木を愛し、土に親しみ、犬と戯れ、思いつくまま気ままに発信、知る人ぞ知る「山章工房」のブログです。
山章工房の木土愛楽(きどあいらく)




どんよりとした曇り空の一日でした。
さて、今日の新聞、ニュースは「大阪がらみ」の話題でした。
一つは大阪府知事に「行列の……」弁護士、橋下氏が当選したこと。
もう一つは大阪女子マラソンで先行した福士選手が
終盤失速してようやくゴールにたどり着いたことです。
私は2番目の話題に触れようと思います。
よく人生をマラソンにたとえる話が出ます。
昨日のように話題性のある選手が、「予想通り」の
凋落なんかをすると余計にそうです。
レベルこそ違え、30年以上走ってきた私からすれば、
人生=マラソンではありません。
スポーツはどんなに苦しくても時間または距離で
終止符が打たれます。
また、途中でいやになったらやめることができます。
もう18年も前、生まれたばかりの娘に
父親の走る姿を見せようとローカルなマラソンに出ました。
しかし、10㎞過ぎに娘のかわいい姿を見たら
走るのはどうでもよくなってあっさり棄権しました。
人生途中で棄権できますか?
私はレベルが低いランナーだからそうなんだ!
エリートマラソンに出てくる人はどんなに苦しくても
そんなことはしないと反論するでしょう。
例えばオリンピックをかけたマラソンで
失敗することあるでしょう?
失敗したら人生終わりますか?
つまり、しょせんスポーツはスポーツで、
人生のシミュレーションではありません。
だからどんな素人もエリートも気楽にそして真剣に
レースやゲームにまさに「人生をかけた」つもりで
望むことができるのです。
そこで勝ったと言っても
人生のウィナー(勝者)ではありません。
負けたとしても
人生のルーザー(敗者)ではありません。
人生は一度きり、レースやゲームは何度でもトライできます。
勝者は新たな記録を目指し、
敗者は終わったことはけろりと忘れ、また練習するのです。

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