「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「金蔵寺」(こんぞうじ)

2006年03月12日 17時03分04秒 | 古都逍遥「京都篇」
 洛西の西山の麓、大原野一帯は私の好みの所で、四季を通じて散策に訪れる。
 夏も終わりの頃、ふらりと大原野の花の寺として名高い「勝持寺」を訪ねようと車を走らせた。ふと勝持寺へ曲がるYの字の角に「ぽんぽこ山・金蔵寺」の石標が目に入った。いつも通る道なのだが、何気なく見落としていた。そう言えば、金蔵寺の仁王門は運慶が造ったと耳にしたことを思い出した。
 ハンドルを左に切り、あぜ道のような農道を少し走ると、林道へと出た。
 ここからが難儀だった、車が一台しか通れない細い道。昼なお暗い山道となる。幸いにも対向車とは出会うことなく西岩倉山の頂近くに到達すると、当寺の仁王門が見えた。人影はない。
 仁王門に立つと、なるほど重厚な造りは運慶作と伝えられるのも頷けた。
 当寺は養老2年(718)、元正天皇の勅願により、山主向日明神と開祖隆豊禅師が小塩山の中腹に開創。天平元年(729)聖武天皇より金蔵寺の寺号を、また桓武天皇より西岩倉山の山号を賜ったという。十一面千手観音を本尊とし、平安遷都以後、49院を数えるまでになって栄えた。
 平安後期には名刹として知られ、『今昔物語集』にも描かれている。応仁の乱で兵火にあったが、現在残っている建物は元禄6年(1693)、徳川5代将軍綱吉の母桂昌院によって再建された。
 平安後期には名刹として知られ、『今昔物語集』にも描かれている。応仁の乱で兵火にあったが、 現在は天台宗の寺で、竹林に囲まれた山深い細道を登りつめたところに境内がある。仁王門から石段を上がると諸堂が石段でつながり傾斜地に建っている。境内の北からは展望がきき、大原野から東山にかけて一望できる。秋は紅葉が美しいことで知られ、とくに銀杏の落葉が名高い。
 交通:阪急電鉄「東向日駅」、JR「向日町駅」下車→阪急バス「南春日町」下車、歩1時間。
 ―この取材は一昨年のものです。―
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