3年ほど前のちょうど今頃、前にいたミシガン大学にて、大学での教職をめざす人のためのセミナー、というものに出た。2週間、週末のぞいて毎日、午前からお昼はさんで午後までの、集中セミナー。
アメリカの大学にずるずる長くいたところで、アメリカ高等教育の全体像ってのはなかなか見えてこない面がある。このセミナーで初めて、自分が行った事がないような大学がどうなのかとか、全体的にどういう傾向なのかとか、新しいことをいろいろ教わった気がする。教え方の工夫などについても、学ぶところが多かった。はっきりいって、ミシガン時代にいったセミナーだのワークショップの類いで、もっとも役立ってしまったぞ。
今だに印象に残っているのが、名門リベラルアーツ大学といわれるところから、名門大学院をへて、教授になっていく人たちのパーセンテージの高さ。「名門リベラルアーツ」ーすなわち、アマーストカレッジとか、ウィリアムズカレッジとか、そういうところー は、日本で名前はたいして知られていないけれど、エリート輩出度がやたら高いのだよね。たしかに、大規模リサーチ大学といわれるところの、学部生教育への熱意の欠落ぶりをみると、お金さえあれば(私立だし、学費はバカ高い!)、教育的に充実した小さなリベラルアーツのほうがいいのかな、という気もする。もちろん専門分野にもよるだろうけれど。
こういうスーパーエリートな世界とはちょっと違う世界なのが、for-profit universityだ。これも、とても印象に残る話だった。これは、よくテレビとかで宣伝している、University of Phoenixみたいな大学。要するに、通信教育と、実際の授業と組み合わせて、何らかの資格をとる、というような、大人が職に直結するために行く大学。普通の大学のように、授業のみならず、様々な学生生活の側面(課外活動とか)をも含めて、全人的な教育を、、なんてことではなく、とにかく授業を受け、資格をとったりなど、キャリアに直結するように、、というのを最優先にしているとか。カフェテリアであるとか、学生会館とか、ジムのような余計な投資はせず、講座関係の施設のみを作るという。そして、教員は通常の大学のように、授業計画から、試験づくりから、成績づけから、生徒のアドバイス、と全部担当することはなく、「講座計画担当」「授業担当」「評価担当」「アドバイス担当」とすべて分業システムで、例えばカリキュラムもがっちり担当者が決め、授業担当はそれをこなす、という形だという。ある意味、日本の大手予備校あたりに、分業システムのあり方としては似ているといえる。分業を担当する教員は、それぞれの分野でプロとしての役割が必要とされるわけだ。テニュア制度なんてのもないみたいで、すべて期間契約とかいうことだったと思う。(3年前の話なので、若干記憶曖昧だけど、、)
こういう利益型のfor-profit大学の勢いが増しているというのが、3年ほど前に私が聞いた話だった。今はどうなのだろう?インターネットの広がりによって、ますます広がっているかもしれない。そして、既存の大学がインターネットを使った通信教育などに乗り出すことで、for-profit大学と競争する事態にもなっているだろう。
もし私が、キャリアアップのために、既存の大学とfor-profit大学とどちらで講座とろうかなという立場にあったら、、もちろん学費とかの問題もあるが、それはとりあえず同じくらいと仮定して考えてみると、どの先生にあたってもある程度の質が保証されている、ある意味マクドナルドみたいな感じのfor-profitを選ぶかもしれない、、という気もする。普通の大学で、教員外したら悲しいもんな。。
しかし、その反面、今度はコミュニティカレッジの先生とかが、とても多様な学生(年齢的にも階層的にも)を教えることに熱意をもやしている様子もいいなあ、、と思った。名門リサーチ大学で青白い顔して、ストレスだ、、とか言っている教員より、人間的によほど魅力あると思った。流れ作業的な印象があるfor-profit大学だと、こういう人間的つきあいみたいな面は弱いのかな。行った事ないからわからない面があるけれど。
ネットでもfor-profit大学について、いくつか記事ありました。そのうちの一つ。
http://www.bc.edu/bc_org/avp/soe/cihe/newsletter/News28/text006.htm