「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

 「安楽寺」(あんらくじ)

2011年10月22日 23時25分01秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 近松門左衛門の名作『冥土の飛脚』のモデルとなった遊女梅川と飛脚屋の梅川忠兵衛ゆかりの寺を訪ねた。

 当寺は法然上人源空の弟子久野作仏房が、建久3年(1192)に熊野巡拝の帰路 、葛本の不経堂の地に一宇の庵室を構え念仏の道場としたのが初めといわれ、正徳3年(1713)に現在地に移転し安楽寺と称した。
 本尊は「阿弥陀三尊坐像」、表門は鬼瓦に延享3年(1746)、青光寺(廃寺)の門を移築したもだという。

 本堂前の水子地蔵の向かって右隣に「梅かわ忠兵衛」の碑があり、江戸時代の阿弥陀石仏碑で「休安禅忠兵衛、香薫禅定尼梅かわ」と刻まれている。

 この物語を要訳すると、 大阪淡路町の三度飛脚亀屋の養子忠兵衛は新町槌屋の遊女の梅川と恋仲になり通い詰めた。梅川を身請けしたいと金策に走るが思うように集められず、困り果てた忠兵衛は三百両の封印切りの大罪を犯し、生まれた大和新口村(現在の橿原市新口町)に駆落したが捕らえられ、忠兵衛は大阪千日前の刑場で処刑され、梅川は近江矢橋の十王堂で、忠兵衛の菩提を弔いつつ懺悔の日々をおくった。

 「冥土の飛脚」には「奈良の旅籠屋三輪の茶屋、5日、3日、夜を明し、20日あまりに、四○両、使い果して二分(一両の半分)残る。鐘も霞むや初瀬山・余所に見捨ての親里の、新口村に着きにけるが」という名文句がよく知られている。

 所在地:橿原市葛本町259。
 交通:近鉄橿原線「新ノ口」駅下車、徒歩8分。

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「伝香寺」(でんこうじ)

2011年10月14日 20時59分09秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 奈良市の「やすらぎの道」沿いに建つ伝香寺は、宝亀2年(771)に鑑真和上の弟子、思託(したく)律師によって創建された小寺であった。その後、荒廃したが、戦国武将の筒井順慶の母・芳秀宗英尼が順慶の菩提を弔うために再興し、寺名を「伝香寺」と改め筒井家の菩提寺となった。

 再興時に建立された本堂(重要文化財)は寄棟造・方三間の建物で、1304年の作とされ県の重要文化財に指定されている聖徳太子の童子像「南無仏太子像」(像高70.5cm)のほか、鎌倉時代の作といわれる地蔵菩薩立像(重文/像高(97.3cm)が安置されている。裸形像に実際の着物を着用させた裸形着装像で、通称「はだか地蔵尊」とも呼ばれている。秘仏として普段は公開されていないが、7月23日の『地蔵会』(「着せ替え法要」)と3月12日に限って特別公開される。

 また、境内にある「散り椿」は、東大寺開山堂の「糊こぼし」、白毫寺の「五色椿」と並び「奈良三名椿」の一つとして有名で、3月中旬が見頃で、中興の祖・筒井順慶の母・芳秀宗英尼が植えたものが初めとされるが、すでに枯死し、現在は3代目・4代目という。椿は花ごとポロリと落ちるのが普通だが、当寺の椿は花びらが一枚ずつ散るのが特徴で、「武士椿(もののふつばき)」とも呼ばれている。

所在地: 奈良市小川町24。
交通:近鉄奈良駅から徒歩一〇分。
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