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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「命を燃やす」

2008年11月22日 | つれづれ噺
母が旅立って、ふた七日の法要を営んだ。
取りあえずは気持ちの切り替えが出来そうである。切り替えるきっかけにしなければとも思っている。

朝早く、思いがけない豪華な仏壇用花束が届けられた。今日がふた七日の法要であることを知っていたわけではないと思う。一昨日投函した喪中葉書を見て、旧知の友人が送ってくれたのだ。
葬送に際しては多くの方々から身に余る激励やご高配を頂いて勇気づけられた。感激しっぱなしだった。
そろそろ気持ちを切り替えなければ…と思っていた今日も朝から嬉しい思いをした。

法要勤行の後のお寺さんのお話に、興味深く耳を傾けた。
「お仏壇への造花のお供えはいけません。たとえ小さくても粗末でもいい、生きたお花を手向けて下さい。生きたお花は1週間もすれば枯れる、枯れて行くところに花の命が燃やされている。人間も同じで、一日元気で生きられたことは、一日死出の旅に近付いているということ。だから、一日といえども粗末にすることなく一生懸命生きましょう……」
およそこのような内容だったと思う。

兎に角今が大事、今日を精一杯生きる、その積み重ねが自分の人生の足跡そのものなのである。
打ちひしがれた数日をふり返ると、ちょっとみっともなかったかなーと反省もする。
しかしその時は、今日からの自分を、元気回復した自分の姿を想像しながら、エネルギーを貯め込んでいたのだと思いたい。

何がどうという確固たる理由があるわけではない。が、ふた七日までは身も心も喪に服そう、思いっきり母の死を悼もう、と自分に言い聞かせて過ごした。そして、これ以上沈んでいては却って母は悲しむだろう…という勝手な理屈をつけて、今日を境に元の自分に戻ろうというケジメをつけたかった。 やっぱり器用には生きられないのだろう。

“我が人生、今が旬” をモットーに、せっせと書き込んで行こうと思っています。
今後ともよろしくお付き合いくださいませませ……。

       ( 写真: 仏前に届けられた、命を燃やして生きる花 )
コメント (5)
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