( この写真は、豊島区椎名町の住宅街を撮影したものです。千早町からJ先生の仕事場がある中落合までこんな
感じの風景の中を倉さんは、歩いて原稿を運んでいました。写真を撮影しながら思ったのですが・・・・・当時
の古い町並みも新しい住宅やマンションで随分と変わってしまいました・・・・・《 2013年、11月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その7
《 漫画家アシスタントが・・・・電話番をする・・・・!? 》
倉さんは、毎日、アシスタントが仕上げた原稿を先生の仕事場へと運ぶために、豊島区の千早町
から、新宿区の中落合までテクテク徒歩で往復していました。
完成原稿を先生に渡し、先生からキャラクターの入った原稿を受け取って、先輩アシスタントが
待っている千早町のアパートへ向かうのですが、まだ、先生が人物を入れている途中のために、
先生の仕事部屋の隣で待機している事がよくあるわけです。
朝、一番に先生の仕事場を訪ねるのは倉さんで、編集部からの電話などの応対も自然と倉さんが
やっていました。
たまに、朝10時に電話を受け取った時など・・・・・・・
「 週刊○○の者ですが・・・・先生の仕事はどうでしょうか? 」( 締め切りを心配する編集員 )
「 あ・・・・・はい・・・・・・・・まだ、先生来てないです 」
「 えええっ・・・・まだぁ? しょ、しょ~がね~~なぁ~~~ 」
などといった会話が朝からあったりしたそうです。
ある時、変な電話がありました・・・・・・・
「 アキウマ君、いますか? 」
倉さんは、聞いた事のない名前に『 間違い電話かな? 』と思いつつ・・・・・・・
「 え・・・・・? ・・・・アキ・・・・・・ウ・・・マ・・・・? 」
「 アキウマ君、いますか? 」
隣の部屋で仕事をするJ先生が、電話口で戸惑っている倉さんに顔を向ける・・・・・・・・
「 先生、アキウマ君って言ってますけど? 」
「 あ、俺ィだ 」
後で分かるのですが、この電話は、J先生の師匠にあたるM拳次先生( 1960年代に少年○ガジンな
どで活躍、氏の代表作はテレビドラマ化されて話題に、1970年頃に渡米 )だったのです。
M先生は、アシスタント時代から顔の長かったJ先生の事を「 アキウマ君 」と呼んでいたわけで
す。
それにしても、弟子がすっかり売れっ子の有名人になっていても、青年時代の愛嬌のあるあだ名
で呼ぶあたりがいかにもM先生らしいところなのかも知れません。
ただ、この当時のM先生は、日本の漫画界を去ってアメリカで一コマ漫画で初歩からスタートす
るという「 冒険 」をした時期で、J先生とM先生が呑気な会話をしていたとは思えませんが・・
・・・今となっては、その内容は分かりませんのです・・・・・・・・・・。
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その8 」( 12月10日以降公開 ) へつづく・・・・
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
この本には、ニューヨークでの売り込み話も、詳しく載っています。
J先生の最初の師匠は、前谷 惟光(まえたに これみつ、1917年(大正6年)12月8日 - 1974年(昭和49年)10月23日)先生で、wikiによれば、
J先生は「高校進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京して、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。前谷惟光の名義で出版されたのが初単行本〔『いじわるE』〕となる」--J先生が22歳の時
前谷惟光氏は、ロボット三等兵シリーズ(少年倶楽部)で人気があり、私は貸本屋でこのロボット三等兵をずいぶん借りました。
貸本
http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/8b/64/rb02private/folder/97577/img_97577_5835396_2%3F1250936925&imgrefurl=http://blog.yahoo.co.jp/rb02private/archive/2009/08/20&h=500&w=348&sz=78&tbnid=UKUu1tscgikmRM:&tbnh=90&tbnw=63&zoom=1&usg=__ERNHGehKWSoLVJyvMh91X-t7nP4=&docid=2POPASs_bccQCM&sa=X&ei=-fWdUta9DMfNkwW4xoHgCQ&sqi=2&ved=0CDgQ9QEwAA
http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://nagashima.jimbou.net/catalog/images/products/c1217/0421.jpg&imgrefurl=http://nagashima.jimbou.net/catalog/product_info.php/products_id/166&h=418&w=300&sz=70&tbnid=LdFajVOWrC2J5M:&tbnh=90&tbnw=65&zoom=1&usg=__uKyUNhb2HXo7GceHNJZUARVpSI0=&docid=zdNfFlHWOqv4uM&sa=X&ei=-fWdUta9DMfNkwW4xoHgCQ&sqi=2&ved=0CEQQ9QEwBg
コマの一部
http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://claimant.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/03/07/photo.jpg&imgrefurl=http://claimant.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-98a8.html&h=240&w=320&sz=50&tbnid=VKrgq1pb23c0LM:&tbnh=90&tbnw=120&zoom=1&usg=__q37Ht7DOgp39H32knVvlYYEumAQ=&docid=TeF3MOWSZN-6nM&sa=X&ei=-fWdUta9DMfNkwW4xoHgCQ&sqi=2&ved=0CEIQ9QEwBQ
その後
「芳明堂を退職後はアルバイトを転々としながら、講談社へ持ち込みを続け、やがて編集者からの紹介で1年半ほど森田拳次に師事した。アシスタントをしつつ貸本などに作品を発表し、1966年に『別冊少年マガジン』(講談社)に掲載された『ガイコツくん』でメジャーデビュー。これが成功して翌年にも連載を依頼された『パットマンX』がヒットして、1968年の講談社児童まんが賞を受賞した」
となっています。
『ガイコツくん』
http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/5330.html
なつかしい思い出です。
漫画をよく「映画のようだ」と評する事がありますが、まさにそれ。
韓国の漫画でコマ内をgifで動かす演出を試みているようなのですが、その逆で漫画を効果的に映像にするというのも面白いですね。
電子書籍の新しい方向性だと思います。
世の中が蟹工船の時代に逆行しつつある中、覇王の船が再評価されるのも当たり前なのかもしれません。
安倍首相のオトモダチがNHKに送り込まれ、自民党がNHKの全世帯視聴料強制徴収を目指しているそうです。
デモに出かけたらテロリスト認定され、非国民扱い。
国会では治安維持法ならぬ特定秘密保護法が審議もされぬまま強制可決。
日本共産党が非合法化され、政党が解党され大政翼賛会となり、小林多喜二のように国民が官憲に拷問死されられるのも時間の問題かもしれませんね。
>適当放送さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>J先生の最初の師匠は、前谷 惟光・・・・・
それは知りませんでした・・・・・!(実は、ウィキペディアを読んでいま
せんでした)
「ロボット三等兵」!・・・・・・・・・・懐かしいお話をありがとうございま
した。
私も子供の頃に随分読みました。 当時は、古い貸本時代の単行本で、
紙質もザラザラした感じで、プーンとカビ臭い様な匂いがあったりし
て・・・・・・・・
「ロボット三等兵」には、よく靖国神社が出ていて・・・・・・戦死した兵
隊さんが皆、死に装束で靖国神社に行くのをよく意味も分からずに読
んでいました。
>ふじもんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「覇王の船」を見て下さって、ありがとうございました。
声優さんたちは、みんな渋谷にある専門学校のOBと在校生なんです
が、よく頑張ってくれました。
アフレコの練習や、収録にも立ち会ったのですが、とても楽しかった
ですよ!
収録の時に、「Yさんも船長かなんか役をやって下さい」なんて言わ
れましたが、やはり特別なレッスンを受けていないと出来るもので
はないので、ご辞退申し上げましたが・・・・・・・・
クライマックスで、労働者たちが立ち上がり、現場監督に反抗して
暴動を起こす時の群集には、私も彼らに混じって「ワ~~ッ」とか
「ヤレ~~ッ」とか叫んでいました。
私がもっとも感動した(凄いと思った)のは、ラストシーンで現場監
督が蟹工船の甲板上で子守唄を歌った時でした。
「どんな子守唄なんですか?」
と声優さん(プロの声優を目指す学生さん)に訊かれたのですが、漫
画では、リズムも詩もありませんので、返事の仕様がありませんで
した・・・・・
そこで、声優さんにアドリブでお願いしたのですが・・・・・・・・・・・・・・
・・・・その迫力には驚きました・・・・・・・・いや、ホントに!
ラストの「子守唄」(絶叫?)は、彼の完全な即興なんですよ。
>特定秘密保護法が審議もされぬまま強制可決。
秘密保護法だか役人保護法だか知りませんが・・・・・・・酷い法律が強
行採決されちゃいましたね。
日本人ってあんまり怒りませんね。
優し過ぎるのか、諦めが早いのか・・・・・・よく分かりませんが。
強行採決のニュースと同時に、フィギュアスケートの若い娘っ子の
クルクル回るお尻を見ているわけで。(私、見てました)
ちなみに・・・・・・
日本のお偉いさんたちって、いずれ近隣諸国と戦争でもやってやろ
うなんて、勇ましいこと考えてるのかも知れませんけど・・・・・・
そのバックボーンとしてのアメリカが、日本の味方をしてくれる
と本気で思ってるんでしょうかね・・・・・・
私がアメリカだったら、日本なんてもう古雑巾みたいなもんは、さ
っさと捨てて、赤い巨大市場とイチャイチャしたいなぁ・・・・・・と、
思ったりしますが。
http://tokiwaso-street.jp/
スゴイ上手いのに上手いのと漫画家になるのとは違うのかな?
私が昨年まで通っていたマンガ学校の某先生もジャンプなどにコンクール投稿し毎回落選だったらしいです。一度たりとも賞をとったことも無いそうです。
イラストレータとして現在はフランスや海外でも活躍していらっしゃるそうです。
どこもかしこも不況ですね。
料理学校や習い事すら生徒が激減して授業料も値上がりしたり講座閉鎖しています。
どこの同業者もバタバタ潰れたり100分の1に客も減り結局 今の職場に戻り宣伝力や大手企業の安定とかに、しがみついて稼いでいる自分が辛いです。
みみっちい社内事なんてどうでもいいだろうって考えになるよね。
自分だけの力じゃマンガ業界だって無理ってことでしょうかね。
『マンガの専門学校』へ行かれていたんですね。興味がありますので、質問してみたいです
『マンガの専門学校について質問』です(ちょっと失礼!?な質問もありますが、ごカンベンください)
●質問1:『弟子は、師匠を超えられない』と言いますが、『コンクールに毎回落選』『一度も賞を取ったことがない』
そんな先生に、マンガの描き方を教わって、マンガ家になれると思いますか?(失礼な質問で、ゴメン)
●質問2:マンガの専門学校の学費は、親が出してくれたんですか?
それで、マンガ家になれなかったら、親に申し訳ないですよね…
(以前、自分が見学に行ったマンガ専門学校は、年間学費90万円以上でした…)
●質問3:マンガ専門学校の授業は、1日何時間でしたか?
(以前、私が見学し~(省略)~は、午前中だけ3時間の授業でした、なので一日3時間も!
マンガを描いていたら、マンガ家になれる、と考えている人が多かった…です)
●質問4:授業中の雰囲気は、どんな感じでしたか?
みんな真剣に、マンガ描きに取り組んでいましたか?
(自分が見学~(以下略)~は、授業中、生徒さんたちは、おしゃべりばっかりしていて、
マンガなんて全然描いてないし、『こんなんで、『マンガ家』になれるわけ、ネーだろ!』
と怒りたくなりました(自分は根性ないので、結局、黙っていましたが…)
●質問5:卒業制作とか卒業課題とか、ありましたか?
(以前、私が見学し~(省略)~は、『キャラクターも物語も、全部、自分のオリジナル
のマンガを描き上げて、マンガ雑誌の編集部へ持込みしてこい』というのが、卒業課題でしたが、
持ち込みとかしましたか…?
●質問6:マンガ専門学校を卒業後、今、何をしていますか…?
「マンガ家デビュー」でないなら、どこかの先生の元でアシスタント修行でせうか?
(せっかく身に着けたマンガの腕、どこかで活かしたいですよね)
※いろいろ失礼いたしましたが、『マンガの専門学校』って、やっぱし一度は行ってみたいもの。
よろしければ、ぜひ、ご回答くらはい
質問1、その先生はイラストレータの才能がある方でイラスト科も合同で授業をしていました。絵のセンスは抜群でした。偶然にも妹の旦那と同じ出身校で親近感ありました。
質問2、2年間で300万円です。ほとんどの生徒さんは高校、または大学へ行きながらか卒業後に親の金で来てました。ほとんどの生徒の親が自衛官で中流家庭以上のお子さんでした。
私は夜のバイトの金をそのまま学校に毎月支払いしていました。
質問3、朝9時~12時、13時から16時30まで授業でした。深夜24時~翌朝8時まで仕事してそのまま学校へ行ってたんでしんどかったです。学校の近くだったんでマシでしたが疲労で10キロ痩せました。
学校の裏のお好み焼きやでバイトしてる子もいました。
いま思えば事務局員のお兄さんお客だったです。
質問4、まだまだみんな子供の延長でお金の有り難味わからないからか、おしゃべりばかりでした。
でも上手い子もいましたよ。女の先生がよく担任の若い男性教授をいじめていました。「わたくしほどの優秀な先生が担任になれず非常講師でなんでこんな若ぞうが担任なんだ」と言いたいんでしょうか。人間的には担任のほうができていると思いました。いじめっ子先生は、やたらと自分の経歴や学歴を自慢していたな。
女同士の確執、争いは恐ろしいです。
質問5、卒業課題も宿題も持ち込みもありましたが仕事が忙しくて持込みと学校へ来られる原稿講評会は、すっぽかしました。
質問6、現在は家の家業、エンジニアの仕事をしながら請負でブログの代筆の仕事しながらマンガ描いていますが自分の作風に合った投稿雑誌が見つからないです。
オレンジボーイ様は何をしている方ですか?サラリーマンですか?マンガ家志望者ですか?
どんな作風なんでしょうか。
このgooブログに新規ブログを作って(10分程度)、画像アップしていただけると、助かります。
もしくは、ご自分のブログがありましたら、教えていただきたいです。
「ブログの代筆の仕事」「原稿講評会」って、何でしょうか。
「ブログ代筆」とはマンガとは関係ない業界で、ある方が忙しくて書けないので代わりに私が代筆しているという意味です。Yes様は代筆じゃないですよね?
「原稿講評会」とはマンガ学校に東京から出張で来られる出版社の方に生徒の原稿やネームを見ていただくことです。
ペットのネズミ(ラット)が病に倒れ長期通院と介護とバイトと多忙ですっぽかしちゃいましたが・・・・・。
代筆業が忙しくてブログやってないです。
どんな作風、ジャンルでもOKの雑誌がありましたがニュースで不祥事あったとこだったんで迷っています。
ちゃんと回答してくださり、ありがとうございました
お礼の回答ですぅ
●hiroさまの質問:『オレンジボーイさんは、今、何をしていますか?』
●回答:マンガで食べていければ、いいんだけど…
『工場でライン工員、単純作業(派遣じゃないよ)』
「ライン工員」って何?って人は、
チャップリン映画の「モダン・タイムス」を見るとイイかも
(古い映画だから、レンタル店行ってもないかも…)
ベルトコンベアの隣にへばりついて、単純作業!
『はぁ、こんなクダラナイ仕事は、早く片付けて、早くおウチにかえって、マンガでも描きたいなぁ』
なんて考えながら、バンバン仕事をしています
(12月は、工場も年末進行で、仕事前倒しなので、忙しいです)
※いいかげんなマンガ専門学校に300万エンも払うなら、
その分のお金を生活費に充てて、マンガ描きに専念して、
持込みとかした方が良かったですねw
※貴重な体験談、ありがとうございました