「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

3年前の今日

2020年07月30日 21時02分17秒 | 和太鼓
 思い起こせば3年前の今日、市民会館大ホールにおいて開催された市民芸能フェスティバルにおいてわがチームも参加、割当最高時間一杯の25分間の演奏を行った日だ。
 この舞台は毎年開催されているのだが我々は成果発表として3年に一度出演することにしている。ということから今年7月に出演する予定だったが2年前の大阪北部地震で市民会館も大きな被害を受け、以来、閉館している。もうこの会館が使用不能ということで、かねてより新ホールが欲しいとし計画立案されていた案を実行することになり、現在、「芸術文化会館」として着々と建設がすすめられ、来年秋に竣工する。
 その記念として各種行事が計画されており,新ホールにおいて我々も演奏したいと考えている。
 写真は2017年7月30日の舞台。学生諸君が参加できず、少なくこじんまりとした舞台になったが、オリジナル新曲2曲と伝統太鼓1曲を披露した。







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夏祭り児童太鼓

2020年07月30日 11時28分06秒 | 和太鼓
 毎年7月の第3週日曜日から夏祭り前日まで「夏祭り児童太鼓]の指導・練習をしている。残念なことに今年は中止となり、ホットしている反面寂しい思いもある。
児童太鼓は夏祭りの時だけ参加児童を募集している。その時どきによって多かったり少なかったりでまちまちだが、昨年は幼児の部(年少から小1年生まで)は24名、小学生の部(2~6年生)は10名と多かったが、一昨年は少なかった。
 そして小学生の部に参加した子たちの中から5年生以上にお神輿巡行を先導する太鼓を叩かせることが恒例になっていて、これを楽しみに参加する子たちがいる。町内を一回りするのだが、参加児童が多いときは太鼓1台に3人割り振り交代で「この角まではこの子」という風に割り当てる。神輿は4台と多い。
 幼児太鼓は石川県七尾に伝わる伝統太鼓「ほうねん太鼓」を毎年取り入れており,いつも参加する子は一年経っても覚えているもので子供の記憶力は優れている。小学生の部は時折曲目を換えたり、同じ曲でもアレンジや振り(パフォーマンス)を変えたりして楽しませている。時には新曲を創作し叩かせるが「やぁだ――いつものがいい~~」とダダをこねたりする。覚え直すのが面倒だからだ。というのも祭り太鼓を叩いた後には「はい、お駄賃」と言って文房具やお菓子をあげているのでそれが楽しみ。それとお神輿巡行では担当部が「青少年部」となり,これもお駄賃にたんまりお菓子と飲み物が手渡される。なるほどなるほど子供たちは太鼓も楽しむが後の祭りではないがお駄賃狙いだ。 これも年に一度のお祭り、喜ぶ顔が嬉しい。
 タウンの児童たちに夏祭り太鼓を叩かせるようにしたのは,マンションは横のつながりが薄いこともある。生まれ育つ子たちも多いので「故郷的な想い出」をと提案し自治会で承認を得た。
 若かったその時は意気込んでいたが,もう20数年も経て、自分も老いてきた。時にはつらいなぁと感じるときもあるが、孫、曾孫たちを相手にする時間も若返りのひと時となっているようだ。
そして児童太鼓のあとは太鼓チームの演奏を25分、40分の小休止ののち盆踊りとなる。


 練習はマンションの集会所でタイヤを叩いて練習。本物の太鼓を叩くとマンション内だけでく近隣からの苦情も・・・。


初めての子はタイヤなので驚くが説明してあげると納得し、「お祭りでたたけるのーー」て聞いてくる。


 

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北山友禅菊

2020年07月29日 09時35分21秒 | 風景
この時節になるとムズムズしてくる。
というのは京都と云っても滋賀県との府境に位置する「久多宮の町」で栽培されている「北山友禅菊」が見ごろを迎えるからだ。
友禅菊は名の示すとおり織物の染色に使われる菊で、都忘れのような花。
藁ぶき家を背景に畑一面に友禅菊が花の絨毯となって広がっている。
観光サービスとして早朝、白馬をあぜ道に放ち,写真愛好家たちを喜ばせてくれる。
我が家からは二つのルートで行けるが、一つは三千院のある大原を経て一端滋賀県へ。朽木から久多へと入るルート。
もう一つは若狭街道、いわゆる鯖街道を経由し滋賀県朽木から久多へ。
いずれにしても一般道路なので2時間半は覚悟していなければならない。
 今年は自粛が続いており行こうかやめようか迷っているところ。しかし、あの花の絨毯を瞼の奥に浮かべると、やはりソワソワ・・・。
*[北山友禅菊 京都府 京都市 左京区久多宮の町203]










                    霧の朝








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私とエレクトーンとの出合い

2020年07月28日 11時05分25秒 | 日常のこと&写真
 もうずいぶん古い話となる。
 大学時代グリークラブ(男性合唱)に所属し、それまでテニスや登山などにうつつを抜かしていが一転して文科系クラブへ転身。
 当時はグリークラブ全盛期でどこの大学でも盛んに活動していた。関東圏では早稲田大学が横綱、関西圏では関西学院大学が横綱で,全国大学グリークラブコンクールでは両横綱の激戦,人気を二分していたが、関西学院大学が勝っていた。そして関東では慶応大学、上智大学、横浜国立大学、関東学院大学等がそれに続きしのぎを削っていた時代。
 そのグリークラブ時代の2学年のときの定期演奏会で、グリークラブの大先輩でヤマハ楽器に勤めていて電子オルガン(エレクトーン)の開発プロジェクトメンバーだったS氏が、ヤマハ音楽教室などで使用する初代D-1の改良機種を広めるためのデモストレーションとして定期演奏会ステージで演奏させてくれと働きかけられ、大先輩であることから休憩をはさむ20分間、デモ演奏を行った。下手で控えていた私(ステージ担当)は先輩の不思議で魅惑的な旋律に圧倒され魅了された。その時、「自分に子供ができたらエレクトーンをさせる」と深く心に刻み込んだ。
 それがエレクトーンとの出合いで、時が経て結婚をし転勤を重ねるうちに長女が秋田県勤務中に生まれ、3歳7か月くらいだったかな,玩具のピアノを与えてあげると気に入り夢中になっていた。この時、「三つ子の魂百までも」とばかり、大学時代の思いが蘇りエレクトーンを購入(ステージモデルEX-42と記憶しているが?)。妻はピアノを勧めだが、私は頑として譲らなかった。というのもエレクトーンへの思い入れと、多くの家庭で子供にピアノを習わせるのことが多かったが、ほとんどの子はつまらなくなり飽きてしまう。そしてピアノは埃をかぶり大型ごみ化。私が下宿していた娘さんも同様で埃をかぶっていた。 
 その狙いは的中。娘は夢中になり大げさにいえば朝から晩まで弾いていた。その時「プロの演奏家にさせる」が私の夢となった。
 娘はその思いを受けてかめきめきと上達し、親ばかな私は「天才」と思うほどに(実際はそうではなかったが)。しかしやり過ぎたのか一時飽きてしまいプッツリ弾かなくなり教室にも行かなくなった。それから1年余り過ぎたころ「また習いに行ってもいい?」と言い出し、無論、聞き入れた。そして演奏家への道としてピアノも並行させた。娘もこれで身を立てると思い始めエレクトーンもピアノも熱心に取り組んでくれた。
 新婚時代からブライダルとステージをこなしていたが、子供が生まれてからもエレクトーンに没頭していたのをとがめられ夫のパワハラが続き、それに耐え切れず幼い3人の子を抱えて離婚、ブライダルとステージだけでは生計が成り立たず、私宅を改造し音楽教室を開設した。
 ヤマハの支援もありお陰様で多くの生徒をかかえ暮らしも立つようになった。
 半世紀も前に出合ったエレクトーン、その夢を娘は実現してくれた。
 ブロ友のすずさんがエレクトーンを奏でているとき、何もかも忘れることができるとお話されていたが、娘もそのようなことを言っていたことを思い出す。特にパワハラを受けて暮らしているときエレクトーンが救いだったという。離婚したのは子供たちのためだった。 親はそんなこんなで悠々自適な暮らしが未だに出来ない。親は誰でもそうなんだろうと。

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断捨離でハット気づいて

2020年07月27日 10時51分27秒 | 日常のこと&写真
 慌てて終活に取組んでいるということでもないが、少しずつ身の回りをサッパリとするために整理をしているということで、一つ一つの思いでを海辺の引き潮のように捨てていく。
 もともと過去にこだわらず、過去より今、今より前にが私の生き方でもあった。同窓会で「あらっ、懐かしい~~~」と昔のことを振り返る回顧趣味はさほど強くなく、県人会、同門会、同窓会等々にはほとんど顔を出すこともなかった。唯一,25年余り前になるが出身の中学校が廃校になると知らされ、廃校はやはり寂しく「廃校式」に出席、引続き同窓会にも出席した。多分、それが最後だろうか。
 そんな変人だから昔の仲間より今から将来の仲間を大切にする自分。
「過去を振り返らず、前へ」 これが良いのかどうか分からないが、これまで付き合った方々を粗末、疎遠にしているという訳でもなく,音信は途絶えない。「元気でいるか」それだけでも知りたい。

 そんなことを振り返っているとハット気づいた。
 多くの原稿・資料はペーパーに印刷して保存してあり、またUSBメモリーにも保存している。
 ハット気づいたのは,ワープロ時代に書いたエッセイ、マニュアルをプリンターで印字して保存してあるが、昔のプリンター印字ペーパーは感熱式であることから時が経つと消えてしまう、ということを失念していた。ハット思い書箱から出してみると消えかけていた。ワープロ機はもう処分しフロッピーもない。
 そこで思い立ち、先週から消えかけた原稿を何とか読み解きながらUSBメモリーに保存し直している。いま取り掛かっているのは「いろは48人生心得帳」。
 これは長編で「40×40」文字で108頁にも及ぶ。さて何日かかるだろうか。
 このほか「朝目覚めたら新しい自分がある」 「人の心に花一輪」 「セールス心得帳」 「拠点長奮戦記」ほか小編物が。
 「古都逍遥」はパソコンを使って作成していたのでメモリーに保存できている。
 
 古いものを忘れずかつそれに縛られない、前へをモットーにこれからの余生も生きていきたい。





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高齢者は早寝早起きなのに

2020年07月27日 00時35分11秒 | 日常のこと&写真
 高齢者は標準的には「早寝、早起き」なのだが、自分は「遅寝、早起き」だから身体的には悪いのだろうか。
 両親ともども「遅寝、早起き」と云っても7時頃に起きていたかな。
 自分は会社勤めから午前様が習慣、朝は9時始業だったが、社員たちが来る前に出勤していた。
 今でもその習慣が取れないようで午前1時頃になって「そろそろ寝ようかな」となり、床に入ってもしばらくグズクズとあれこれ考えている。朝は5時前後に目が覚めトイレへ。だけど妻はまだ寝ているようだしゴソゴソして起こすのも悪いので床に入ってボンヤリ。そのうち二度寝することもあるが、6時半には起床、パソコンのスイッチを入れて、まずメールとLINEを見る。
 そんな毎日の繰り返しだが、時折、爆睡することがある。やはり身体が要求するのだろう。8時過ぎに目覚めるときが月に2度ほど。これで調整しているのかな・・・。
 さて、そろそろ寝ようかな。明日は午前中に新聞の初ゲラが入る。

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朝からの雨があがり・・・

2020年07月26日 20時05分23秒 | 夕焼け
朝から激しい雨が降り続き、淀川の水かさも増していたが、夕刻近くになって突然止んだ。
暫くすると西の雲が切れて、久しぶりにうっすらとした夕焼け。 だが陽射しが弱く茜いろとか深紅の夕焼けにはほど遠かった。今週末あたりからそんな夕焼けが見られるだろう。
もうそろそろ梅雨あけになるのだろうか。ここ数年ゲリラ豪雨に見舞われたものの、こんなに長く降り続く梅雨はなかった。昔は、しとしとと降りしきる梅雨だったが、地球温暖化のせいだろうか梅雨にも変化が生じていた。そんな数年が続いていたが、今年はやけに長雨になった。 
でも梅雨が明けると猛暑の夏が・・・。



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かれこれ一年が・・・

2020年07月26日 00時12分00秒 | 日常のこと&写真
 昨年のわが町の夏祭り(8月6日)の太鼓演奏と盆踊り太鼓を打ち終えて、これで一年に締めくくりができたとホット一息。
 ところが二~三日後に妻が「右足踵が痛い」という。踵の後ろ側でアキレス腱の下の部位になるところを触ると痛いという。
 「整形外科でレントゲンを撮ってもらうほうがいいよ」と医者に行くように勧めた。次の日、整形外科で診察してもらうと、踵の後ろ側の骨が少し突き出していてそれが神経に触っているという。日々の歩き方が悪いようだと指摘されたという。夏祭太鼓で無理をしたという影響ではなかった。
 医者の勧めで次の日から通院、電気を患部にあてる電気治療を始めたが、湿布薬も処方されず、毎日電気を当てるだけだった。

 私も腰を痛めてその医院に通い3年ほど電気を当て続け、腰を伸ばすリハビリを繰り返すのだが改善しない。たまたまマンションに整骨院が開業し、我が棟の一階ということで便利なため治療を受けた。ぼぼ毎日、3ヵ月ほど治療を受け快癒した。この経験から妻に整形外科の治療をやめさせ我が家で低周波治療とマッサージ、骨盤矯正を施しはじめてそろそろ1年となる。(当時の整骨院は既に別の所へ転院)。整骨院で二度とこのようにならないために矯正方法も教えてくれたことから、あらかたの治療方法をマスターしていた。
 15分の低周波を足に当てながらマッサージ。そして骨盤矯正として足の歪みを矯正していく。だけど妻も歳、きつい矯正をすると男と違って女性は骨が弱っている懸念もありきつい矯正は施さないが、歩き方も良くなってきているので徐々に改善されているようだ。整形外科に通院中、歩行矯正療法でもしてくれたら専門医に委ねるところだがそれも無かった。

 妻とのこの時間は濃厚接触?? 老夫婦のささやかな癒しの時間になってることだけは確かだ。そして「楽になったよ」と言ってくれるので・・・。
 多分完治は難しかろうと思うが、私の体力の続く限り妻への低周波治療とマッサージは続けるつもりだ。
 治療をしながら冗談を言い合い就寝前に大笑い。深い眠りに就ける妙薬か・・・。 



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雨上がりのひと時

2020年07月25日 17時01分32秒 | 日常のこと&写真
今日は間断なく強い雨、そしてときおり小雨という一日になった。ふと雨が切れたので北側と西側の窓から河川敷のゴルフ場の清々しい緑を撮ってみた。


             西北に向かって (たまたま駅の入る電車)

            北側から (ランドマークの高層マンショ)

               西方向 

       西南方向 (淀川&木津川を渡る第二名神道路が出来る)
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バラの花

2020年07月25日 11時25分49秒 | バラ
今日はとりたてて綴ることが無く、これまで撮り集めたバラの花、その中からFacebook友達(太鼓仲間)の誕生日のお祝いメッセージに添えるバラの花をアップしてみたい。マクロで撮ったものばかりです。




























                  大阪中之島公園



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