「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「高桐院」(こうとういん) 

2006年03月29日 18時31分33秒 | 古都逍遥「京都篇」
 敷き紅葉で知られる大徳寺搭頭・高桐院。ここは戦国時代の武将で、“利休七哲”の一人とうたわれたもある細川忠興(三斎)が父の藤考(幽斎)の菩提所として、慶長6年(1601)に創建。
 細川忠興は茶人としても優れた人物であったらしく、利休と親交があったこともあって、高桐院の書院は利休の邸宅を移築したという。利休風の茶室「松向軒」は、豊臣秀吉が催した北野大茶湯の際、北野天満宮に設けられた茶席を模したしたものだそうだ。土壁つくりなのに金色に輝いている。壁の色が黄土だからだそうだか、これがなかなか美しい。開口部からの採光が巧みで、光りにこだわりを感じる。
 書院「意北軒」は、千利休の屋敷の広間を移築したと伝えられる。質素でかつどことなく高貴な気品を醸しだしている。寺宝の李唐筆「絹本墨画山水図」二幅は南宋初期山水画の名作で国宝。
 客殿の西にある庭は細川家代々の墓所となっており、そこに建っている石灯篭が、三斎とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓塔となっている。これはもともと利休秘蔵の灯篭で、豊臣秀吉と三斎公の二人から請われて、利休はわざと裏面三分の一を欠いて疵物と称して秀吉の請を退け。後に利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈されたもので、墓塔銘を「無双」といい別名「欠灯篭」という。

 この寺院は数度訪ねたことがあり、表門から鍵の手になった敷石道の参道は静寂が漂う。雨時は蛇の目傘に下駄の歯音が似合い、秋はシルエットのカップルにはらはらと舞い散る紅葉が似合うところでもある。
 茅葺の庵を背景に青葉、紅葉の写真を撮る人たちを多く見かける、古都の定番と化した四季折々の風雅がある。
 私は「意北軒」から眺める紅葉の庭がとても好きだ。秋には毎年のように訪ね、三斎公が生前愛好した鎌倉時代の美しい石灯篭をあしらって、苔むす庭に落葉した紅葉をアクセントに写真を撮る。

 袈裟形のおつくばいについて説明しておくと、この浄水盤は加藤清正公が朝鮮王城羅生門の礎石を持ちかえり、細川三斎公に贈ったもので、三斎は、灯篭とともに愛用し熊本・江戸間の参勤交代にも持ち歩いていたと伝えられている。

 所在地:北区紫野大徳寺町80。
 交通:市バス大徳寺前下車、徒歩約5分、地下鉄烏丸線「北大路」駅から徒歩15。
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