から種を蒔いて冬に実りを待つ野菜がいっぱいあるということ。
聖護院という丸大根と蕪の種を、水でふやかして蒔いたら三日目には小さな葉っぱが顔を出した。
ひたすら雨を待っているが、こちら方面はなかなか降りそうにない。水遣りもテクニックが要るほどのちっちゃな芽。
それでもこういった植物の種は嘘をつかない。裏切らない。 
手塩にかけて育てるぞ~。お正月用蕪の千枚漬けを頭に描いて・・・。 

今回畑に蒔いたように、これまでも畑以外のところで色んな種類の種を蒔いてきたように思う。
蒔いただけの色んな種類がきちんと実って我が身に跳ね返ってきたか、と問われるとなんと答えようか。
部分的に言えば、蒔いた種の何分の一かは確かに実ってくれたと思いたい。が総体的に言えば蒔いた種の多さに比べると、実りは決して多くなかったという結論に至る。
根本となる畑作りが悪かったのか、種を蒔いた後のフォローや肥しが足らなかったのか、気象条件に恵まれなかったのか、いずれにしても収穫が意外に少ないな~というのが実感である。

結果的に見れば、種を蒔いたつもりになっているだけで、実際は多くの種を蒔いて来なかったのではないか、などと思ってしまう。心の肥しと言える読書をしてきたか、思い切って色んな場所に赴いて他流試合を挑んできたか・・・。そう問われるとやはり答えはノーに近い。絶対的な種の蒔きようが足りなかったことになる。

畑が完全に枯れないうちに、今からでも遅くない。畑に見合った種を見繕って、蒔き続けてみるとするかな~。

コメント (4)
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