( この写真は、20年前の仕事場を撮影したものです。 中央左にいるのが私ですが、画面が暗いので室内が分かりづら
いかも知れません。 また、この写真は以前、公開したことがあるかも知れませんが・・・・もし、そうだったらゴ
メンナサイ・・・・・・《 1994年、1月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その32
《 漫画家アシスタントが・・・・・度胸を見せる・・・・・!? 》
人生とは面白いもので、お気楽に怠惰な時間を過ごしていると・・・・・あっという間に時が過ぎ、
記憶も薄っぺらなものになっていく・・・・・
アシスタントの生活でも、漫画を描いたり資料を読んだり、絵やセリフの勉強をしたりしている密
度の濃い時代の記憶は、しっかりしているのです。
ところが怠惰な時期は、ものすごいスピードで時間が過ぎてしまい、極端な話ですが・・・・・ま
るで浦島太郎が玉手箱を開けた瞬間の様に、自分の頭が白くなっている事に愕然とするのに大変似
ているのです。
実際は、私は40歳代で漫画を描くのをすっかり止めていますが、それからの10数年・・・・・・・
記憶が飛んでしまったのではないかと思われるほど、空しい・・・・・・・本当に空しい・・・・
・・・過去の空白化・・・・・そんな印象があります。
ただ、楽しい時間というものは、人生においてとても大切だとは思いますが・・・・・・・・
怠惰に過ごしてしまうのは、その間、ゾンビの様に「 死 」を生きている状態に近いのではないかと
も思われ、今さらながら冷たい汗にゾッとしている有様です。
さて、私の先輩であり、多くの示唆を与えてくれた兄の様な存在である加川さん( ※参照 )ですが・・
・・・・・・
いよいよ、Jプロ( ※参照 )を辞める時が来ます・・・・・・・・
何本もの作品(絵コンテやネーム)をJ先生( ※参照 )に見せに行っていた加川さんですが・・・・・・・
「 おめィ~は、描き過ぎなんだよ! 」
・・・・・と、先生に言われてから6~7年間・・・・・・・・ほとんど漫画作品を描くことがあり
ませんでした・・・・・・・・少しは描いても、もう、無我夢中で描くんだという気持ちは無くな
っていました。
しかし、絵の何処を直すのか・・・・・・・・ストーリーの何処をどう直すのか・・・・・・・・・
キャラクターの何処をどう直すのか・・・・・・・・・・重要な問題の突破口を見つけた訳ではあり
ませんでした。
ただ・・・・・・
本を読んだり、映画を観たり、漫画制作に関係する事にはアンテナを張っていたわけですが・・・・
・・・それでも、毎日を惰性で生きている様なスッキリしない日々が続いたのです。
それでも、漫画制作を止めてしまったわけではありません・・・・・・
実は、この頃、先生には内緒で出版社に自分の作品を持って行っていました。
その作品は、完成した原稿ではなく、タイトル画と絵コンテだけの代物で・・・・・・これで連載を
狙う度胸はさすがですが・・・・・・・・・・明らかに無謀でした。
S学館、K談社・・・・・・・・それも「 週刊少年S 」やら「 週刊少年M 」やらの一流処への持ち込
みです・・・・・・・・
結果は、悲惨で・・・・・・・・各社とも門前払い同然のあつかいだったそうです。
特に、K談社( ! )の「 週刊少年M 」の編集員は、ちらっとタイトル画を見ただけで、ろくに絵コンテ
を見もしないで、ポイッと原稿をデスクに投げつけたそうです。
これが、ようするに・・・・・・・・編集員の・・・・・・・・・・
『 チラ見でポイッ! 』
これをやられた人間は、生涯、この屈辱を忘れる事が出来ません。
もっとも、還暦を過ぎた現在の加川さん・・・・・・・・冗談でも話す様な笑顔ですが・・・・・・
目は笑っていません。
3分でも、感想を言ってくれる編集員に出会える様なら・・・・・・・ならまだましな方でしょう。
長い時間、苦しみながら描いて、電車乗り継いで持って来てるのに・・・・・『チラ見でポイッ!』
じゃ~救われません。
「 何故、ダメなんだろう? 」
「 何処が悪いんだろう? 」
「 どうしたら良いンだろう? 」
ボツ原稿をかかえて、あの神保町の町をトボトボと下を向いて歩く時に思う事は、誰でも同じ様なも
のです・・・・・・・・・・・・・・・
加川さんは、20歳代の・・・・・若い頃の自分を思い出しながら・・・・・・・・
「 今から考えてみれば・・・・・・当然なんだよ・・・・・・・・・だって、面白くね~
~んだから! 」( 笑 )
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その33 」( 9月20日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その31」へ戻る 】
【 ※参照 】
・加川さん・・・・・・・・・・・(仮名)中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。
1969年19歳で、J先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。
・Jプロ・・・・・・・・漫画家J先生の仕事場。東京目白にあり、バブル期には6~7人のスタッフが
在籍。しかし今年2014年にはスタッフ2名。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2014年現在、71歳。1969年当時は26歳。
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(ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
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★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
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【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
ちょっと例え話を挙げますと、何か欲しいものがあったとき、通販で頼むと1カ月かかり、買いに出掛ければ即日手に入るけど片道3時間、という2選択があったとします。「伴う苦痛を乗り越えている」状態は後者ですよね。もうそれしか目に入ってない状態。
漫画制作に対してこんな気持ちにならないと続かないんだと思います。
「楽に生きたい」というのは、人間だけではなく、動物なんかで
も同じだと思います。(餌が捕食できれば、寝て過ごす)
結局、執念(こだわり)の様なものが選択の分かれ目になるのでは
ないでしょうか。
例えば、美味いラーメン屋に行ったら、長い行列が出来ていた場
合、30分並んででも600円のラーメンを一杯食べるか、さっさと
諦めて「~王将」で済ませるか・・・・・・・・
>「伴う苦痛を乗り越えている」
「伴う苦痛を乗り越える」選択って、結構難しい事ですね。
ちなみに・・・・・・
人によっては、「苦痛」を感じないで「乗り越えていける」かも
しれません・・・・・・それが「才能」の様な気もするのです。
私も20歳代のとき、集英社に持ち込み原稿をしたことがあります。
その時は、受付で「・・・という趣旨で、原稿を持ってきました」と告げたら、そのまま、受付のねーちゃんに預かられて、20分待たされた後、不採用ということです、と言われて返却を受けました。
編集員に会えたのなら、まだ、ましのほうでしょう。
その後、30歳代になってからは、お堅い雑誌、たとえば商事法務などからの依頼でたくさん経済雑誌に原稿を書きましたが、やわらかい系統はだめでした。
編集員の方々にもいろいろな方がいるのですが・・・・・・・・・・
多くの方が見ず知らずの持ち込み者には、内心「面倒臭いなぁ」
という感じなのではないでしょうか。
私が一番印象に残っている編集部は「ガロ」の故長井編集長で、
何処の馬の骨とも分からない若造である私の漫画を丁寧に批評し
てくれたものでした。
その漫画が没かどうかは関係なく、的確なアドバイスをしてく
れる人はどうしても少ないですね。
やっぱり、「使えるか使えないか」「優秀か優秀でないか」で
態度がガラリと変わってしまうのも仕方がないのかも知れませ
ん・・・・・・・・
学校の教師だったら完全に失格ですがね。
>私も20歳代のとき、集英社に持ち込み原稿をしたことが
>あります。
今回、本編に登場している加川さんは、「さすがに集英社に行
くほどの自信はなかったよ」って言ってましたので、山のカラ
スさんは、自信がおありだったのだと思いますが・・・・・
「受け付け預かり」ってのも・・・・・・・・ちょっと寂しい対応です
ね・・・・・・・・・・
最近は、特に「セキュリティー」を理由に、社内への入出者を
厳しくチェックする意味もあるのでしょうが・・・・・・・・
新人の持ち込みに対する対応には、昔よりも冷たいものを感じ
ます。
PCとのコードはついているのですが、無線対応とのこと。
無線なんかでちゃんとカラー印刷なんてできるのかな・・・って、思いながら、説明書の指導どおりにやってみましたが、ぜんぜん動きませんでした。
説明書では、電源ボタンを押し、「WIFI」のボタンを長押しして、「警告ランプが点滅したら」、「WIFI」ボタンを離します。
そのとおりやってみましたが、沈没。
こんどは、お皿の指示どうりやりましたが、「WOP」ボタンがあるケースと、ないケースに分かれ、かつ、その他のケースと、道が3つに枝分かれしてます。
なんだか、ごちゃごちゃやっていたら、突然、がたピシ音がしだして、印刷が始まりました。
ヤマダの店員の話では、NECのルーターの裏についている「Key」ナンバーを打ち込むとできるといってましたが、打ち込まなくても、なんとなくつながりました。
よく考えたら、PCも無線でネット接続、マウスも、キーボーも無線でした。まぁ、これはUSBにペアーのスティックを刺すだけですから、簡単ですが、こんどのプリンターですべてが無線となりました。
めでたしというか、疲れたというか。
ほっとしました。
Yesさんも、無線ですか。
これ指摘しない方がいいのかしら?
>みみさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>キャノンのプリンターMG-3530を買いました。6000円程度
>です。
プリンターって、どこのメーカーでもやたらに安いのですが・・・・・・イ
ンク代が高いですね。プリンター本体の値段とインクの値段がほとん
ど同じってのは、どう考えても奇妙な話です!
プリンターは安くして、インクでガッポリ儲けているって感じですね。
>Yesさんも、無線ですか。
うちは、完璧に有線です。
机の下は、コードだらけのタコ足配線状態・・・・・・これが、テレビとD
VDデッキとプレイステーションのそばだと、タコ足、イカ足、ムカ
デ足配線状態で、見るだけで寒気がします。
『 無線に無縁で、有線を優先! 』
>迷探偵さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>漫画が何本か掲載されてましたがw何回かペンネームを変わって
>・・・・
私は、その経緯をよく知らないのですが・・・・・・(近いうちに本人に確認
してみます)
逆探偵さんが、どうしてその様な事を知っておられるのか・・・・・・その事
の方が興味津々です!
このブログ、書いている私はただの中年凡夫ですが、読んでいる方の中
には、漫画家やら編集員やら経営者やら・・・・・・意外な人物もおられるの
ですが・・・・・・
逆探偵さんも、ただの暇人ではなさそうですね・・・・・・・・・?
市役所に聞くと、保険料は65歳過ぎるとUPするそうです。
知らなかったけど、65歳というのは、死出の旅路の曲がり角なんですね。
この先、70歳になると、これまでは、高齢者として1割負担だった病院の負担額が、2割になります。
これは、団塊世代の先頭が今68歳になっているので、それを狙い撃ちしたものでしょう。
実施は平成26年4月からです。
年金収入は夫婦で300万円、〔内、妻50万円〕ですから、37万円の保険料は、300万円の12パーセントに当たり、さらに、実費でかかる医療費が年間100万円の30パーセントで、30万円〔交通費を足すと33万円〕です。
37万円+33万円=70万円は、年金収入の23%です。
このほかに、固定資産税が12万円ONされます。
消費税が対象支出250万円の8%で20万円、来年末からは25万円。
結局
医療・介護費70万円+固定資産税12万円+消費税20万円=102万円
となります。
しかし、生活上は、保険にも入らざるを得ません。
火災保険3万円、生命・癌・入院保険7万円で10万円。
もし家のガレージに車があると、ガソリン税7万円、自動車税5万円、保険5万円。
以上合計すると、約130万円となり、300万円の収入の4割以上が消えます。
さて、生活費をこの一年ほど家計簿に付けているのですが、食費が月12万円。衣料品、家電等計3万円、光熱費月4万円〔電気1.5万円、ガス5千円、水道〔上・下〕1万円、電話+WEB1万円、〕となりました。
年間合計で、144万円+36万円+48万円=228万円となりました。
この結果、年金収入300万円-所得税-住民税=
285万円が実質収入なのに対し、支出は360万円と、特に大病や大怪我をしなくても、年間75万円の赤字となり、80歳までの20年間生きると、1500万円の赤字となります。なにかあれば、その分増えるので、20年間で2000万円ぐらいの赤字となると予想されます。
これを退職金や貯蓄で穴埋めしていくほかない、というのが現実です。
しかし、少子化の関係で年金300万円というのは、あと、せいぜい10年くらいしかもたないようです。
それまでは、団塊の世代がためた100兆円を毎年10兆円づつ取り崩していくようですが、10年後には底をつきます。
このため、政府は消費税を20%まで上げていくほか、中小零細企業年金の創設と取立てを計画しています。
まあ、あと10年たつと、年金支給開始が70歳からとなり、年金額も減り、消費税20%の影響で経済が悪化し、かなりのたそがれが予想されます。
さて、結論ですが、最大の悪魔は、「国民が長生きすること」だと思います。
i PS細胞などで医療が発達するほど、国はピンチとなります。これからは、定年を過ぎた人に、なるべく早く死んでもらえるような研究、くわえて、生活保護、過大医療費で税を浪費する国民には、安楽死の研究が国全体のレベルでは必要なこと、と思うようになってきました。
>遅れてきた男さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
年金についてのお話、ありがとうございました。
私の世代あたりから支給年齢が上がりだして(60歳から65歳へ)いく
のですが・・・・・
それでも、遅れてきた男さんの様に、年間で250万円も年金をもら
えるなら良いのですが・・・・・
私の場合は、所得そのものが低いので、もらえる年金も年間で150
万円ほどですから、完全に生活保護費と変わりません。
むしろ、医療費や住居費で補助される分、生活保護の方がましだと
思います。
40年働いて、年金おさめ続けた人間より、毎日ブラブラして酒飲ん
で生活保護を受け続けた方がましな暮らしが出来る・・・・・そんな矛
盾を自分に納得させるのは難しいですね。
私がアシスタントを辞めて、仕事がなくなったら、仮に年金がもら
える年齢になっていても、東京近郊で生活するのは事実上不可能です。
どうしたって、この日本で暮らすとすれば、相当な耐乏生活を強い
られるわけで・・・・・・・夫婦二人で月々12万円(カミさんが年金をもら
える15年後には16万円)ぽっちで、どうやって生きていかれるの
でしょう?(家賃と光熱費と保険料を払ったらなくなってしまいます)
まったく、恐ろしい現実です。
井戸から這い上がってくる貞子より、200回も死んだバイオハザー
ド4より、もっと恐ろしい話です!
もはや、私にはタイへ移住するしか選択肢が残されておりません。
タイといっても首都バンコク辺りでリッチな暮らしをしようとすれ
ば、私の年金では無理がありますが、田舎暮らしで贅沢さえしなけ
ればかなりゆとりのある暮らしが出来ます。
例えば、夫婦二人で・・・・・・・・
住居費は綺麗な2LDKのマンションで2~3万円、光熱費1万円、
自炊半分外食半分の食費は3万円、医療費は日本の4~5分の1で
すから、保険がなくても2、3割負担の日本の医療費とあまり変わ
りません。
ゴルフだの、ドライブだの、ホテルでの外食など、贅沢しなけりゃ
月10万円でも多過ぎるほどです。
いっそ、漫画家アシスタントの海外移住計画ブログでも始めたい気
分です。
>迷探偵さん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のレスで「迷探偵さん」の名前を「逆探偵さん」と誤記してし
まいました・・・・・スイマセンでした。
>ただの暇人ですよ
いえいえ、迷探偵さん、とてもそうは思えません!
>何回かペンネームを変わっていました。
そこまで、ご存じだとは・・・・・・・・・相当な調査能力なのではないかと!
ちなみに、私も、そこまではよく知りませんでしたので、次回分の
ブログには、その辺の経緯もちょっと調べて書き加えておきました。
>facebookの方に上げます。
わざわざ、ありがとうございました。
先ほど、確認させていただきました!