「アメリカ社会学」といっても、研究の最先端とか、一部エリート大学の社会学部のことではなく、地元密着型州立大学や、いわゆる「エリート」大学ではない私立大学の教育現場の話。
私が今いる大学は、地元密着型州立大学といえるだろう。そして、所属する学部は社会学と人類学がいっしょになっている学部なので、私自身の分野は人類学でも、社会学側の話も日常的によくでてくる。
私の学部の社会学サイドは、近年、犯罪学(Criminal Justice)専攻をやめる決断をし、プログラムがなくなった。しかし、これは全米的にみると、かなり珍しい決断のようだ。なぜ犯罪学専攻のプログラムを廃止したのか、という話を聞くなかで、私の大学のみならず、全米で起きている状況がみえてきた。
私の昨年の就職活動を通じても、よく聞いた話だが、社会学が犯罪学にどんどん浸食されている状況があるというのだ。「社会学・人類学・犯罪学部」のように、複数分野がいっしょになっている大学の場合、人類学も社会学も両方、犯罪学に浸食されてしまう状況があるらしい。
たしかに、社会学の就職募集をみても、犯罪学のャWションが圧涛Iに多い。そして、例えば「社会学・人類学・犯罪学部」のような学部で、社会学者や人類学者が引退したりほかの大学に移ったりした場合、このャWション自体が犯罪学になってしまうこともよくあるらしい。
なぜかといえば、犯罪学が大人気で、学生数が簡単に集まってしまう分野になっているからだ。明らかに、テレビ番組のCSIや、ちょっと古くはX Filesなどの人気の影響がでているようだ。とくにCSIは、CSI ニューヨークだの、CSIマイアミだの、スピンオフ番組もできている。これらの番組に影響された学生たちが「犯罪学を専攻すれば、格好いい捜査官になれる」と思ってしまうことがあるのだろう。
また、現実的には、地元密着型大学を卒業して、大学院などにも行かない/経済的に行かれない学生たちに考えられる、確実に身分が安定しうる数少ない考えられる職業のひとつが、警察官であることもある。とくに、ここモンタナのように、若者の仕事がなかったり、あっても給与が非常に低かったりする土地においては、警察というのは魅力的な就職先なのだろう。私の学部の教員によれば、スピードや駐車違反でつかまってみたら、担当警察官が元生徒だった、ということもよくあるとのこと。(これは避けたいな。。)
犯罪学の隆盛で、危機感を覚えている社会学者たちは多い。犯罪学に「犯罪を(上から)取り締まる」という観念を求めてくる学生たちが多く、よくジョークで聞かれるのは、「『手錠の装着方法』を学びたい学生たちが来ちゃうからねー」といったようなこと。犯罪捜査でよくでてくる、ステレオタイプに基づいた人種プロファイリングに興味があったりとか。これと、社会学的なアプローチー階級、人種問題などを扱い、社会の下層に置かれて差別されている人たちや、社会運動に親和的な視点をもったりーと根本的にずれるといってもいいからだ。求めるものがあまりにずれてしまっている犯罪学専攻の学生たちを教えている社会学の教員たちは、かなり苦労しているようだ。
しかし、ビジネス化がすすみ、とにかく儲けを第一に考えたい大学にとっては、学生が集められる犯罪学のほうが、社会学や人類学よりも魅力的なのだろう。結果、どんどん犯罪学の教員が雇われ、犯罪学以外の社会学がそのあおりを食っている状況があるという。同じ学部にいても、どんどん犯罪学プログラムばかりが巨大化して、社会学や人類学が小さくマイナーなプログラムになってしまっていることもあるようだ。一部のエリート大学なら、こんなことを心配せずとも、社会学のいい教員も、興味をもつ学生も集まってくるのだろうが、、
こういった傾向は、犯罪学/社会学のみならず、人類学にもある。近年、やはりテレビ番組の影響で、Forensic Anthropology(法医学人類学)がやたらと人気になってしまっているのだ。人類学といえばforensicと勘違いしている学生たちもいたりする。テレビ番組をみて法医学人類学にあこがれてしまうのだろうが、犯罪学に比べてももっとひどいのは、実際大学4年でたり、修士をとったくらいでそんな仕事ができる人たちは誰もいないという現実があることだ。そして、犯罪学同様に、法医学人類学を専攻したがる学生たちが求めるのは、簡単なhow to 的な知識であるという問題もある。このままいったら、社会学のように、生物人類学がForensic Anthroにとってかわられてしまいそうという問題も起きてきそうだ。
私が今いる大学は、地元密着型州立大学といえるだろう。そして、所属する学部は社会学と人類学がいっしょになっている学部なので、私自身の分野は人類学でも、社会学側の話も日常的によくでてくる。
私の学部の社会学サイドは、近年、犯罪学(Criminal Justice)専攻をやめる決断をし、プログラムがなくなった。しかし、これは全米的にみると、かなり珍しい決断のようだ。なぜ犯罪学専攻のプログラムを廃止したのか、という話を聞くなかで、私の大学のみならず、全米で起きている状況がみえてきた。
私の昨年の就職活動を通じても、よく聞いた話だが、社会学が犯罪学にどんどん浸食されている状況があるというのだ。「社会学・人類学・犯罪学部」のように、複数分野がいっしょになっている大学の場合、人類学も社会学も両方、犯罪学に浸食されてしまう状況があるらしい。
たしかに、社会学の就職募集をみても、犯罪学のャWションが圧涛Iに多い。そして、例えば「社会学・人類学・犯罪学部」のような学部で、社会学者や人類学者が引退したりほかの大学に移ったりした場合、このャWション自体が犯罪学になってしまうこともよくあるらしい。
なぜかといえば、犯罪学が大人気で、学生数が簡単に集まってしまう分野になっているからだ。明らかに、テレビ番組のCSIや、ちょっと古くはX Filesなどの人気の影響がでているようだ。とくにCSIは、CSI ニューヨークだの、CSIマイアミだの、スピンオフ番組もできている。これらの番組に影響された学生たちが「犯罪学を専攻すれば、格好いい捜査官になれる」と思ってしまうことがあるのだろう。
また、現実的には、地元密着型大学を卒業して、大学院などにも行かない/経済的に行かれない学生たちに考えられる、確実に身分が安定しうる数少ない考えられる職業のひとつが、警察官であることもある。とくに、ここモンタナのように、若者の仕事がなかったり、あっても給与が非常に低かったりする土地においては、警察というのは魅力的な就職先なのだろう。私の学部の教員によれば、スピードや駐車違反でつかまってみたら、担当警察官が元生徒だった、ということもよくあるとのこと。(これは避けたいな。。)
犯罪学の隆盛で、危機感を覚えている社会学者たちは多い。犯罪学に「犯罪を(上から)取り締まる」という観念を求めてくる学生たちが多く、よくジョークで聞かれるのは、「『手錠の装着方法』を学びたい学生たちが来ちゃうからねー」といったようなこと。犯罪捜査でよくでてくる、ステレオタイプに基づいた人種プロファイリングに興味があったりとか。これと、社会学的なアプローチー階級、人種問題などを扱い、社会の下層に置かれて差別されている人たちや、社会運動に親和的な視点をもったりーと根本的にずれるといってもいいからだ。求めるものがあまりにずれてしまっている犯罪学専攻の学生たちを教えている社会学の教員たちは、かなり苦労しているようだ。
しかし、ビジネス化がすすみ、とにかく儲けを第一に考えたい大学にとっては、学生が集められる犯罪学のほうが、社会学や人類学よりも魅力的なのだろう。結果、どんどん犯罪学の教員が雇われ、犯罪学以外の社会学がそのあおりを食っている状況があるという。同じ学部にいても、どんどん犯罪学プログラムばかりが巨大化して、社会学や人類学が小さくマイナーなプログラムになってしまっていることもあるようだ。一部のエリート大学なら、こんなことを心配せずとも、社会学のいい教員も、興味をもつ学生も集まってくるのだろうが、、
こういった傾向は、犯罪学/社会学のみならず、人類学にもある。近年、やはりテレビ番組の影響で、Forensic Anthropology(法医学人類学)がやたらと人気になってしまっているのだ。人類学といえばforensicと勘違いしている学生たちもいたりする。テレビ番組をみて法医学人類学にあこがれてしまうのだろうが、犯罪学に比べてももっとひどいのは、実際大学4年でたり、修士をとったくらいでそんな仕事ができる人たちは誰もいないという現実があることだ。そして、犯罪学同様に、法医学人類学を専攻したがる学生たちが求めるのは、簡単なhow to 的な知識であるという問題もある。このままいったら、社会学のように、生物人類学がForensic Anthroにとってかわられてしまいそうという問題も起きてきそうだ。