『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳 ミズダコを尋ねてみて2

2011-12-16 00:06:02 | 翻訳

 

私は門を開けたら子供に足で蹴るなと厳しく注意をしようと思った。しかし、子供は、いつも今にも小便が出そうな様子で厚い鉄板の上に乗ってオットセイの子供のようにぱっと飛び上がっていた。子供が小便、誰かが音を聞けばフアンのことだと思うだろうが、彼はとっくにヤドカリのように自分自身をまんまと隠して姿がなかった。私はおしっこを済ませてトイレから出てくる子供に問い詰めるようにミズダコを知っているかと尋ねた。子供は私の口から出たミズダコという単語を最近一度も聞いたことがないもののように無理にむっつりした顔をした。なぜミズダコ? 私は子供のその表情をよく知っていた。いやむしろ、子供の表情は少し前に私が子供に作ってみせていたものと完璧に一致した。その時子供は私に釜山にいつ行くのかと尋ねた。私は子供の口から出た釜山という所を最近一度も聞いたことのない所のように、無理にむっつりした表情をした。なぜ釜山なの?<o:p></o:p>

 

 

 

 彼の名前は村上だった。子供は村上の名前を忘れてしまった。村上を思い出すときは釜山!と呼んだ。彼と会ったのは1年前、ローマのシスチーナ礼拝堂だった。ミケランジェロの天井画「天地創造」を見るための見物客がバチカン博物館の高い壁に沿って100メートル以上も並んでいた。午前10時ごろのローマはもうずっと前から溶鉱炉のように気温が上がっていた。少しでも日陰が見えると人々は子供も大人も磁石のようにくっついていた。村上がいつから私の横に立つようになったのかはわからなかった。子供が村上の存在に気付いたときは、私たちは100メートルの列の3分の1の地点に立っていた。初めに集まった人々がそこから3名ずつまとめられていた。村上は壁の方に少し離れていたが、他人が見れば私たちは間違いなく家族のようだった。それに周囲に東洋人というのは私たちー村上と私と子供―しかいなかった。子供は村上に会ってから「私たち」という言葉をとても好んだ。村上は私たちが彼を発見する前から本を見ていたようだった。すばやく横目を使ってみると、日本語でぎっしり印刷されたローマ旅行ガイドだった。彼はスペイン広場のあたりを読んでいた。私と2週間ローマに滞在していた子供はスペイン広場であればローマのどこの区域より詳しかった。ちらちらと村上の冊子を盗み見ていた子供がスペイン広場の噴水写真がわかってからは彼と私の間に割り込んできて、真顔で彼を見上げた。私は目で両替屋を一生懸命探しながら、手で子供を彼から離そうとわざと子供を覆い隠した。そうすればするほど子供はだんだん私の手を振り払って、初めから彼の方にぴったり近寄っていった。私は心の中で現金の心配をしていた。団体旅行者が押し寄せる前に入場しようと朝早く宿舎を抜け出たために、財布に現金を補っておくことをうっかり忘れた。イタリアでは美術館や遺跡に行くたびに子供の入場料が問題だった。7歳から8歳の間の子供をポンペイでは無料入場をさせる一方、コロセウムでは有料入場を命じられた。今回のシスチーナ礼拝堂では子供の入場がどのように判定されるのか全く予測できなかった。<o:p></o:p>