紘一郎雑記帳

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今年こそ 拉致被害者の奪還せよ! 安田紘一郎雑記帳

2011-01-02 06:05:55 | Weblog
【新年のご挨拶を申しあげます。】

旧年中は「安田紘一郎雑記帳」を閲覧戴き有難う御座いました。
今年も引き続きまして宜しくお願い申し上げます。


平成23年度「2011年」第2回ブログは
「今年こそ解決の糸口を!」と思う「拉致問題」から
投稿させて戴きました。

元旦から重たい投稿ですが、この「拉致事件」は
日本人の脳裏から離れかけている様に思えて仕方ありません。

先般の署名運動の最中にも「有本さんご夫妻」に向かって
「娘さん、気の毒やけど、もう生きてないよ、
 はよ、諦めて普通の生活に戻ったら」と
声をかけていく人が多くいるのです。 おばさんです!

しかし、おばさんを責められません。
政治が悪いのです、日本より北朝鮮が、日本より中国の方が、
好きな政治家が、現在の民主党政権与党なのです。

でも待てません、

日本の政治家は「拉致問題解決」に全力投球すべきで
その気持ちのない政治家や政党は必要ないと思います。

特に現在の「民主党政権」は自分達の保身だけで
行動・発言を繰り返している様に見えるだけです。

先般「拉致被害者家族会の有本ご夫妻」とお話をさせて戴き
この問題の早急の解決を心から祈念するものであります。

有本恵子さんの行方が判らなくなり、有本の両親は選挙区の
当時、日本社会党委員長土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に
相談に行かれたそうです。

当初土井たか子氏は有本夫妻に同情する姿勢を見せて
暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後土井事務所からは
返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまったそうです。

同じ兵庫の石井 一議員もそうです。

このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に
助けを求めることを決め、1988年9月、
東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に
自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ね事情を話しました。

安倍晋太郎氏は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった
次男の【安倍晋三(後の・内閣総理大臣)】に夫妻を
外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を
外務省・警察庁に伝えることができたのです。

以後有本夫妻は安倍晋太郎父子に連絡するようになり、
安倍父子はこの問題に真剣に取り組むことになりました。

父・安倍晋太郎氏の急逝後、後を引き継いだ「安倍晋三氏」の
懸命な「拉致問題解決」に取り組む姿勢は「有本ご夫妻」はじめ
「横田ご夫妻」や多くの被害者家族会に皆様の心の支えとなっています。

1977年11月15日拉致
新潟の女子中学生、横田めぐみ(1964年10月5日 - 当時13歳)
新潟県新潟市において下校途中に自宅付近にて失踪 しました。

日本海に面した新潟の町から、めぐみさんが忽然と姿を消しました。

その日の朝、横田めぐみさんは、いつものように、
お父さん、お母さん、双子の弟とにぎやかに朝ご飯を食べ、
中学校へ出かけていきました。

そして、これが家族にとってめぐみさんを見た最後になってしまったのです。

その日の夕方、クラブ活動のバトミントンの練習を終えて
帰ってくるはずのめぐみさんは、
いつもの時間になっても帰ってきませんでした。

家族は、心配になって、必死でめぐみさんを探しました。

警察も、誘拐や事故、家出、自殺などあらゆることを
想定して捜査を進めました。

けれど、目撃者も遺留品さえも見つかりませんでした。

その夜、めぐみさんは-----
ずっと後になって出てきた証言によると、
お父さんとお母さんが必死でめぐみさんを探していたとき、
めぐみさんは北朝鮮の工作員に連れ去られ、
40時間もの間、北朝鮮に向かう船の中の真っ暗で
寒い船倉に閉じこめられていたというのです。

めぐみさんは、【お母さん、お母さん】と泣き叫び、
出入口や壁などあちこち引っかいたので、
北朝鮮に着いたときには、手の爪がはがれそうになって
血だらけだったと言われています。

なんと無残で残酷な犯罪でしょう!

1980年3月24日、参議院決算委員会において
和泉照雄議員はアベック失踪事件について質問しました。

続きは明日第2部で投稿します。