双風舎『バックラッシュ!』発売記念キャンペーンも盛り上がりつつあるが、本日付けの伊田広行氏のブログ「ソウル・ヨガ」http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/41/ にて、当書が紹介されている。
「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」とする伊田氏は、『バックラッシュ!』本が(フェミニストであったり、フェミニズムは支持するが)ジェンダーフリーという概念に関して批判的な論者を含むという点に関して、「何人かの人とは、意見が異なるだろう」、、と書いているのだが、そこになんと私が名指しされて登場!「執筆者のひとり、山口智美さんなどは、かなりフェミニズムを誤解されているようだし」なのだそうだ。
なんで私が、オトコである伊田氏から、「フェミニズムを誤解」などと言われねばならないのか?という基本的すぎる疑問はもちろんあるし、そもそもここで「フェミニズム」を伊田氏自身がどう捉えるかを書かずに、「誤解」などと言われても、何に対する「誤解」なのやらさっぱりわからない。
伊田氏の提唱する「スピ・シン主義」なるものが伊田氏が思う「フェミニズム」だと主張されているのだとすれば、それは私は「誤解」しているのではなく、全く信じてもいないし、むしろ「批判」しているのだ。
そもそも、なぜ「フェミニズム」の意味を伊田氏に定義されなければいけないのだろうか。伊田氏のご主張によれば、「フェミニズム」は多様性を強調するということなのではなかったのだろうか。
(http://www.akashi.co.jp/home.htmにある、ご自身が関わられた、日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』本の宣伝中にはそう書いてあるぞ)
その他にも、「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」というご発言からも、まずは何が何でも「ジェンダーフリー概念擁護」ありき、というスタンスが見えてくるのも問題だと思う。何がなんでも、その概念に効果や問題があろうとなかろうと、まず「擁護」することを先に決めてしまうことで、見えなくなるものは多いのではないだろうか。
「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」とする伊田氏は、『バックラッシュ!』本が(フェミニストであったり、フェミニズムは支持するが)ジェンダーフリーという概念に関して批判的な論者を含むという点に関して、「何人かの人とは、意見が異なるだろう」、、と書いているのだが、そこになんと私が名指しされて登場!「執筆者のひとり、山口智美さんなどは、かなりフェミニズムを誤解されているようだし」なのだそうだ。
なんで私が、オトコである伊田氏から、「フェミニズムを誤解」などと言われねばならないのか?という基本的すぎる疑問はもちろんあるし、そもそもここで「フェミニズム」を伊田氏自身がどう捉えるかを書かずに、「誤解」などと言われても、何に対する「誤解」なのやらさっぱりわからない。
伊田氏の提唱する「スピ・シン主義」なるものが伊田氏が思う「フェミニズム」だと主張されているのだとすれば、それは私は「誤解」しているのではなく、全く信じてもいないし、むしろ「批判」しているのだ。
そもそも、なぜ「フェミニズム」の意味を伊田氏に定義されなければいけないのだろうか。伊田氏のご主張によれば、「フェミニズム」は多様性を強調するということなのではなかったのだろうか。
(http://www.akashi.co.jp/home.htmにある、ご自身が関わられた、日本女性学会・ジェンダー研究会編『Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング』本の宣伝中にはそう書いてあるぞ)
その他にも、「ジェンダーフリー概念を擁護しないのは、まったく政治的感覚として信じられない」というご発言からも、まずは何が何でも「ジェンダーフリー概念擁護」ありき、というスタンスが見えてくるのも問題だと思う。何がなんでも、その概念に効果や問題があろうとなかろうと、まず「擁護」することを先に決めてしまうことで、見えなくなるものは多いのではないだろうか。