スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(日光東照宮)

2019-11-10 11:41:36 | 日記
11月10日(日)
 日光東照宮へ初めて行ってきた。私は東照宮は写真で見るばかりであったから、かねてからその華麗な造作を、日本的な美意識から逸脱した、日本の伝統とは異質で異様なものに感じて、不思議であった。名古屋城の本丸御殿など例えば柱の材質などとても高価なものであろうが、ベルサイユ宮殿などのように金銀宝石で飾るという華美なものではない。また豪商と言われる家などを見ても、材料の質は別にして金銀的な見栄えが追及された作りにはなっていない。これらから、ひょっとしたら家光は外国人ではないのかと妄想したものだ。
 しかし実際に現物を見てみると中国の物でもインドの物でもない。ちりばめられた彫刻や造作の一つ一つは日本的なものである。普通の建物ならばそうした造作が、例えば100の空間に3ぐらい存在するのだが、東照宮では100の空間に100存在していると表現できようか。それだけの密度の濃さは確かに異様と言えようが、決して家光は外国人でその時外国王朝に征服されていたからあんな建物が出来たというような事はないと、実感した。
 彫刻や造作は日本の職人芸が発揮されたものである。職人は芸術家ではないから作品は一面没個性的である。だからそれが100の密度で存在する中に、一つ個性のある作品に出合うと、とても素晴らしい芸術作品に見える。眠り猫がそうである。眠り猫の右前足が踏ん張っているから、いつでも飛び掛かれるように眠った振りをしているのだとの話を聞いたことがあるが、確かにそのように取れる。恐らく作者の個性が出ているからであろう。
 江戸期の東照宮の広さがどのくらいだったかは知らないが、密度の濃い建物を他に聞かないから、恐らく今日見るものと違わなかったと思う。広大さという観点からすると中国皇帝の陵墓の広さとは比較にならないくらい小さい。そんなところも日本的だと思った。