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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「なつ、真っ盛り」

2019年08月02日 | 地域活動

 

もう1週間もすれば「立秋」が訪れるというのに、この暑さはまさしく半端ではない。文字通り、なつ真っ盛り!!
小学生の夏休みも10日あまりを経て、8月1日は登校日と決めている学校も多いようである。

そんな夏休み登校日を活用して「夏休み竹細工教室」を開くのが、我が住む町の地域活動の一つとして毎年行われている。
今年もまさに汗だくになりながら、地区内にある二つの小学校で、3年生以上合計130人を相手に、我々指導者述べ60人が手を取り足を取って教える作業は
大変な作業には違いない。しかし、竹笛、ガリガリトンボ、竹とんぼなど、時分の作品が完成した時の笑顔を見せられると、やっぱり汗を流しながら、朝早くから二日連続でお付き合いすることになる。

殊の外暑いこの夏、一つの小学校では学校側からのお気遣いを頂いて、蒸し暑い講堂から、エアコンの効いた教室で学年別に実施しましょうとのご提案。
これは正直有り難かった。しかも広い講堂に分散するよりは、教室という狭い空間が却って親近感を持たせる雰囲気がある。
教室ごとに閉会式を行う中で子ども達に「何か感想がありますか」と担任が声をかけると、「最初は難しくて何も出来なかったが、時分が手を出しているうちに
出来るようになり、作品が出来上がった達成感を感じた」という、ものすごい感想を述べる5年生に出会った。

 

普段使ったこともない、のこぎりやナタ、木槌に切り出しナイフなど、切れ者を使う教室故に、我々の方も慎重になる。
まさに手取足取りで教えることになる。そんなときふと思うのは、家庭でホンの少しでもそういったDIYをやった経験を持つ子は、飲み込みが実に早い。
実にはっきりと態度に表れる。

世のお父さんお母さん、全て既製品を買い与えるのが簡単解決ではあるが、ときに、子どもと一緒に工夫しながら、汗をかいてみるのも、家庭教育の基本
であり、子ども自身にとって大いにプアラスになることを知ってほしいものだ。

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「覚悟の果てに」

2019年07月21日 | 地域活動

             
         真夏の太陽に向かって咲くオニユリ!        オニユリと同じ色、燃えるオレンジキャップ!

数日前「覚悟の7月」という随筆ブログをしたためた。その覚悟とは、まさに今日7月21日(日)の一日を迎える心境を言葉にしたものであった。
執行部により再三再四の打ち合わせ。漁業関係者、海上保安庁、行政、自治会関係者、地元企業、助成金申請などなど、事前連絡とお願い。
その上で、スタッフ40数人を集めた実行委員会開催。綿密な作業分担と安全作業の徹底を確認し合った。

そして今日は男性スタッフ午前5時30分。女性スタッフは6時現地集合。スタッフである目印に、燃えるような「オレンジキャップ着用」を義務づけた。
そんなこんな周到な準備と、万全な熱中症対策、微細な怪我もさせない。などの体制を整えて今日という日を迎えるはずであった。
「ちょっと入れ込み過ぎかも」などと自らを振り返りながらも「安全に妥協なし」という現役時代の監督職さながらの立場を通させてもらった。

そんな覚悟も、夢見た達成感も。台風接近という天敵の前には、跡形もなく蹴散らされた。
ただ、中止を早くに決定した分、大きな混乱もなく、予報通りの大雨と、台風の暴風圏内による生暖かい南風の朝を迎えた。
但し、中止だからと言って家の窓から外を眺めているばかりではない。午前6時、現場に出向いて一応待機する。ひょっとして作業に来る人がいるかもしれない。
案の定、2組がクルマでやってきて、「本日中止」を確認して帰る人もいた。

あの大雨にも負けず風にも負けず、隣の空き地には今年も燃えるようなオニユリが咲いている。我々のスタッフ用オレンジキャップと同じ色。
この色には、何かしら気持ちの高ぶりを思わせる不思議な力があるような。
考えてみれば、あの猛烈な感情と明晰な頭脳の初代会長亡き後、現在の2代目会長と事務局二人が相談してこの色に決めた経緯がある。
ただそのとき、真夏の太陽に向かって力強く花開くオニユリの花の色がイメージされていたかどうか、今は定かではない。   

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「憎っくき台風5号!」

2019年07月20日 | 地域活動

                

台風5号の接近と、梅雨前線停滞というダブルパンチの気象予報で、21日(日)午前7時に予定していた地域活動の海岸清掃を中止にした。
実施3日前に打ち出す早めの中止宣言は、過去12回実施の中で初めてのことである。

「瀬戸内海環境保全大作戦」と銘打った、市内で最も長いと言われる約800mに及ぶ、自然の白い砂浜の漂着物を取り除く作業である。
今年が13回目。年々その規模は大きくなっていった。運営も年々スマートになり、安全対策も板についてきた。
市街地から南へ下ること約10km。そこから南北に横たわるJR山陽本線と国道188号線に平行する瀬戸内海沿岸の砂浜。

過去はいずれも「海の日」に実施してきた。元々が「海の日キャンペーン。瀬戸内海環境保全大作戦」という少し長いタイトルである。
今年は海の日が7月15日。梅雨明け宣言前で雨の心配があった。しかも潮の干満の関係で、15日午前7時は満潮に近く、潮が高かった。
ということは、海岸が狭くなり作業範囲が極めて狭められる。500人とも600人ともなる参加者の移動がままならない。移動時の危険が高まる。
等々の理由から、今年に限って海の日を避けて1週間遅らせることにした。

運命のいたずらとはこんなものか。海の日は晴れ上がり暑い日となったのに、明日21日は台風の風と大雨予報で中止に追い込まれることに。
そこで得た教訓は、今後も例年通り「海の日に実施」を基本線に、潮の干満に合わせて開始時刻をずらせることにしよう、と衆議一決。
来年以降はそれでいいとして、さて今年の中止の後始末をどうするか。これもまた大変なエネルギーである。

市長はじめ関係先に出した案内状の宛先に中止の連絡を怠りなく。リース予定の簡易トイレの断り。加入したボランティア保険の払い戻し請求。
地元各戸に配布した「参加要請」は仕方なしそのままにして、当日朝早く数人が現場に立って、参加者に中止の説明をする。等々。
広報担当は、8月1日付け発行の「社協だより」に取ってあった「海岸清掃記事」のスペースを他の記事と差し替え。これは待ったなし。

やればやったで大変ではあるが達成感は残る。中止になれば当日の労力は使わないが後始末に追われる。どっちもどっちも。
同じ大変なら、汗をかいて達成感を味わえる実施の方が有り難い。憎き台風ではある。
などと、予定した作業の中止くらいでは怒ってはバチがあたる。この台風や雨のお陰でどれだけの被害が出たことか。
被災地の皆さんに心からのお見舞いを申し上げるのが本来である。どうぞ、御身ご大切に。なさってください。

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「覚悟の7月」

2019年07月06日 | 地域活動

     
       下見開始前のミーティング               過去に骨折事故を起こした仮橋(今年は使用しない)

降りそうで降らない梅雨空のもと、午前7時集合で海岸清掃の現地調査へ20人招集。
それぞれの担当者や部署の責任者を集めて、7月21日本番の「瀬戸内海環境保全大作戦」海岸清掃の下見である。
何故今日なのか。本番当日と潮の干満が極めて近いことから、潮位はどの程度か、漂着ゴミの量や内容・状況は、対応に必要な用具や回収方法の具体策など、それぞれ担当者の目で確かめ、本番に備えてどのような準備をするか。という予備知識を蓄えてもらうのである。

執行部がいくら声を大きくして叫んでも通じないことが多いボランティア活動では、こういった直接の担当者の代表に、あらかじめ問題点を投げかけたうえで、実際に現場を踏んで事前調査をすること。これが何よりの成否の分かれ目となる。と信じている。
特に、安全確保・熱中症対策などは、準備に準備を重ねて、何事もなく終わらせることこそが執行部の腕の見せ所である。
500人600人という不特定多数を集めて、真夏の炎天下の作業である。注意力も散漫になりがちなところを、如何に事故無く終わらせるか。
神経を尖らせるところである。

今日の現地調査を踏まえて5日後には、それぞれの担当者が声をかけた身内の参加者を集めた実行委員会を開催する。
微に入り細にわたる資料をこしらえ、実行委員会で検討する。「塩飴は」「熱中症対策飲料は」「給水所の目印・パラソルは」「AED設置は」などなど
ありとあらゆる質問に答えられるよう、対応を練る。買い出しに走る。

そうこうして、ほぼ完璧と思いながら本番を迎える。
終わったその日に、撮った写真と記事をまとめ、翌日の午前中には印刷屋さんに提出する。そうしなければ8月1日発行の機関誌掲載に間に合わない。
まさしく、覚悟の7月である。一仕事終えた後の「泥落とし」という名のビールがさぞかし旨かろう。
それもこれも、全てが無事に、順調に終わった時の話である。やるっきゃないな~。それにしても暑いね~7月は。

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「ルールブック」

2019年05月10日 | 地域活動

           

このたび新たに取り組んでいる、小さな小さな小地域活動の「グラウンドゴルフ同好会」。
それこそ緒に就いたばかりのホヤホヤ組織のお試し期間。詳細なルールなどはまだ説明していない。最初っから小難しいことを言い立てて、嫌われてしまっては元も子もなくなるので、現段階では厳しいルールは度外視して、先ずはやりかたや遊びの方法などを説明している。

などというと厳しいルールがいっぱいあるような錯覚を起こすかもしれないが、実際にはそれほど厳しいルールでもない。
あるのは、ルールというよりも『大人のマナー』を守って、『お互いを尊重し合い、楽しく遊びましょう』という基本原則である。
高齢者の集まりと言うことは、世間の酸いも甘いも噛みしめた、言うなれば人生のベテランであり、やたら自己主張するだけではない、丸みのある成熟した集団、だと考えるのは果たして如何なものか。

高齢者ゆえに、自己主張を曲げにくい厄介な脳みそを確保している人も少なくない。
そこで、本格的な同好会を始める前にちゃんとしたルールブック縮小版を皆さんに配布するべく、編纂を重ねている。
第1章 エチケット 1~3条。 第2章 ゲームに関するルール 4~16条で構成されており、要するにこれだけのことをそこそこマスターしてゲームに臨めば、先ずは楽しく遊べますよ、と言った塩梅。

例えば第1章第1条。プレーヤーは自分のプレーが終わったら、すみやかに次のプレーヤーの妨げにならない場所に行く。
 解説:ボーっと突っ立っていてはいけませんよ、と教えている。
第2条では、プレーヤーは、同伴のプレーヤーが打つときには、話したり、ボールやホールポストの近くやうしろに立たない。また自分たちの前を行く組が終了するまで、ボールを打たない。
 解説:このようにきめ細かく決めておかないと、勝手な動きでプレーを妨げる恐れがある、ということ。
    油断をすると、プレー中であっても、個人的おしゃべりに大笑いしたりする無粋を戒めている。

 おばちゃんたちの集まりに是非聞いていただきたいルールではある。単なるマナーに過ぎないのだが。

第2章ゲームに関するルール第5条、用具では、クラブ、ボール、ホールポスト、スタートマットは定められたものを使用しなければならない。などなど。

要するに、言われてみれば「なるほど」と思えるのに、意外にも実際の場に立つとつい忘れそうな「マナーの欠如」を戒めている。
さて、これから始まる同好会が、どれほどのことを皆さんに守ってもらって、楽しく遊べるか、リーダーのお手並み拝見というところか。

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「また一つ背負いこんで」

2019年05月08日 | 地域活動

            

大型と大騒ぎした10連休も、個人的には「何をしたのかな~」といった塩梅で通り過ぎた。
強いていうなら、悠雅君のソフトボール応援と、姫孫二人としっかりじゃれあったことくらいか。
特に希さんは、上手にジジにつきまとい、花火見物も海の公園もおねだりしてきた。海の公園では、珍しいほどの大潮の最も大きな干潮で、普段は見ることもない沖の方まで潮が引いていて、お手手つないで海の中を遠くまで歩いた。

そんな連休に入ったら、今年の初めから自分の中で密かに練って来たあることへの挑戦が具体化して来た。
それが写真の如き「グラウンドゴルフ」の同好会結成である。
世に言う高齢化の一途をたどるこの団地の中で、何か一つみんなが気軽に笑顔で寄って、井戸端会議の一つもして時間を費やせる方法を探していた。「あった!これだ!」と取り敢えず注目したのが、グラウンドゴルフの世界である。

75世帯が集まる小さな団地に、〇〇街区公園という小さな公園がある。それこそお決まりのすべり台とブランコとシーソーがあるだけの、決して広くはないが高齢者にとってはほどほどの広さの公園である。10数年前までは、子どもの声が絶えない賑やかさだったのに、今はたま~にしか聞くことはない。この公園を活用してみようと思い立った次第。
先ずは近くのクラブが練習しているところを訪ね、様子を見ながら話を伺う。快くあれこれ教えてくれた上で「兎に角一緒にプレーしてみましょう」ということに。何度か大きな大会の取材にも出かけており、おおよそのことは飲み込んでいる。

             

そんなこんなを経て「街区公園は使用許可証が必要」ということで市役所に申請。運動公園管理者を訪ね、お試し用の道具一式を借り入れる手はずを整えてきた。ちょうど喜寿同窓会の準備と重なった上に、地域活動の総会を控えてその資料作りなどなど、目が回るほどの忙しさの中で、着実に準備し、連休の中ほどに1回目。連休明けの昨日から、お試し期間の2回目を楽しんでいる。13人が賛同して、入れ代わり立ち代わり参加している。
高齢者の引きこもりや、世間からの隔離を望むお年寄りが、一人でも二人でも減ってくれたらもうそれで十分。

集会所もない。ご近所づきあいも疎遠。そんな中で「向こう三軒両隣お付き合いの復活」を叫んだところで無駄な労力。それよりは、団地の公園で、ホールポストを目がけてクラブを振る。合間におしゃべりに花が咲く。そんな時間をみなさんと共有したいという、単純な発想である。この程度のことなら「喜寿でも始めることがある」とばかりに、ちょっとだけ張り切っている。
差し当たって、ホールポスト三基とスタートマットは私費で購入。ついでに当然ながらマイクラブ・マイボールも購入。

今日それらが届いたので、明日からはマイクラブでマイボールの尻を叩き、スコアを抑える技量を磨くぞ~。
ルールは普通のゴルフとお同じ。叩く回数が少ない方が勝ち。
それにしても「アンタも好きね~」という声が聞こえて来そうである。

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「如月ついたち」

2019年02月01日 | 地域活動

    
                      通学路安全見守りや一斉あいさつ運動など、登校時の児童と交流

「きさらぎついたち」は冷たい雨で始まった。この日は地域挙げての「一斉挨拶運動の日」と決められていた。
通勤ラッシュの国道沿いの狭い歩道を、傘をさして一列に並んで登校する小学生。中学校はもっと遠くになるので、雨合羽を着込んで自転車を走らせる中学生。そんな小中生を、地域の有志や各種団体の役員さんが、要所に立って挨拶したり、安全を呼び掛けたりする、青少年健全育成の大切な活動の一つである。

広報を受け持つ者は、それらの活動状況や、子どもたちとボランティアの人たちとの交流の様子をカメラに収める役割がある。普段よりかなり早く起きて、寒さ対策に加えて雨対策に身を包み、最寄りの小学校の通学路要所でカメラを構えて待つ。子どもたちが到着し過ぎ去っていく後を追って、次の要所でまたパチリ。これは、定位置に立って挨拶や声掛けするのとは異なるややこしさのある仕事である。報道カメラマンの慌ただしい動きによってこそ得られる「生きた写真」の意味が少し分かるような気がする瞬間である。

場所こそ違うが、実は我が子もかつては小中の通学ではお世話になった光景である。
いまその順送りで、自由に使える時間と体力の許す範囲で、我々がよその子どもたちを見守っているというところか。
その昔は、通学路の至る所に「こわもてのおばあちゃん」や「ヘマをすると怒り飛ばされるおじいちゃん」がいたものだ。しかし今は、こわもてや叱ることはご法度である。ひたすら優しく、黙って見守る。もっとも子どもたちも昔のようにやんちゃでなくなった。

2月は頭から時間との闘いに明け暮れた。ひょっとしたら向こう1ヶ月、こんな慌ただしさに追い立てられる予感も。
「忙しい」とは心を亡くすこと。つまり思考力より行動力が勝ることを言うのだろう。
年齢も考えほどほどに。気持ちを整理しながら、ボチボチ。これでいこう、如月ついたち。

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「恒例のしめ飾り教室」

2018年12月20日 | 地域活動

この季節になると、というかこの季節ならではの地域活動がある。
我々の地区にある二つの小学校で、恒例のしめ飾り教室を開いた。一校は5年生53人。もう一校は、4・5年生56人を対象に行う。今回は、これまでに説明をして来なかった「わらそぐり」のひと手間を、実演を交えて説明してからしめ飾りづくりに入った。  

      
     実際のわらそぐり作業        袴や芥を取り除き、きれいなわらを10本ずつ数えて。

いくら年を取ってはいても、田舎暮らしではあっても、誰もがしめ飾りを自分で作ってきたわけではない。どうかすると素人集団である。長年、自分で作り続けてきた人が師匠になり、その手ほどきを受ける。しかも神宿る領域を示すしめ飾りの縄は「左綯い」つまり左縄である。これがなかなか難しい。テクニックを要する。そこへいくと小生の場合しめ飾りづくりはお手の物である。それにはわけがある。

かつて親父さんがまだまだ若くて元気があったころ、大量のしめ飾りを手作りして、繁華な街角で直接販売する売り子係を体験している。バブル崩壊以前の景気盛んな頃で、それはそれは飛ぶように売れた。手作り直販なので値段もまずまず。年末にはホクホク気分を味あわさせてもらった。そんな見様見真似の中で、左綯いも身についていた。そんな特技?がこの歳になって役立つとは。 

      
              手慣れた人の実演を見ながら覚える       綯い始める子どもたちを見守る

「オイ、あのおじさんに習ったらこんなにきれいに出来たよ」という子ども声が上がったかどうか定かではないが、一緒にしゃがみ込んで、膝の構え方から体勢づくりを先ず教える。その体勢から手を出すと、何をやっても力が加わりやすくて仕上がりがきれいになる。理屈ではないそういった基本動作を理解して欲しいという欲望はある。

      
     校長先生も担任の先生も真剣にわらと向き合う  出来た縄に、飾りを付けて出来上がり。  

 しめ飾りの由来や、それぞれ部材の故事来歴などを簡単に説明してから実際に手を出す。左綯いとか右綯いと言っても、児童にはあまり関係ないしピンと来ない様子。何故なら、彼らは右綯いも全く経験なし。つまりわらで縄を綯うこと自体が初体験。だから左綯いもすぐに慣れて結構様になる。習うより慣れろということか。

そして、何故今回から「わらそぐり」の説明を加えたか。ここが問題である。
子どもたちが手にするわらは、しっかり打ってほぐして、袴や枝、芥など不要な部分は完全に取り除いた後の、きれいな芯の部分を扱うだけである。その上数まで揃えた、言うなれば至れり尽くせり
のわらで縄を綯う。

農家からもらってきたわらが、そぐりをすることで半分以下になるほどの手間をかけていることを彼らは知らない。知らないで済むことかとも思うが、お手伝いの大人が完璧に準備したものを使って、ハイどうぞと遊んでもらう。それが本当に教育の一環なのか、という疑問にさいなまれる一人としては、そこに至る目に見えない縁の下の力が働いていることを、少しでも理解させることこそが我々地域の教育力と言うものではないか、とつい思ってしまう。
なにも、恩に着せようとか、感謝を求めるのではない。物事の本質を理解して欲しいと願う年寄りである。

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「作って食べて笑って」

2018年11月28日 | 地域活動

       

この頃では、我が家以外で食べる昼ご飯は「ランチ」と呼ばれている。
が、ここに登場する話の主役はランチではなく、飽くまでも「昼ごはん」と呼ぶ方がしっくりくる、賑やか昼ごはんのお粗末である。

入会3年を経過した地域の男性料理教室は、どちらかというと高齢者の男性会員20人が集う、実に楽しい会である。
指導者は、岩国市食生活改善推進協議会、通称「食推」に所属する、ちゃんと講習を受けた主婦のベテランおばさん方。
指導方法も手慣れたものなら、一人ひとりの動きや手許を観察するのも得意中の得意。鋭い眼力で「そこはこうしなさい・ああしなさい」と無遠慮な指示が飛ぶ。「まあよう出来たねー、これはおいしそうよ」という褒め言葉も散りばめられる。

何を言われようが、厳しいご指摘を受けようが、こちらは、包丁歴も味付けも素人の集まり。相手はその道百戦錬磨のベテラン、しかもよそのおばさん。カミサンに指導されるのとは違って喧嘩にもならない。和気あいあい。
あらかじめ決められた献立を頭に描き、レシピとにらめっこで、剥く、切る、練る、蒸す、煮る、焼くといった調理の原点を辿っていく。

およそ1時間半から2時間で出来上がり。班ごとに並んで試食という名のお昼ごはん。楽しさは最高潮に達する。自分でこしらえた副菜のサラダの味を気にしながら、先ずは自ら「おいしいねー」と声を発する。すかさず食推のおばさまから「今日はようがんばったね、一人で何もかもやってサラダを作ったね」と褒め言葉が飛んでくる。

「あんたぁ段々お腹が出て来たねー」「今年のレンコンは出来がええよ」「ゆっくり噛んで食べるのが健康のコツよ」などなど脈略のない会話が飛び交う中で、大笑いの昼ご飯が進む。
ひと昔前までは、何人か集まれば「酒なくてなんのおのれが桜かな」と言いつつ、食事はそこそこに一升瓶を転がしていた仲間が、こうして酒抜き昼ご飯に笑い転げるとは、ある意味、再びやって来た青春を楽しんでいるような気がする。
思い切って地域の活動に参加した自分を褒めてやりたい。

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「敬老ボランティア」

2018年09月20日 | 地域活動

                
                                                 施設の車いす磨きに精出す、地域活動

「敬老ボランティア」などと言うと、さも大袈裟に聞こえるかもしれないが、今、地域活動の中で一つの目玉ボランティアとして取り組んでいるのが、特別養護老人ホームなどを併設する介護施設の「車いす磨き」である。
もともとボランティアと言えば、対象はお年寄りであったり、幼児を含む子どもたちであったりするわけだから、「敬老」の文字をを付ける必要はないのかもしれない、とも思う部分もある。

ここで敢えて取り上げるのは、そういった介護施設のお手伝いをする私たち自身が、介護される側に回ってもおかしくない年齢の人たちの集まりであるということである。
敬老の日を迎えて、自治体から「敬老者対象」とされる年齢は、地域によって多少の差はあるものの、おおむね65歳以上の場合が多い。
さらに小さな自治会などの単位では、敬老会招待対象は75才以上が対象となるところも少なくない。

まさに高齢化社会の中で、敬老対象年齢を下げると、単位自治会の経営に影響を及ぼしかねない、という心配もあるようだ。
そのような状況下で、年齢に関係なく元気な人、動ける人などが互いに協力して、このような活動をしているところに意義があるのだと思って、せっせと汗を流している。車いすを磨きながら「やがて私たちもここでお世話になるかもねー」とか「出来るときにやっとかんとねー」などと、今元気に活動できることを喜ぶ会話がはじける。「やがて行く道」を改めて実感する。

そして思うのは、間もなく10年目の祥月命日を迎える母が存命の頃に、今と同じように「老いを敬う気持ちで母に接して来ただろうか」という疑念と悔恨である。10年前は「自分はまだまだ若い」という気持ちが先に立って「老い」と向き合う気持ちが極めて薄かった。
もちろん今だって「まだまだ、やりたいことがあるな~」という気持ちに変わりはないが、一方でホンの少しだけ年齢を意識するようになったのだと思う。「孝行をしたいときには親は無し・・・・・・」。

せめて地域活動の一つもして、遅ればせながら、おふくろにしてやれなかった分を取り戻そうとしているのかも。

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