「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「高山寺」(こうざんじ)

2006年03月30日 11時28分40秒 | 古都逍遥「京都篇」
 大寒の頃、この関西にも雪が舞った。京都の雪景色をと思い取材に出かけたものの、雪のかけらもなく京都盆地はひっそりとし、底冷えが身体を震わせていた。等持院を後にして、嵐山を抜け周山街道に入り高尾山麓へと回った。この地は栂尾(とがのお)と称し、古刹の栂尾山高山寺がある。
 ここはデュークエイセスのヒット曲「女ひとり」(永六輔作詞・いずみたく作曲)の2番の歌詞、
『京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり 大島つむぎにつづれの帯が
 影を落とした石だたみ 京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた女がひとり』で知られている。

 裏参道の駐車場に車を置き、清滝川のせせらぎを耳にしながら山道を登ると、宝亀5年(774)光仁天皇の勅願によって開祖された同寺の古い山門が出迎えてくれた。
 建永元年(1206)後鳥羽院よりこの地を拝領し、華厳宗興隆の道場となすべく、奈良東大寺尊勝院の学頭を務めた明恵上人(1173~1232年)によって再興された古寺は、幾たびかの兵火で諸堂のことごとくを焼失。学堂の「石水院」だけが残り、鎌倉時代初期の寝殿造りの優雅な姿は世界文化遺産に指定されている。
 境内には巨大な杉・檜や老松、楓などの樹木が茂り、「華厳浄土」にふさわしい自然美の景観を今なおとどめている。特に秋の紅葉は絶句するほどの美観で、大勢の人たちが訪れる。

 石水院には、「鳥獣人物戯画巻」全四巻が国宝の指定を受け展示されている。第一、第二巻は平安時代後期の作とされ、第三、第四巻は鎌倉時代の作といわれている。筆者は鳥羽僧正と称されいるが定かではない。中学時代の社会科の教科書、図画の教科書で見たのが初めてであったが、その元がここにある。
 また、この地に宇治茶の初めとされる茶畑が現存しいる。お茶は平安時代初期、栄西禅師が中国からお茶の種を持ち帰り、筑前国博多に植えたとされ、その後の各地の寺院を中心に茶が植えられて、栽培が広がったと伝えられているが、明恵上人が栄西から種をいただいたものを、この栂野尾高山寺内に植え栽培した、これが宇治茶の始まりとされている。

 所在地:京都市右京区梅ヶ畑栂尾町。
 交通:JRバスで栂ノ尾下車、徒歩5分。
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