「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「恒例のしめ飾り教室」

2018年12月20日 | 地域活動

この季節になると、というかこの季節ならではの地域活動がある。
我々の地区にある二つの小学校で、恒例のしめ飾り教室を開いた。一校は5年生53人。もう一校は、4・5年生56人を対象に行う。今回は、これまでに説明をして来なかった「わらそぐり」のひと手間を、実演を交えて説明してからしめ飾りづくりに入った。  

      
     実際のわらそぐり作業        袴や芥を取り除き、きれいなわらを10本ずつ数えて。

いくら年を取ってはいても、田舎暮らしではあっても、誰もがしめ飾りを自分で作ってきたわけではない。どうかすると素人集団である。長年、自分で作り続けてきた人が師匠になり、その手ほどきを受ける。しかも神宿る領域を示すしめ飾りの縄は「左綯い」つまり左縄である。これがなかなか難しい。テクニックを要する。そこへいくと小生の場合しめ飾りづくりはお手の物である。それにはわけがある。

かつて親父さんがまだまだ若くて元気があったころ、大量のしめ飾りを手作りして、繁華な街角で直接販売する売り子係を体験している。バブル崩壊以前の景気盛んな頃で、それはそれは飛ぶように売れた。手作り直販なので値段もまずまず。年末にはホクホク気分を味あわさせてもらった。そんな見様見真似の中で、左綯いも身についていた。そんな特技?がこの歳になって役立つとは。 

      
              手慣れた人の実演を見ながら覚える       綯い始める子どもたちを見守る

「オイ、あのおじさんに習ったらこんなにきれいに出来たよ」という子ども声が上がったかどうか定かではないが、一緒にしゃがみ込んで、膝の構え方から体勢づくりを先ず教える。その体勢から手を出すと、何をやっても力が加わりやすくて仕上がりがきれいになる。理屈ではないそういった基本動作を理解して欲しいという欲望はある。

      
     校長先生も担任の先生も真剣にわらと向き合う  出来た縄に、飾りを付けて出来上がり。  

 しめ飾りの由来や、それぞれ部材の故事来歴などを簡単に説明してから実際に手を出す。左綯いとか右綯いと言っても、児童にはあまり関係ないしピンと来ない様子。何故なら、彼らは右綯いも全く経験なし。つまりわらで縄を綯うこと自体が初体験。だから左綯いもすぐに慣れて結構様になる。習うより慣れろということか。

そして、何故今回から「わらそぐり」の説明を加えたか。ここが問題である。
子どもたちが手にするわらは、しっかり打ってほぐして、袴や枝、芥など不要な部分は完全に取り除いた後の、きれいな芯の部分を扱うだけである。その上数まで揃えた、言うなれば至れり尽くせり
のわらで縄を綯う。

農家からもらってきたわらが、そぐりをすることで半分以下になるほどの手間をかけていることを彼らは知らない。知らないで済むことかとも思うが、お手伝いの大人が完璧に準備したものを使って、ハイどうぞと遊んでもらう。それが本当に教育の一環なのか、という疑問にさいなまれる一人としては、そこに至る目に見えない縁の下の力が働いていることを、少しでも理解させることこそが我々地域の教育力と言うものではないか、とつい思ってしまう。
なにも、恩に着せようとか、感謝を求めるのではない。物事の本質を理解して欲しいと願う年寄りである。

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