「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

誕生日ランチにポイントを使う

2024年01月31日 18時14分38秒 | 日常のこと&写真
 太鼓チームの皆さんから誕生日の祝いメッセージを頂いた。今年も健康に気を付けて太鼓を打ち鳴らしたいものです。
 妻と共に誕生日ランチをしにお決まりの「レストラン」へ。もう大食いできなくなったのでランチコースで満腹になる。この店が「創作料理シノワーズ厨花」としてオープンした頃から馴染みになっている。子供たちが好きなフレンチ風中華なのでチョコチョコ行っていた。といっても誕生日や記念日、子供たちや孫たちと共に食事をするときくらいなので、年に4~5回程度だが。
 11時45分から約1時間ノンビリとランチを楽しんだ。今回は市発行のカードを利用した。市の検診・歯の検診・徒歩数などでポイントがつくが、それが2300ポインもあり、ランチ一人分無料になるから嬉しい。次は妻のポイントを使って行くことにしている。
 ランチで留守をしているとき免許証が配達されたようで不在通知が入っていた。そろそろ到着する頃だと思っていたが、よりによって留守のときに。再配達を自動電話コールで。
 今日のコースの前菜とデザートプチケーキ。あとは撮る前に食べてしまった。




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比良山系と菜の花

2024年01月29日 17時46分27秒 | 四季の花
 来年は車を手放していることから、今一度行っておきたい、撮っておきたい思い出の場所へ行くことにし、今日は滋賀県守山の第一なぎさ公園の菜の花へ出かけた。菜の花と琵琶湖と冠雪の比良山のコントラストが気にいっている。
 9月になれば美山町の蕎麦畑、そして箱館山の百合園。夏は岡山美作の向日葵、京都京北の友禅菊にも行きたいなぁー。秋の高尾栂尾と三千院の紅葉は撮り収めしておきたい。こう思うと車がなくなれば写真を撮りに行く機会も減ってしまうかもしれないなぁー。















                 雪を冠した伊吹山










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洛中散策 その3

2024年01月27日 10時45分54秒 | 日常のこと&写真
 雪景色をあてにして出かけたのですが、あいにく積雪はなく祇園から清水参道を経て祇園へと戻るウォーキングとなり、昨日の続きで八坂神社をアップし終了します。テレビ「博士ちゃん」で放映された八坂神社一帯をアップします。
お付き合い有難うございました。




伊勢神宮式年遷宮で廃材となった部材で建造された内宮と外宮を祀る。お伊勢参りと同等のご利益があるという。



                   悪王子神社
「悪」というのは「強力」の意味で、「素戔嗚尊」に対する称号として「悪王子」が使われている。



           八坂神社 拝殿と本殿が一つ屋の中にある







         縁結び神社 大黒天と白うさぎ像は昔は無かったと思う



            南門 八坂神社の正規の門はこの南門

               西門参道には露店が並ぶ

                西門 四条通りへ通じる

                  門の左を護る

                  門の右を護る

                 四条通り西に至る

                 四条通りから西門

              四条大橋から賀茂川 南を望む

                 右手の小川は疎水




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洛中散歩 続き

2024年01月26日 10時14分59秒 | 日常のこと&写真
 雪景色を撮ることができず東山散歩という結果に。
 昨日の続き、丸山公園までアップします。


           若者たちに人気の八坂庚申堂





               八坂の塔「法観寺」



                 文の助茶屋
 落語家 二代目桂文之助が、明治42年に創業。甘味処で名物は「わらび餅」


レジの後ろに展示しているモノクロの古の旅姿の写真見て、隣の席でわらび餅を食していた老夫婦
奥さんが「古い写真ねぇ、いつ頃のかしら」と夫に声かけると、夫「江戸時代のようだね」と。
奥さん「江戸時代には写真はないでしょう」。夫「ーーー」。
徳川慶喜時代の幕末には写真は存在していたと思うが、この茶屋が出来たのが明治も末の頃を考えると
江戸時代のものではないようだ。








                 二年坂の人気店





                   芭蕉堂









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京都祇園を散策

2024年01月25日 21時59分52秒 | 日常のこと&写真
 積るほどの雪が降るという予報に期待して勇んで出かけた。これまでも京の雪景色は撮りつくしてきたが、雪景色はいつ撮っても絵になる。
 寒さを防ぐためたんまりと着込み、寒冷用にと指だけが抜けるカメラ用手袋をつけて、靴下も厚手を。
 祇園四条で下車し、初めに白川辰巳神社から撮り始めた。切り通しを抜けて四条通りから花見小路へ。一筋西に入り小路を南に建仁寺に向かってあるいた。この通りは接待で良く使ったお茶屋「丸梅」がある。昔は一見さんお断りだったが今は観光客も受け入れてくれるようだ。この界隈には11PMにも出演していた甲部歌舞練場芸子だった安藤孝子さんのお茶屋もあった。
 建仁寺を抜けて昔馴染みの天ぷら「圓堂」を横目に八坂通を上がり、八坂庚申堂(やさかこうしんどう)を参拝し「文の助茶屋」で「白玉ぜんざい」でほっこり一休みして二年坂へ。北へ進みねねの道を通り「芭蕉堂」から丸山公園へ。
 八坂神社を巡り門前町を経て四条通りへ。なんと12133歩も歩いてしまった。昼食は河原町のラーメン店で豚骨ラーメン。
 10時に出発し帰宅したのが14時10分。随分散策したものだ。とりあえず八坂の塔までの写真をアップ。
 期待した雪は全くなしなので清水寺へも行かずで。


























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部員を信頼しリーダーを続けることに

2024年01月24日 15時30分06秒 | 和太鼓
寒ーーーい。雪模様の天気になるらしい。今日は「こども110番」で子どもたちの下校安全見守りの当番日だぁ。凍えないように厚着して出よう。
 雪といえば2年前の雪の日、下賀茂神社の雪景色を撮りにでかけたが、あれからわずか2年なのに猫は炬燵で丸くなるように自分も猫になったようだ。
 太鼓チームを後継者へとバトンタッチしていきたいとこの一年ほど真剣に考えこんでいた。会場予約や金銭管理について引受けて頂いたり私の負担を軽くしながら手を引いて行くつもりだった。だが先般の打ち合わせで、私がリーダーであり続けることを願っている皆の気持ちがひしひしと伝わってきて、以来「どうしよう」と考えこむ日々が続いていたが、成人式、奈良生駒市での演奏、5年ぶりに復活する交野天神社の春の大祭の件なども踏まえ、この先もチームを率いていくことが私の責務ではなかろうか、創設者としての天命をまっとうすべきなのではなかろうかと思うように至った。運営上のこまごましたことについては各位に分担して頂くとしてチームリーダーとして命ある限り、病床に伏さない限り私がやるべきではなかろうか、と。妻も「あなたがやらなければ誰がやるのよ」と励ましてくれる。
 代わりに務めてくれる方はいるものの、まだまだ私が率いるべきだといい、私も健康寿命を全うするためにもそうあるべきなのだろ。そう思うと気が晴れて楽になった。後継者でやきもきしていた霧が晴れた気分だ。
 そう思うとボケ防止にもなるだろうし健康管理のためとして太鼓も続けて行けるだろう。80代ということで転ばぬ先のことを考えすぎていたようだ。すってんコロリんとなったとき信頼する各位がきっと継承してくれるはずだ。


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お札おさめと新年祈願

2024年01月22日 12時19分58秒 | 日常のこと&写真
 国宝石清水八幡宮ともなれば三が日は大混雑で大変なので、ここ数年ドンと焼き頃に参拝に行くようにしていたのだが今年はその日も過ぎてしまった。そのせいだろう人出はまばらだった。車も悠々止められた。
 門の令和大工事の寄付と、能登半島地震の募金箱にも寄付を入れて、お賽銭を奉じて参拝。住所・氏名・年齢をお知らせし一願を念じた。勿論家内安全無病息災と感謝の言葉を唱えた。そして次の社では太鼓チーム一同の健勝と招福を。本殿を一巡りして、今回初めて「三女神社」にも参拝。トイレの向かい側あたりにあるのだが手を合わせたことがなかった。この社は陸運関係の方々が参拝するようで交通安全を祈願。
 昨夜は気象のせいだろうか肩や手指が痛怠くチョコチョコと眼が覚めるほどだった。中2年生のとき部活で階段を兎跳びで上がる訓練を強いられ、踏みそこなって石段の角に膝をもんどり打ち付けた。悲鳴をあげるほど痛かったがそのまま続けた。するとどうだ膝から腿にかけて腫れあがり保健室に行ったが手当の仕様がなく、父が勤める三菱マテリアル病院で診察を受けたが幸い関節の骨折やヒビはなかった。2週間ほどギブスをして痛みが治まるのをまった。
 それからというもの、雨や寒さのとき腿から切り落としてもらいたいほどズキズキと痛怠くそれが激しい。2年ほど苦しんだが時薬で高校1年の秋頃にはすっかり治っていた。
 そんな痛みに襲われあの頃のことが蘇った。
 寝付けなかったので暫く起きて肩のストレッチと手指の神経筋をマッサージしていると治まってきたので再び寝込んだ。
 この痛み長年続くのだろうか、そう思うとゾッとする。
















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もしも歌声リーダーになっていたら

2024年01月21日 00時07分15秒 | 日常のこと&写真
 今日は雨模様のぐずついた一日だったこともあり、一日中閉じ籠ってテレビ鑑賞やAmazonプレミアム映画を見て過ごした。
 夕食後見るべきテレビ番組もなかったので録画していた『そのとき、歌は流れた ~時代を彩った昭和名曲~』を二人で見ていた。懐かしい昭和の世相を映したニュース映像が流れ、その時の自分たちの事を思い出していた。
 番組が進み「さとう宗幸」が登場し「青葉城恋歌」が出来たエピソードを語った。さとう宗幸さんは東京で歌声喫茶で歌声リーダーをしていて曲創りもしていたという。
そういえばそのころ歌声喫茶が流行っていて、東京新宿では「ともしび」に若者たちが集まっていた。私も通っていたが、夏休みや春休みの長期休暇に入ると里帰りし大阪曽根崎にあった歌声喫茶「こだま」に通い詰めだった。
 さとう宗幸さんも歌声リーダーとして3年勤めたというが、そのころとほぼ同じ時代曽根崎の「こだま」に連日通っていたある日、ボーカルリーダーが休憩のとき私の所へ寄ってきて「ちょっとお話いいですか」と傍に座った。
 そしていろいろ話をしているうちに「歌声リーダー」になりませんかと誘ってくれた。私の声が大勢の人の中でも抜けて聴こえていたらしい。大学時代グリークラブで活動していたので、そのとき本気になっていたら違った人生を歩んでいたかもしれない。だけど歌い手になろうという度胸もなかったころだ。
 もしもの話、歌唱の道に入っていたらどうなっていたのだろう。想像するだけで別の自分の世界を描き楽しい。
 ※そのこだまは既になく、当時ピアノ伴奏をしていた大北整子さんが大阪西区肥後橋に歌声喫茶『People’s』を復活させている。


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久しぶりのカラオケ

2024年01月19日 21時53分27秒 | 日常のこと&写真
 「ねぇ、久しぶりにカラオケ行かないィ!」と誘われた。
 マンションの外壁のメンテナンスがあって我が家も関係していることからそれが終わった「19日に行こうとか」と言うとニッコリ、(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と喜んでた。
 カラオケバンバンは午前に行くと13時まで「朝バン」というサービスがあり2時間以上でもフリードリンク料二人で計800円也でたっぷり遊べる。
 かと云って2時間も歌えば十分なので11時に店に入り13時まで歌い続けた。私は喉がカラカラを通り越してガラガラ。
 妻が歌っているときふざけたことをするので笑も絶えない。
 13時に店を出て近くの「餃子の王将」へ。アプリがあるので餃子1人前の無料クーポンを使う。
 食後、モール街の床屋へ。2ヵ月間隔となったが散髪へ。しかも短目にカットしてもらう、妻は買い物をしてブラブラして帰るという。
 久しぶりの気晴らしで気分も上々・・・。



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成人式「はたちの集い」祝賀太鼓演奏

2024年01月09日 10時48分35秒 | 和太鼓
 5年ぶりとなる「はたちの集い」における祝賀太鼓の演奏。コロナの影響からまだまだアトラクションの実演は控えられていて、オープニングの地元中学校の吹奏楽部の演奏は録画放映だったが、閉会時の和太鼓演奏については「実演」を強く推してくれた某氏のお蔭で新成人たちを前に生演奏となったことからチーム員みな気分高揚、私も気合が入ったし皆も力強くバチを打ち込んでいた。この日のために朝早く名古屋から駆けつけてくれたOGも加わり一丸となった演奏ができた。
 演奏の傍ら皆の演技ぶりをつぶさに観察(見守り)していが、久しぶりに生き生きと躍動的だった。はたちの集いという晴れ晴れしい舞台だったこともあるだろう。この日のために稽古には念には念を入れてやったこともあり、ピッチの狂いもなく流れに沿って気持ち良かった。いつしか肩の痛み手指の痛みも忘れていた。
 75回はたちの集いは思い出に残るシーンとなった。










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