ふぇみにすとの雑感

日々の雑感、テレビ、社会、フェミニズムについてなど。モンタナ発信。

「フェミニズムを誤解」しているワタシ?:伊田氏ブログに関して

2006-05-28 21:30:47 | フェミニズム
双風舎『バックラッシュ!』発売記念キャンペーンも盛り上がりつつあるが、本日付けの伊田広行氏のブログ「ソウル・ヨガ」http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/41/ にて、当書が紹介されている。

「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」とする伊田氏は、『バックラッシュ!』本が(フェミニストであったり、フェミニズムは支持するが)ジェンダーフリーという概念に関して批判的な論者を含むという点に関して、「何人かの人とは、意見が異なるだろう」、、と書いているのだが、そこになんと私が名指しされて登場!「執筆者のひとり、山口智美さんなどは、かなりフェミニズムを誤解されているようだし」なのだそうだ。

なんで私が、オトコである伊田氏から、「フェミニズムを誤解」などと言われねばならないのか?という基本的すぎる疑問はもちろんあるし、そもそもここで「フェミニズム」を伊田氏自身がどう捉えるかを書かずに、「誤解」などと言われても、何に対する「誤解」なのやらさっぱりわからない。

伊田氏の提唱する「スピ・シン主義」なるものが伊田氏が思う「フェミニズム」だと主張されているのだとすれば、それは私は「誤解」しているのではなく、全く信じてもいないし、むしろ「批判」しているのだ。

そもそも、なぜ「フェミニズム」の意味を伊田氏に定義されなければいけないのだろうか。伊田氏のご主張によれば、「フェミニズム」は多様性を強調するということなのではなかったのだろうか。
http://www.akashi.co.jp/home.htmにある、ご自身が関わられた、日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』本の宣伝中にはそう書いてあるぞ)

その他にも、「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」というご発言からも、まずは何が何でも「ジェンダーフリー概念擁護」ありき、というスタンスが見えてくるのも問題だと思う。何がなんでも、その概念に効果や問題があろうとなかろうと、まず「擁護」することを先に決めてしまうことで、見えなくなるものは多いのではないだろうか。


近刊本『バックラッシュ!』と発売記念キャンペーンブログ

2006-05-24 21:37:00 | フェミニズム
6月末に発行予定の新刊本『バックラッシュ!~なぜジェンダーフリーは叩かれたのか~』(双風舍)のキャンペーンブログが立ち上がったというお知らせをいただきました。こちらのURLです。
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/

また、双風舍の谷川社長さんのブログchikiさんの成城トラカレなどにも、本についての記載があります。

すでにアマゾンでも、予約受付が始まっているらしい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4902465094/249-9762539-7941914?v=glance&n=465392

私も執筆させていただいており、ここ数週間せっせと執筆やら校正作業などしておりました。実は先月ボストンに飛んで、このブログでも報告した妙なデザインのホテルに泊まったのもこの本用の取材のため。この本には、私の友人である、瀬口典子さんや長谷川美子さんなども執筆されていらっしゃいいます。

キャンペーン用ブログは、ネット&ブログ界の大ベテラン(?)、macskaさんとchikiさん運営とのこと。楽しみですねえ。

本、ブログともども、よろしくお願いします。こちらのブログでも、キャンペーンブログと連動して、エントリなど書いていけたらと思ってます。

とりあえず宣伝第一弾でした。

シカゴ建築ツアー

2006-05-24 11:21:33 | 日々の出来事、雑感
一週間、シカゴに遊びにいらしてくれている、友人(バリバリのリブ!)のDさんと一緒に、ボートに乗っての、シカゴ建築ツアーに行ってきました。普段何気なく通り過ぎている建物ですが、説明されると「ほおー、そんな歴史があったのか」という気に。また、道路から見るビルと、川から見るビルの建物の感じも違うものですね。

この建築ツアーの最後のお楽しみが、高速でのミシガン湖の運転。水がはねること、はねること。ということで、ちょっと遊園地気分も味わいました。写真は、船からみたシカゴのビル群。




テレビを箱に隠すワケ?・ntertainment Centerの不思議

2006-05-23 12:03:03 | 日々の出来事、雑感
ラジオ目覚まし時計で、アメリカのホテル関係の話になったので、もうひとつホテルネタ。

アメリカの、わりとまあまあなランクのホテルや、高いホテルに泊まると、必ずといっていいほど、テレビが木製の巨大な箱の中に隠れている。テレビはどこ?と一瞬思うが、この洋服ダンスのようにも見える巨大箱の扉を開けると、ようやく出てくるわけだ。いちいち扉を開けたりするのが面唐ノ感じ、いったい何のためにこんな箱の中にテレビをいれなくてはいけないのか?と考えてしまう。

これが、Motel 6 とかSuper 8 Motelとかの安いモーテルとかだと、テレビは箱に入っておらず、むき出しで部屋に置いてあるわけだ。ということで、あのテレビ箱は、高級ステータスのサインでもあるようだ。

このテレビ箱は、Entertainment Centerと呼ばれているようである。テレビのみならず、ステレオなどの機械ものが一気にはいるといいらしい。アメリカのケーブル局でよくやっている、インテリア改装番組の類いを見ていると、改装の時に「この部屋にEntertainment Centerを作ろう!」とデザイナーが言うと、家の持ち主(あるいは改装活動をする人たち)たちがひどく喜ぶ、という展開が多い。どうやら、アメリカ人にとって、Entertainment Center はあこがれでもあるらしい。階級を表す指標になっているんだろうか。

同時に、テレビや、ステレオの類いは、むき出しのまま置くべきではない、という価値観があるようでもある。テレビはむきだしは駄目で、コンピュータはなぜいいのか、と不思議でもある。日本の場合、テレビ=ステータスであり、部屋の真ん中にどーんと置く、という時代もあったし、今は液晶やプラズマで、やはり格好よく部屋にディスプレイ、、って感覚のように思う。

アメリカも液晶やプラズマに変わってきて、Entertainment Centerも廃れてくるのだろうか。。
それにしても、あのテレビ箱、部屋の角には置けないし(扉が広く開かないから)、今度は箱がどーんとステータスシンボルとして部屋のど真ん中に、、ということになる。邪魔くさくないんだろうか。。アメリカンカルチャー、わかりやすいようで、わかりづらいぞ。。

アメリカン・ナショナル・キャラクターとしてのラジオ時計?

2006-05-21 12:37:10 | 日々の出来事、雑感
アメリカのホテルなどに泊まると、必ずあるのが「ラジオ目覚まし時計」。ベッドサイドに置いてあって、アラーム目覚ましとラジオが一体化しているやつです。ホテルに泊まるたびに、あれをどうやって操作するのか、試してみようとするが操作方法がよくわからず、結局面唐ノなって、モーニングコールを頼んじゃえ、となることもしばしば。

どうも、これは私だけではないんじゃないかと思われます。というのは、日本人や、ほかのアジア系の友人たちに聞いても、あのradio clock(clock radio? 両方の言い方がある様子)の操作がいまいちわからん、、という経験談をよく聞くのですよ。

そして、アメリカ人の住むアパートを短期間サブレット(又借り)したりすると、やはり必ずベッドサイドに置いてあるradio clock。考えてみれば、アメリカでふつーの目覚まし時計をそのへんの店で探しても、日本のように品数がなかったり、なんだかいまいちなのしかなかったり、、。目覚まし時計を日本に行ったときに買ってきたこともあります。

アメリカ人はどうも、radio clock利用度が著しく高く、ホテルなどでも操作法がわからずに困るなんてことはないのではないか、、という仮説を思いつき、アメリカ人の友人で人類学者でもある、Bちゃんに聞いてみました。「日本人はradio clockの操作もできない人が(数少ない私の知り合いのケースだけで、はげしく一般化して考えているが)多い。反面、アメリカ人はかなりの率の人たちがradio clockをもっているようだけど、これはどうしたことだ」と。

そして、Bちゃんの説明によれば、、
確かにradio clockを使うアメリカ人は多いと思われ、これは中学とか高校に入学するなどしたときに、親が子どもに対し「これからはひとりでちゃんと責任もって起きるのよ」という意味もこめてプレゼントされることも多い。ある意味、radio clockは通過儀礼的役割を果たしているともいえる。そして、アメリカ人は朝起きるときに、radio clockのラジオで目覚めたりする。そのときにNPRだったりすることもあろだろうし、あるいは保守系ラジオ局のトークショーなんぞをかけているアメリカ人も多いはずだ。だから保守ラジオは影響力が大きいのかもしれない、、などなど。

単なる目覚ましとラジオ機能のみならず、通過儀礼、ひいては政治への影響力にまで展開するという、恐るべしradio clock。アメリカ人にとって、欠かせない存在だったのかもしれない。。。というわけで、ラジオ時計=アメリカのナショナル・キャラクター説という「人類学的(?)」理論を勝手に作ったのでした。

ちなみにナショナルキャラクター論ってのは、「菊と刀」時代にはやった超古い理論で、今これ信じている人は、文化人類学者ではほとんどいないと思う。(しかし、一部心理学者にはいるのかもしれない、というのが浮「)ってことで、この「理論」は完全にジョークです。。

アメリカン・ラジオ時計の、私が勝手にもっている、典型的ステレオタイプなイメージとしては、やはり木目調で、デザインはすごーくださくて、メーカーはGEとかで、音質も悪い、、。こんなのだと、すごくオーセンティックなラジオ時計!って感じするんだけどな。でも、先ほどアマゾンでみたら、メーカーはソニーが多かったり、ipodがはめられちゃったりしている。。ipodはある意味「アメリカン」なのかもしれないが、、

GEのサイトより。うーん、やっぱり木目調はもう売ってないのか。。
http://www.home-electronics.net/Products/ModelList/0,7336,CNUS-LNUE-SNGE-SI5-LI25-CI100824-PC100814-LCUE,00.html