先日、久しぶりに「缶切り」を使いました。最近の缶詰はほとんどがプルタブ式になりましたからね。缶切りが見あたらずに惨めな思いをしなくても良いのは確かに便利ですが、今一つ味気ないような気もします。そう簡単には開けてはいけない、とっておきのものに「ついにこの時が来た!」とばかりに刃をたてるという厳粛さが必要な缶詰もあるのです。
何年か前の山響忘年会のビンゴの景品で、その缶は当たりました。
「10万円たまる」貯金箱です。100円ショップにある、缶詰型のやつですね。貯金箱にオブジェとしての価値が必要かどうかはわかりませんが、これはまた極端に何の愛想もない殺風景な銀色の缶。ただ、これの優れている点は、目標が明確であることです。・・・これに500円玉を入れ続ければ、いつか10万円になる。この「10万円」という設定もなかなか良い。10万をパッと使う気になれば、たいていの贅沢はできそうです。
考えてみると、私は今までの人生で、貯金箱というものを一杯にしたことが一度もありません。夢がないんでしょうか。「今までにいくら入れたか」をだいたい把握しているので、わくわく感がもてない。なので必要なときに下の黒くて丸いゴムを外して使ってしまう。
ゴムなんかついてない、出すときに割るしかない瀬戸物のやつにすれば良かったのかとも思いますが、そんな小銭のためにいちいち器物損壊をするのも好きになれない。しかし壊さないと、小銭とはいえ金を捨てたようなものだし・・・やっぱり夢がないのでしょう。
なので、この貯金缶にも何の興味もありませんでした。ので、酔った時に何の意識もなく「よ~し、これが一杯になったらその10万円でみんなでディズニーランドに行こう!」と言ってしまったのでした。・・・こんなのが一杯になるのはずっとずっと先のこと。それまでせがまれないで済むし、なんと良いアイディアだろう。
しかし・・・それからというもの、娘の恐ろしい収奪が始まったのでした。
「ただいま~」家に帰るなり、
「ねえっ、500円ある?」
・・・せめて「おかえり」ぐらい言ってくれてからにしてほしい・・・と思いながらも着替える間もなく、ポケットから500円玉を持って行かれる。
「ごめん、今日は無いや」と言っても
「ほんとかどうか見せて」
・・・そして実際に無いと、心から落胆されてしまう。仕方なく、できるだけ用意しておくようになってしまったのでした。情けない。
そんな暮らしにも慣れてきた頃、だんだん投入時の音が鈍くなり、そして次第に入りにくくなってきたのです。そしてついに・・・ひっかかった!
これはさすがの私も、驚くとともに、感慨深いものが。私が自分の意志では一枚も入れていないのに、きっちり約200枚・・・女の執念はすごい。
そして缶切りによる、厳粛な「オープンの儀」がしめやかに執り行われ・・・先週末となったわけでした。
当分、新しい貯金箱は買わないつもりです。