スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(報道は、道なのだ)

2019-11-13 15:17:28 | 日記
11月13日(水)
 ジャパンアンリミテッドは現地大使館が公式ロゴの使用権を剥奪したそうだ。それは前進であるが外務省は昭和天皇が侮辱されたことに抗議しないのだろうか。もしオーストリアの有名な美術館がエリザベス女王の写真を切り取ったり、豚かと思う姿の人間に置き換えられた作品を展示したら、イギリスはオーストリアに国交断絶ぐらいの勢いで抗議すると思うのだ。スターリンにそんな事をしたらプーチンはミサイルを撃ち込むぞと脅すだろう。現地大使館がいったんは公式ロゴを与えたのだから抗議しにくい気持ちは分かるが、そこは本省の意思として押し通せばよい。最低でもオーストリア大使を更迭しなければならない。しかし外務省にも外務大臣にもそうした動きが全くないようなのは、どうしたことか。もし河野大臣だったらどうしただろうか。
 ジャパンアンリミテッドも愛知トリエンナーレでもそうだが、マスゴミは少女像とか会田誠の事は報道しても、昭和天皇を侮辱した作品が展示されていることは、一切報道しない。安倍首相を揶揄した作品に対して公式ロゴを撤回したとして報道するから、聞いた人は安倍がまた我儘を通したとか、大使館が忖度したくらいにしか思わない。良心的なテレビ局でもせいぜい「昭和天皇をコラージュした作品」としか報道しないから、国民は自国の国家元首がウイーンで晒し者にされているとは、思いもしない。だから何故我々が声を上げているのか、分からない。
 マスゴミは政府や日本の悪い所は、重箱の隅をほじくるようにして、報道をする。左翼や中国韓国の悪い所は、隠して報道しない。これがマスゴミの本質だ。だから我々だってマスゴミが隠すから、世の中の多くの事柄を、本当には知らないでいるのだろう。
 何故マスゴミはこのように偏向するのだろうか。ある人が面白い事を言っていた。一般に「報道」と言うが、これは「剣道」「華道」「茶道」などと言うように「道」なのだと。竹刀で打ちあってもストリートファイトの技は上達しないが、それが「剣道」である。あんな狭い部屋ににじり入ってお茶など普通は飲まないが、それが「茶道」なのだ。つまり「〇道」と名の付くものは全て、現実から乖離した型を持っていると言うのである。
 「報道」も同じように型を持っており、日本の悪い所は新聞テレビで白髪三千丈的に流し、左翼と中韓の悪い所にはスルーする、そういう型を持っているのである。剣道や茶道は愛好者に支えられているから成り立っている。だが現実生活では誰も棒切れを振り回さないし堅苦しく正座してお茶など飲まない。「報道」も同じように反日日本人に支えられている。だが「剣道」や「茶道」と違って一部の愛好家による趣味の範囲を超えて、社会の現状を認識する分野で圧倒的な存在となっている。まるで運動は「剣道」だけ、立ち居振る舞いは「茶道」だけになっている、そんな社会を想像するとよい。それでは如何に全人間的活動が疎外されるか分かるだろう。
 「報道」が反日日本人に支えられる型を持つものとしたら、反日日本人がいなくならない限り、マスゴミが改善されることはないと考える。だが彼らの存在を縮小させることは可能だと思う。「報道」を反日日本人の趣味の範囲という狭い中に落とし込むのだ。「報道」の二本柱である新聞はだいぶ落ち込んでいる。ネットの力だと思う。もう一息だ。後の柱のテレビはどうであろうか。今のところびくともしていない。N国に票を入れて受診料不払いを続ける事くらいしか思いつかない。もう一つスマートテレビを発売させる手がある。5Gとか言っている時に今の電波管理が続けられるであろうか。ネットのテレビ版みたいなものがもうすぐ出てくる気がする。