『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想207  胡蝶の夢

2016-12-11 01:26:27 | 小説(日本)

 

胡蝶の夢〈第1巻〉 (新潮文庫)

読書感想207  胡蝶の夢

著者      司馬遼太郎

生没年     1923年~1996年

出身地     大阪府

初出版年    1976年~1979年

        朝日新聞朝刊に連載

出版年     1983年 新潮文庫

 

☆☆感想☆☆☆

 幕末の歴史小説の中で蘭方医の松本良順の名前によく出会う。新選組とも親しく、エタの頭の浅草の弾左衛門とも親しく交わっている。それで以前からどんな人なのか知りたいと思っていたが、この「胡蝶の夢」で長年の夢が叶えられた。この本は松本良順を主人公にした歴史小説で、司馬遼太郎の作品らしく時代考証が精密で幕末の蘭方医がオランダの市民社会の中で生まれた医学と江戸時代の身分制社会の間で葛藤し、おのずと身分制社会のタガを破っていく過程が描かれていて興味深い。松本良順は蘭方医として大坂の適塾の緒方洪庵と並び称された佐倉の順天堂の佐藤泰然の息子として生まれた。そして同じく蘭方医の松本良甫の養子になり、将軍家の奥御医師になったが、奥御医師の世界では漢方が幅を利かせており、蘭方は日陰の存在であった。また当時の蘭方医学はオランダの内科書、外科書、解剖書を読むことで成り立っているに過ぎなかった。そうした蘭方医学の現状に飽き足らない良順は、勝海舟らの海軍伝習所に招請されたオランダ海軍の教師陣の一人として来日した軍医のポンぺについてオランダの医学を本格的に学ぼうと考えた。ポンぺはユトレヒト大学医学部で学んだすべてを日本人の医師たちに注ぎ込んだ。医学の基礎である自然科学をはじめとした体系的な講義を行った。ポンぺの講義内容を松本良順は「医学七科」とした。物理、化学、解剖、生理、病理、内科、外科である。身分ごとに医師がいる社会で、奥御医師は将軍とその夫人だけを診る医者であり、ポンぺも直参の幕臣だけを診る立場であったが、「病人を救うのは医師としての義務である」というポンぺはコレラが長崎に上陸したときに、貧しい患者の家を往診して歩き「自由診療」を貫いた。貧しい人からお金を受け取らなかった。ポンぺは医科大学と付属病院を建設することを当初から目的としていた。医科大学は松本良順や各藩の藩医たちが学んだ医学伝習所。そして病院はコレラ騒動の中、幕府の許可が得られ長崎の富豪の協力によって建設された小島養生所。身分に関係のない無差別診療の場となり、ポンぺの考え方が反映された。松本良順は終始一貫ポンぺの協力者として働き、病院の費用も自らの診療費で補充した。ポンぺが5年間の滞在中に診た患者は1万3千6百名に達した。この数字の中には病院での診療は含まれていない。江戸にもどった松本良順は下谷にある幕府の西洋医学所の頭取となって幕末を迎えた。今戸のエタ頭の弾左衛門と知り合い、その養父の診療をしたりして親しくなり、士族身分へ身分引き上げについて力添えをしている。これは徳川慶喜によって実現される。松本良順は戊辰戦争の時、日本ではじめて野戦病院を作った人である。上野の彰義隊のために今戸の弾左衛門の支配地に野戦病院を作り病人の手当てを行った。弾左衛門の手下たちに衛生兵としての速成教育を施した。さらに会津でも野戦病院を作って治療に当たった。松平容保の意向で籠城戦の前に会津を去ることになり、土方歳三と仙台で別れ、横浜に戻ったところ新政府軍に捕縛されて、松本良順の戊辰戦争は終わった。

松本良順以外も魅力的な人々が多数出てくる。変革期というのは時代も変わり、人も変わり興味が尽きない。

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