「上海の日本人高校が初の卒業式」のニュースを読み、正直、「へ~、上海日本人学校高等部、あったんだ」と、第一印象だった。
調べてみると、上海日本人学校の浦東校に2011年4月に開校されている。在校生は140人ほどの世界で初めての日本人学校の高等部です。
上海日本人学校には虹橋校もあるが、浦東校に高等部がある。
世界で約90校の日本人学校があるが、中国だけでなく、自由なデュッセルドルフやニューヨークなどには高等部が有っても良いと想像できるが、日本人特有の進学と言う問題もあり、親である駐在員の任期などもあり、設立にはいろいろ困難さが見えてくる。
沿革を読んでみると、いろんな企画、計画、手続きを経て、設立されているが、勿論、ここに書かれている以上の歴史があるだろうことは容易に想像できる。
法政大学、関西学院大学、芝浦工業大学、上智大学、東京理科大学、同志社大学、明治大学、明治学院大学、立教大学の9大学の支援の基に、、開設までの準備支援と開設後の高校運営ならびに教育支援全般、3年後の卒業生受け入れに至るまで一貫して協力体制を継続し、理想の国際人育成、高校作りがなされている、日本にある私立高校とは多いに違った私立高校で、このような大学の支援が設立の大きなKEYだったと想像できる。
初代校長が2013年に2代目校長、水野俊夫さんに変わり、この人のインタビューが公開されている。芝浦工業大学から来られた方で、国際経験も豊富な方です。
「交際性豊かな豊かな人材を育てる」を掲げているが、他国のインターナショナルスクールと違って、情報の乏しい中国の社会の中で、高校教育だけでなく、どういう人生、職業に進むきっかっけを作れるのか、世界の窓にどう向けさせるか苦労があることも予想される。
日中間の問題もあり、尖閣列島騒動の中でいろんな事がとん挫しかけたことも想像できますね。卒業生が「12年秋に何度も頓挫しかけた地元校との日中合同イベントを、みんなで力を合わせてやり遂げたことが忘れられない」と高校生活を振り返ったのも、容易に理解できる。
11大学が、指定校推薦入学枠や教授陣を派遣した特別講座の実施などで協力しており、35人の卒業生のうち19人が協力大学に合格していると。
今回の第一期卒業生が、上海で学んだ経験を今後どう生かしていける興味深いですね。
調べてみると、上海日本人学校の浦東校に2011年4月に開校されている。在校生は140人ほどの世界で初めての日本人学校の高等部です。
上海日本人学校には虹橋校もあるが、浦東校に高等部がある。
世界で約90校の日本人学校があるが、中国だけでなく、自由なデュッセルドルフやニューヨークなどには高等部が有っても良いと想像できるが、日本人特有の進学と言う問題もあり、親である駐在員の任期などもあり、設立にはいろいろ困難さが見えてくる。
沿革を読んでみると、いろんな企画、計画、手続きを経て、設立されているが、勿論、ここに書かれている以上の歴史があるだろうことは容易に想像できる。
法政大学、関西学院大学、芝浦工業大学、上智大学、東京理科大学、同志社大学、明治大学、明治学院大学、立教大学の9大学の支援の基に、、開設までの準備支援と開設後の高校運営ならびに教育支援全般、3年後の卒業生受け入れに至るまで一貫して協力体制を継続し、理想の国際人育成、高校作りがなされている、日本にある私立高校とは多いに違った私立高校で、このような大学の支援が設立の大きなKEYだったと想像できる。
初代校長が2013年に2代目校長、水野俊夫さんに変わり、この人のインタビューが公開されている。芝浦工業大学から来られた方で、国際経験も豊富な方です。
「交際性豊かな豊かな人材を育てる」を掲げているが、他国のインターナショナルスクールと違って、情報の乏しい中国の社会の中で、高校教育だけでなく、どういう人生、職業に進むきっかっけを作れるのか、世界の窓にどう向けさせるか苦労があることも予想される。
日中間の問題もあり、尖閣列島騒動の中でいろんな事がとん挫しかけたことも想像できますね。卒業生が「12年秋に何度も頓挫しかけた地元校との日中合同イベントを、みんなで力を合わせてやり遂げたことが忘れられない」と高校生活を振り返ったのも、容易に理解できる。
11大学が、指定校推薦入学枠や教授陣を派遣した特別講座の実施などで協力しており、35人の卒業生のうち19人が協力大学に合格していると。
今回の第一期卒業生が、上海で学んだ経験を今後どう生かしていける興味深いですね。