スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(張作霖爆殺)

2019-11-06 15:20:50 | 日記
11月6日(水)
 河本大作犯人説が確定したのは東京裁判での話らしい。田中隆吉の証言が決定的なものだったとのことだ。となるとまずこの方面からの河本犯人説は捨てた方が良い。
 昭和天皇実録を紹介している人によると、田中首相は河本は怪しいが穏便に処置したいと、昭和天皇に奏上したとのこと。当初断固とした処置を取ると聞いていたのに穏便にと言われれば、変節したかとまだ若い昭和天皇が怒ったのも、理解できる。しかし日本政府と軍による調査で、河本の犯行を立証する確かな証拠が得られなかったのは、どうも事実らしい。調査委員会は状況証拠によって河本犯人説を結論したらしい。ならば田中首相が行政処分で済ませようとしたのは、現代的に言えば冤罪による処刑を防いだ、立派な判断ではないか。昭和天皇がその辺の理解不足であった可能性がある。
 河本犯人説が東京裁判で確定したのなら、その時彼は中国の捕虜として存命であったのだから、何故中国は河本を出廷させなかったのかとの疑問が出る。出廷させなくても河本犯人説が通ると分かっていたからであろう。もともと事実を検証する意図など裁判所にないのだから、わざわざ大原から輸送する必要もない。変な証言でもされたら却って困るのだ。
 河本の爆殺実行告白などの書物は戦後になって、義弟が河本に代わって出た物とのこと。しかも河本は中国の監獄で間もなく死んでいる。だからこれらの資料はあまり価値がないと言われているようだ。しかも、これは聞くところだが(私は告白本を読んでいない)、これらの告白本で河本は、爆弾を京奉線の線路脇に仕掛けたと言っているらしい。しかし当時の状況報告書によると、地表には爆発の痕跡は何もなく、上方の満鉄線の橋脚が崩れていることから、爆弾は橋脚下部か車内天井に仕掛けられていたと、推定している。という事は河本告白本の信頼性が一挙に崩れるではないか。ただ私は車内天井に仕掛けた爆弾で満鉄線の橋脚まで崩れるか疑問である。それだけの爆発力なら儀我少佐も死んだろうと思うからだ。
 以上を整理すると当時政府と軍が調査したにも拘らず、河本の犯行を裏付ける決定的な証拠は出なかった。犯行説はあの東京裁判で確立したものである。となると今更確かな証拠が出るとも思えないから、犯人は推定をするしかないと思う。東京裁判では話にならないから、爆殺犯は新たに考え直した方が良い。
 そうすると「動機」と「殺害に至る確実性」が高い順番に、犯人を推定する考察は、有益なやり方だと思う。
 そこで一番の疑問なのは、張作霖爆殺事件に関して色々な話が溢れているが、儀我少佐のかすり傷と、「なに大丈夫だ」と爆発直後に振舞った張作霖の態度を取り上げたものが、ほとんどないという事だ。これはどうしたことなのだろう。儀我少佐の談話は当時の新聞に載っているから、別段隠されていたものではない。儀我少佐が嘘を言っているのではないとしたら、大変興味深い一次情報ではないか。私は少佐の証言から河本もソ連も、「殺害に至る確実性」は高くない、高いのは張学良だと結論した。