やまちゃん奮闘記

1970年代から海外に出かけ、滞在した国が合計26か国、21年の海外生活が終わりました。振り返りつつ、日々の話題も、

トレーニング開始!!

2009-10-31 | 健康・スポーツ

椎間板ヘルニアが引き金となり、一時は間欠跛行(かんけつはこう)状態となり苦労したが、中国では針+電気療法+マッサージ、日本では腰の牽引+低周波マッサージ+全身機械マッサージ+ストレッチ+薬物療法で、治療を始めて、正確には早6ヶ月弱。
おかげで、最近は、坐骨神経痛で下肢に痛みが残っているものの、ほとんど歩くことも苦にならなくなってきていた。
今日はそろそろ筋力をつける目的もあり、トレーニング開始で水泳を行ってきた。
市営の温水プールで、隣の環境センターの余熱を利用した温水プールとなっている。また、老人福祉センター「福寿荘」があり、駐車場も完備しており、便利ゆえ、昔から利用していた。
今日は平泳ぎとクロールをおり混ぜて、500mを負荷をかけないように様子を見ながら、途中でサウナで温まったりして、1時間程トレーニングしてきた。心地よい、疲労感と痛みです。
明日はどうなるか、心配ですが、いずれにしても、記念すべき日です。

 

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減量作戦効果出ている

2009-10-25 | 健康・スポーツ
一晩で6kgも増えた事件があったが、この春から減量作戦を行ってきた甲斐があり、やっと元に戻すことに成功した。
南京工場での昼食の油料理が鼻につき、昼食を取るのをやめ、コーヒー一杯で我慢したのがきっかけでした。当初は我慢するのが大変でしたが、そのうちになれ、その分、朝食、夕食が楽しみな毎日でした。
約半年続け、順調に1kg/月のペースで減量できてます。
一晩で6kgと簡単に増えるが、減らすのは時間がかかりますね。(~_~;)
これからも肥満度をさらに改善すべくがんばらなくちゃ。でも、散歩はOKだが、運動ができないのが辛い(~_~;)

腰部脊柱管狭窄症 - その後

2009-10-24 | 健康・スポーツ
4月に異常を感じ、痛みを感じながら海外出張を繰り返した結果、6月にCT検査の結果、腰部脊柱管狭窄症の疑いもほのめかせながら、椎間板ヘルニアと言われた
8月の帰国時のMRI検査結果、腰部脊柱管狭窄症と診断され、がっくりしていた。
4月に痛みを引き起こしてから約半年経ている。

中国では、針+電気療法+マッサージ/火管、日本では、リハビリ+末梢循環障害の改善薬の服用を行ってきている。おかげで、最近は、朝晩の痛勤もそれほど苦痛とは感じなくなってきており、長時間の散歩もOKです。リハビリの一環として、正座もやっているが、かなり、持ちこたえることができるようになった。しかし、坐骨神経痛があり、庭仕事などをやるとすぐに痛みがぶり返す。従い、まだ運動も控えている。

なんとかテニス再開まで直したいものですね。

オランダ王国首相の来日

2009-10-20 | 歴史・文化2
オランダ王国首相ヤン・ペーター・バルケネンデ閣下が24日(土)に来日するそうです。
1600年に臼杵に漂着したリーフデ号の航海士ウイリアムアダムス(三浦按針)の後押しもあり、1609年に平戸に商館を建て、オランダと交易を初めてから、今年は400年目に当たります。(日蘭の歴史オランダ大使館HP参照)
いろいろ催しが行われてます。
古伊万里展もその一つでした。

パリに咲いた古伊万里の華

2009-10-18 | 歴史・文化2
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 ←色絵花鳥文蓋付大鉢(1720-1750年) 


080a7abb.jpg0a71bd6e.jpg1659年10月15日にオランダ東インド会社によって正式な磁器輸出が始まってから350年目を記念して、パリを中心にヨーロッパで収集された碓井コレクションの優品展が東京目黒の東京都庭園美術館で開かれてます。この展覧会の招待状をいただいたので、見に行ってきました。

(写真左 染付漆装飾花束菊文蓋付大壷(1690-1730年)、右 色絵鯉滝登り牡丹獅子文蓋付角瓶 1720-1740年)) 

中国磁器の模倣に始まった輸出磁器が、日本独自の美意識と技術の発展により、本家中国を凌駕するまでに成熟して行った過程が、数々の作品で読み取れた。
輸出向けの特徴をもつ作品や、渡欧後に金鍍金を施したブロンズで装飾されたひと味違った古伊万里など、珍しく貴重な作品も数々展示されており、当時のヨーロッパの王侯貴族の磁器に対するあこがれや嗜好を知るとともに、明と清の戦乱の影響で衰退・途絶えた中国磁器に代わって、ヨーロッパへの磁器供給の主役となった日本磁器の技術力の高さがうかがえた。
また、碓井コレクションはヨーロッパで収集されたもので、日本で収集・展示されている「古伊万里」と違って、美しさもさることながら、大きなサイズの絢爛豪華なものが多く、見ていてあきなかった。
8a7b8329.jpg96ee7278.jpg(写真左 染付牡丹文蓋付大壷大瓶(1690-1730年) 右 色絵楼閣山水牡丹菊文六角蓋付大壺・六角大瓶 (1700~30年


56d87063.jpgbb470e2c.jpg6d7c3003.jpg(写真左 色絵牡丹菊文手付水注(1710~50年) 中 色絵鶉菊文皿 (1680~90年) 右 色絵牡丹文手付坏 (1670~80年))





有田、三川内、波佐見(長崎県)などで焼かれた磁器が江戸時代に伊万里港から出され、その名にちなんで「伊万里」と呼ばれているが、元禄時代の終わり(~1704)頃以降は、中国磁器輸出が復活したこともあり、日本からの輸出は衰退し、国内向けが主力となった。それまでの作品を「古伊万里」と呼ばれているとのこと。青の世界から色の世界柿右衛門様式金欄手(きんらんで)様式がある。

一方、「有田焼」と「伊万里焼」は同義と考えられているが、、「有田焼」は佐賀県有田町で生産される磁器を指し、「伊万里焼」はやや範囲を広げて肥前磁器全般を指すという考え方もあるそうです。
明治時代以降、やきものを産地名で呼ぶことが一般的になり、有田で焼かれた磁器を「有田焼」、伊万里市で焼かれた磁器を「伊万里焼」と呼び分けるようになったとか。今日では有田焼、伊万里焼とも原料、成形、加飾等技法が同じなので、「伊万里・有田焼」と統一した名称で呼んでいるようです。