「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「菩提山・穴太寺」(あなおおじ)

2006年03月16日 21時53分43秒 | 古都逍遥「京都篇」
 夏の盛り、“敵は本能寺のあり”で知られている本能寺の変を起し、信長を討った明智光秀の居城があった亀岡に、地下に手で触れる「涅槃像」があると知り、嵐山観光で名高い保津川下りの発船場となっている亀岡市へと車を走らせた。
 この保津川下りの初船場となっているところにほぼ隣接する休耕田に広大な観光向日葵園があることから、その向日葵の撮影も兼ねてはいたが、あいにく向日葵は今年は休園で、一本の向日葵も見当たらなかった。船下りの観光案内の人に尋ねると「今年はコスモス園に変わるため、向日葵は植えていないとのこと」、どうも1年おきに向日葵とコスモスを入れ替えるらしい。

 お目当てが一つはずれたが、ルポの仕事が本来の目的であることから、さっそく穴太寺へと車を向けた。京都・綾部間を走る縦貫道の高速道路の下をくぐり、湯の花温泉がある方向に出て、ほどなく左折すると当寺の門前に出る。
 なるほど西国21番札所と称されるだけあって、楼門にも威厳が漂っていた。
 創建は古く、慶雲2年(705年)文武天皇の勅命により、大伴古麿が薬師如来を本尊として建立したのがはじまりと伝えられている。
 本堂は、江戸時代に造られた武家屋敷風の陣屋造りで、室内の欄間の彫刻は日光輪王子寺の影響を受け優雅な美しさ。床の間裏には、でんでん返しがあり、見張り部屋や地下牢まであったという。残念ながら確認はできなかった。
 重要文化財に指定されている本尊は観音功徳の伝説を残している由緒ある仏像であるが、昭和43年に盗難にあいいまだ行方不明とのこと。現在の本尊は先代同様に33年毎に開扉される秘仏で、次回は2013年だそうだ。

 取材に応じてくれた当寺の住職夫人が、当寺に伝わる2つの物語を話してくれた。
 薬師如来、聖観世音菩薩の2体を本尊とするようになった理由については、古くから伝説が語り継がれている。
 昔、丹波曽我部の郷、桑田郡に宇治宮成という神仏を信ぜず邪見無慚にして生死無常の理を知らぬ男がいた。それに引き換え慈悲柔和にして深く仏法を信じるその妻が、應和2年、京の都より感世という仏師を呼び、身の丈三尺三寸の聖観音像を刻んでもらう。ところが夫・宇治宮成は観音像を見ても一念慙愧(ざんき・自己に恥じること)の心なく、妻は仏師・感世に詫びとお礼に代えて夫の愛馬を差し出す。ところが宇治宮成はその馬が惜しくなり、下男を先回りさせ、大枝山増井の辺りで帰洛する仏師を弓矢で射殺し馬を取り返す。
 馬を厩舎につないでその観音像の前に立つと、仏師に放った白羽の矢が聖観音の像の胸に矢が刺さり、青蓮慈悲の眼に紅の涙を浮かべていた。宇治宮成は驚愕し、すぐさま矢を抜き懺悔して行いを改め仏門に入り、穴太寺に観音堂を建立し安置したという。仏師・感世は聖観音が身代わりとなって矢を受け無事に帰洛していた。
 そしてもう1つの伝説は、童話としても知られる、安寿と厨子王の伝説で、2人が山椒太夫に捕らえられ、焼け火箸で額を焼かれるが、傷口に仏像を当てると火傷が治り、代わりに仏像の額に傷跡が残った。
 安寿は厨子王を逃がすのだが、この時厨子王をかくまったのが穴太寺だったという。そして後に、厨子王はこの仏像を穴太寺に奉納した。

 さて、当寺を訪ねた目的である大涅槃釈迦像を拝観。この像は推定700有余年前のものと伝わり、いつの頃に彫られたかは定かではないという。檜材の寄木造りで、全国に6体しかないと言われる涅槃像である。
 「撫で仏」と呼ばれ、薄暗い堂の中で涅槃像は、多くの参拝者に撫でられて全身が艶やかに黒光りしている。唯一、参詣者がじかに触れることが出来る涅槃像で、本尊横に静かに横たわっている。
 けがや病気を治したい人は、涅槃像の同じ部分に触れて、お祈りをしながら撫でると、願いを効き入れてくださるという。蒲団がかけられており、その理由を尋ねると、祈願者が病気平癒のお礼にと布団を寄進され、それが掛けられているのだという。全国で六体しかないといういう貴重な涅槃像に触れることが許されている、庶民の心を癒してくれるお寺の慈悲は、嬉しい心くばりである。
 京都府の文化財に指定されている名庭は、作庭時代は定かではないとのことだが、築山西側の池岸に舟付があり、その沖合いに向けて出舟の形式が取られてある。書院から眺めると多宝塔が水鏡に姿を映し、この時期、百日紅の紅の花がその周りを染めている。7月中ごろは蓮の花が池を埋め尽くすという。造庭形式は室町時代の様式が随所に見らる。とくに池の周囲の護岸石組は立派で力強ささえ感じ、桃山風の趣がある。
 穴穂寺とも称されたことのある当寺は、古くから地元で農業に従事する人々の信仰の中心寺院ともなっており、亀山市ののどかな田園風景の中にある。
「かかる世に 生れあふ身の あな憂やと 思はで 頼め十声一声」と詠われる当寺へ一度訪ねてみられるとよい。

 所在地:京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46。
 交通:JR嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅から京都交通バス学園大学行・余野行・東別院行などで7分程、穴太寺下車。 徒歩10分。
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