「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

「春日大社」(かすがたいしゃ)

2012年01月31日 07時25分04秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 平城京に遷都した和銅3年(710)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神宮から武甕槌命(たけみかずちのみこと)を神山御蓋山(みかさやま)山頂浮雲峰(うきぐものみね)に遷し、天平時代神護景雲2年(768)称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手によって、現在地に壮麗な社殿を造営して香取神宮から「経津主命」、また枚岡神社から「天児屋根命」「比売神様」を合祀したのが始まり。

 藤原氏の隆盛とともに栄え、平安時代初期には官祭が行われるようになった。例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。嘉祥3年(850)には武甕槌命・経津主命が、天慶3年(940)には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位が授けられた。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列したという。

 藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、弘仁4年(813)、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。

 明治4年(1871)に春日神社に改称し、官幣大社に列した。昭和21年(1946)12月に現在の春日大社に改称した。平成10年(2002)12月には、春日大社や春日山原始林を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録された。

 さて建造物などを紹介していこう。
 三条通と国道169号線が交差する一の鳥居前交差点のところに「一の鳥居」(重文)が建てられている。鳥居自体も大きいが全体のスケールに比べ柱の太いのが特徴的である。ここから東側(奥側)が春日大社の参道になっている。「一の鳥居」からかなり離れて建てられている「二の鳥居」をくぐると「手水場」がある。ここの手水場の水は春日大社らしく鹿の像が口にくわえている筒から出ている。

 参道を東に進み、二の鳥居をくぐって暫く歩き、短い石段を上がると鮮やかな朱塗りの大きな「南門」(重文)に着く。当初はこの場所には鳥居が立っていたとされているが治承3年(1179)に楼門に改められたという。

 南門をくぐると正面に「神拝所」がある。「神拝所」は「幣殿・舞殿」(ともに重文)が一棟になった建物である。中門は本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあり、正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられたもの。御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びていおり、現在本殿の祭典では神職の座る場所となっているが、昔は興福寺の僧侶が経をあげる場所だったという。

 本殿は春日造りと称し四殿が並んで建っており、第一殿に武甕槌命、第二殿に経津主命、第三殿に天児屋根命、第四殿に比売神が祀られている。拝殿はなく参拝者は幣殿の前で祈願する。
 中門の外からは僅かに千木が見える程度で、本殿全体を見ることはできない。中門内中央に春日大社で最大の釣金燈籠が下がっている。これは近衛篤麿の奉納によるものという。

 御廊前の西側の石段を下りた先に「移殿(内侍殿)」(重文)が建っており、かつて御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた建物で、20年に一度の本殿の造り替えの際、四柱の祭神を移すための建物といわれている。

 廻廊内北西隅宝庫の東側風宮様の御垣の中に「七種寄木」あり、イスノキ、ヤマザクラ、ツバキ、ナンテン、ニワトコ、フジ、カエデの七種が共生する珍しい木で、古来、風神の威徳をもって種子を集められたといわれ、やどり木であることから、子授けの霊木と崇められ、紙捻(こより)に願い事を書いて結びつける信仰があるようだ。

 大社までの参道の途中にある「神苑」は参拝者にやすらぎを与える神様の庭として、現在は一般に公開しているが、もとは、万葉植物園として昭和7年(1932)に開園された。
 苑内にある池の中の中之島には「遥拝石」が置かれ、その前には朱塗りの「浮舞台」が設けられている。「遥拝石」はかなり大きな石で表面に「神」と彫られている。

 また苑内には多くの木や草花が植えられており、四季折々の草木が花をつけるようである。
 大社の見所の一つとして、「砂ずりの藤」と呼ばれる藤があります。古くからこの藤は自生していたらしく、花穂が1m以上にもなり、地面の砂をするほど伸びることからこの名前がついています。花穂の長さは毎年かわり、種類はノダフジと基本的には同じ種類の用です。見頃は4月下旬頃から5月中旬。

 大社の万灯籠は、約800年もの昔から行われて来た行事で境内にある3千基の境内にある灯籠は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、広く一般国民から奉納されたものなんだそうです。
 万灯籠は年2回、2月の節分と8月のお盆の14日、15日時期に行われており、特に8月は舞楽の奉納が本殿の前で行われる。


 所在地:奈良県奈良市春日野町160。
 交通:JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈良交通バスで春日大社本殿行「春日大社本殿」下車すぐ。または市内循環・外回り循環「春日大社表参道」下車、徒歩約10分。
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 「源九郎稲荷神社」(げんくろういなりじんじゃ)

2012年01月20日 20時44分25秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 童謡「やまとの源九郎さん」に歌われている場所にある源九郎稲荷神社は、源九郎狐や綿帽子を買った狐の伝説で知られており、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。源義経が兄頼朝の討手を逃れて、吉野山に落ちのびたとき、化身した白狐が現われ幾度となく難を救ってくれたことから、感謝を込めてこの名を贈ったと伝わっている。

 小さな神社だが、日本三大稲荷の一つに数えられ、本殿に「白狐源九郎」が祀られている。五穀豊穣・商売繁盛の御利益があるとされ、4月の第1日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く「源九郎稲荷春季大祭」が行なわれる。

 白狐の由来は天正13年(1585)郡山城に入った豊臣秀吉の弟秀長は、帰依した宝譽上人(ほうよしょうにん)という地元の高徳の僧から、ある夜、夢枕に立った源九郎と名乗る白狐が老翁の姿となって現れ、「われを郡山城の南に御堂を建て、茶枳尼天を祀れば祀ってくれるならば、守護神となって、城を守るであろう」と告げたと聞き、白狐を城内竜雲郭に祀ったといわれている。

 また、元和元年(1615)4月、大坂夏の陣の戦いで、大野治房が数万の軍勢を率いて郡山を夜襲焼討した時には、天誉和尚が「源九郎稲荷」に祈願すると鎮火したことから、民衆の信仰は一層深まり、江戸時代には諸国からの参詣者が絶えなかったという。
 現社地に遷ったのは享保4年(1719)で、現社殿は大正14年に完成したもの。
「御由緒略記」「やまとの大和の源九郎さん(社伝)」より。

 所在地:奈良県大和郡山市洞泉寺町15
 交通:近鉄橿原線近鉄郡山駅下車、徒歩7分。
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 「帯解寺」(おびとけでら)

2012年01月20日 20時38分59秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 奈良市南部にある、皇室縁の安産祈願のお寺「帯解寺」を訪ねた。
 「戌の日」には安産祈願の妊婦さんで賑わうそうだが、この日は静かなもので、鎌倉時代の作と伝わる本尊の巨大な半跏地蔵「帯解子安地蔵菩薩(重文)」(像高182.6cm)をじっくりと拝観することができた。

 寺伝によると、創建当初の名前は「霊松庵」で、世継ぎを授からずに悩んでいた文徳天皇(もんとくてんのう)の皇后・藤原明子が春日明神のお告げによって帯解子安地蔵菩薩に懐妊祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)を授かった。それを喜んだ文徳天皇の勅願により、天安2年(858)に伽藍が建立され、「帯解寺」と勅命したという。

 平安時代以降は、治承4年(1181)の平重衡による「南都焼き討ち」、永禄10年(1567)には松永久秀によって炎上させられるなど、災禍が続いたが、安産祈願の寺としての信仰は続き、徳川家光の側室・御楽の方が祈願し、後の4代将軍徳川家綱を授かるなど、徳川幕府の庇護も受けた。

 昭和34年(1959)の美智子皇后御懐妊の際に、安産岩田帯と御守りを献納、さらに、秋篠宮妃紀子殿下、皇太子妃雅子殿下の御懐妊の際にも、岩田帯と御守りを献納している。本堂脇の待合所の一角。ロイヤルファミリーの写真などが飾ってある。

 本堂は、安政5年(1858)に再建された簡素なもの。拝観窓口で受付を済ませ、本堂脇にある和室で少し待っていると、お坊さんがやってきて仏様などの説明をしてくれる。本堂の左右には、長谷寺式の「十一面観音像」や、江戸時代の「十一面千手観音像」が安置され、さらに、スリランカから来たという、獅子に乗った小さな「文殊菩薩像」や、振り上げた小槌の上にもう一人の大黒天が乗っている「大黒天像」なども祀っている。
 
 表門をくぐってすぐにある手水鉢は、寛文2年(1662)に第四代将軍・徳川家綱が寄進したものという。

 所在地:奈良市今市町734。
 交通:JR桜井線「帯解寺駅」下車、徒歩3分。


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「セールスの極意」

2012年01月18日 23時30分50秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 古都逍遥のブログだが、私が講演家として活動していた当時の、講演の原稿を記録保存するため、このページに置く。現在は講演活動は行っていないが、情報紙の編集を執務としている。いろいろなテーマで講演を行ったが、一番多かった保険関係団体での講演内容を留めてみた。


                  「講演内容」
                 神奈川県福祉会館
                 「セールスの極意」
                  ―販売の3原色―

 みなさん、こんにちは。
 ただいまご紹介にあずかりました方城英治(仮名)です。どうぞ宜しくお願いします。
 本日は研修会にお招きをいただき、本当にありがとうございました。
 私、10年ほど前に30年勤めた生命保険会社を脱サラして、著述、講演家の道を志し、生命保険関係各社、各団体の講演活動を行っていたのですが、縁がありまして、7年ほど前、友人が経営する現在の情報紙の編集長としての誘いを受け、報道の道に入りました。以来、あまりこのような壇上に上がることが少なくなり、本日は、せっかくの皆さまの研修会という大事な席でございますので、失礼があってはいけないことから、下書きを見ながらお話を進めさせていただくことをお許しください。

 私は中学生の頃から写真撮影が好きで、趣味としてきました。生命保険会社に勤めていた頃、各地方に転勤し、その地域の風景や風俗を写真に収めることが何よりの楽しみで、今日でも唯一のストレス解消法として続けています。
 風景写真を撮るときなどでは、景色の色彩の調和というものを気にしながらフレミングを考えます。木々の緑、空の青さ、朝日や紅葉の赤、このような色彩の三原色は風景写真に限らず重要なものです。

 販売の世界にも、このような三原色を欠くことができません。では、販売における「赤」と言ったら、どのようなことを意味しているのでしょうか。
販売における「赤」の色彩とは、赤々と燃え立つような「情熱」、「信念」であります。
 セールスは「技術より心」、これは30年のセールスの体験で得た私の持論でした。
 グローバルな大競争時代に入って、その競争に打ち勝っていくために、高度な知識と募集技術の習得が余儀なくされ、皆さまも日々、自己研鑽に励んでおられることでしょう。しかし、そのハイレベルの知識や技術があったとしても、大競争に打ち勝つだけの「気力」と「情熱」がなければ、それを活かすことはできず、絵に描いた餅になりかねません。

 
                   
「一燈をさげて闇夜を行く、闇夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め」

 明治維新を成し遂げた志士たちの心の支えとなった、この言葉は、佐藤一斎の書いた「言志四録」という本の中に記されている言葉です。
 こんにち、市場のシェア争いも、囲碁の陣取り合戦の様相を呈し、一夜明ければ昨日のお客が、今日はよそのお客に変わっているということも、今後ますます激しさを増して行くことでしょう。このような状況で皆さま方は、いかなる心構えを持って乗り越えて行けばよいのであろうか。
 先行きの見えにくい不透明な時代を憂うることなく、ただ一燈を頼むことです。その一燈とは何か。それは自らの志し、情熱と信念であります。この情熱と信念がある者は、いかなる逆風であろうと、自らの生き残りをかけて、わが道を見失うことはないのです。また、何をすれば良いのか、自ら鮮明に描くことができるのです。

 「風の無い日に凧を揚げる」 皆さん、子供の頃、野原で凧を揚げた経験をお持ちでしょう。そんな時、風が無かったら凧は舞い上がりません。では、「風の無い日に凧を揚げる」としたら、どうしたら天高く舞い上げることができるでしょうか?

 そうですね、走ればいいんです。これは、経営の神様と言われた松下幸之助さんが、営業の幹部を集めての講演の中で話された質問でした。
 「君たち、風の無い日に凧を揚げるにはどうしたらいいのかね」
こう尋ねた松下幸之助さんは、「自分が走って風を起せばいい」という答えを求めようとしたのです。営業というものは、風が起こるのを待っていてはならない。売れない理由を「不景気だ」「お客が悪い」「地盤が悪い」「上司が優秀でない」、何事も社会や人のせいにする人がいますが、そうではない。自らの心がけ、情熱が足りないのだ。待つのではなく走れ、風を起せと激励したのです。
 皆さんいかがでしょうか、思いあたる節はありませんか。自ら風を起す。
「どうしても」という意志がなければ、何事も成就させることができないのです。
手をこまねいてボヤイテいては、何も解決はいたしません。
                 
 「アラスカで扇風機を売った男」がおりました。アラスカは、ご存知のように大変寒い国です。そんな寒いアラスカでは扇風機など無用のものかも知れません。

 アメリカのある家電販売会社が、かつて新製品の扇風機の拡販キャンペーンを行った。新規開拓を担当した販売4部は、今まで商品を流通させたことがなかったアラスカに販路を広げようと企画し、一部隊をアラスカに送り込んだ。
しかし、販売員たちは一台も売ることができず、根をあげて帰ってきた。
「だいたい、あんな所で扇風機を売るなんて無謀なんだ」
「部長の頭はおかしいんじゃないか。あいつが売ってみればいいんだ」
などと、口々に売れない愚痴を並びたてた。

 ところが、一人の販売員から「扇風機、売上好調」との報告が入った。
 その男は予定の販売台数の数倍の注文を受けて帰ってきた。
 不思議に思った同僚たちは、口を揃えて「どうやって売ったんだ」と質問を浴びせた。
 さて、皆さん、どうやって売ったと思われますか?

 アラスカでは涼を求める扇風機はいらなかった。その男はある事に気がついたのです。
 締め切った部屋の中に洗濯物が干されてあった。
「そうだ、扇風機を循環器として売ってみてはどうだろう」
 この発想は見事に的中したのです。部屋の温度をまんべんなく循環させることによって部屋中が暖かくなる。洗濯物も早く乾くだろう。こう気づいた彼は循環器としての話法展開を始めたのです。
 彼は「どうしても」売ろうという強い情熱があったのです。「どうしても」という情熱があれば、風の無い日でも凧を揚げることができるのであって、不況という中にあっても、保険離れという風潮にあっても、売上を伸ばすことができる人なのです。

 でも、闇雲に動いていても、効率が悪いもので、ここで皆さまに私が行っていた販売方法についてお話いたしましょう。私も成功した方法であり、セールスパーソンたちに指導して、大きな成果を生んだ方法でもあるのです。
 人の心というものは、浜辺に波が打ち寄せては引いて行くような、あの静かな反復作用に心地よさを覚えるものです。催眠術などにも電灯を左右に揺らして、それを見つめさせて催眠状態に誘導する方法もあります。そんな心理を応用したのが、潜在意識を動かす
「緊張緩和方式」の反復訪問という活動方法です。
 これは、第一次反復訪問と第二次反復訪問から構成されます。
 第一次反復訪問で、
Aのパターン 初回訪問で会った人を100%継続訪問する。再訪問の間隔を中1~2日おいて、定期的に5回ほど連続訪問を繰り返した。
Bのパターン 初回訪問で会った人を100%継続訪問するが、再訪問の間隔は1週間に1度とか、2週間に1度というふうに、不定期な間隔をあけて訪問した。
Cのパターン 初回訪問で会った人の中から、断られた人を除いて再訪問した。
       その訪問間隔は、自分の都合に合わせて気が向いたとき訪問した。

 この3パターンの結果は、
Aのパターンを守った人は、1ヶ月平均5件以上を確実に売り上げた。
Bのパターンの人は、1ヶ月平均2件ほどの成果を上げた。
Cのパターンの人は、1ヶ月無成績でおわり、時折、成果を出したが退職した。

第二次反復訪問は、Aのパターンで第一次反復訪問した後、成果として実ら
なかったお客を見込客リストに載せ、3ヶ月した後、再び第一次反復訪問のパターンで継続訪問を仕掛けることです。この第二次反復訪問でも成果が得られなかった場合、もう一度だけ、保留にして第三次反復訪問を行って見ます。その後、見込客リストから除外するかどうか検討してみるのです。

 とかく、一度訪問して断られたお客を「もうだめだ」と切り捨ててしまう人が多いのですが、それをやってはいけません。訪問したお客のリストを作って、訪問記録として管理しておかねばなりません。
 私はセールスの方々に強く訴えたのが「お客は決してセールスパーソンを見捨てない、セールスパーソンがお客を見捨ててしまう」と。

 ここにデータがあります。
■訪問を初回訪問で断念してしまう人・・・48%
■2回目訪問で断念してしまう人・・・30%
■3~4回目訪問で断念してしまう人・・・17%
■5回目以上継続して訪問する人・・・5%

 今日の市場情勢からいっても、成約に至るまで5回以上の訪問は必須条件であるはずなんですが、78%、約8割の人たちは2回目訪問ぐらいで「見込みがない」と、見捨ててしまうのです。ですから、わずか5%の根気づよいセールスパーソンに契約を持って行かれるというわけです。
 皆さんは是非、「緊張緩和方式」の反復をしっかりと、ご自分の活動方式として身につけられ、この僅かな5%の優秀なセールスパーソンの仲間入りを果たして欲しいものです。
 では次に、確実に目標件数を挙げていくための計画の立て方についてお話しましょう。

 民間生保のセールスパーソンの月売上目標は平均5件です。ですから、これに負けないためにも、皆さまも月5件以上は目標にして欲しいものです。
 月5件を達成させるためには、成約率を平均1/60として考えてみます。つまり、60人の見込客が無ければ1件の契約は挙がらないということにもなるわけです。では60人いれば確実に1件の成約が得られるかというと、そうわ問屋が卸さないわけで、1件60人をベースに考えると、つまり5件を成約する目標は、5×60人=300人以上の見込客をプールしておかねばなりません。見込客リストに300人以上保有されていなければならないのです。
 この300人の見込客を営業日数22日で均等にしてみると、300÷22日=13・6人、ま、14人というところでしょうか。1日14件訪問しなければならないのです。1日14件の訪問は結構しんどい活動です。ですから私たちは土曜・日曜・祝日も返上し、夜8時、9時になっても活動していたわけです。30日働けば1日10件程度の訪問となりますから、比較的消化しやすい結果となります。
 ところが、1日10件訪問でも大変です。仕事にはメンテナンスの仕事もあれば、時には、打ち合わせ会議もあるでしょう。新規契約活動だけではないので、これを最も効率的・効果的にする働きが、さきほど紹介した「緊張緩和方式」の活動ということになります。
 当初、7~8ヶ月ほどは、なかなか効果があがらないでしょう。それを諦めずにやり続けていると、1/60の確率が1/40、1/30の確率まで向上していきます。月産5件の計画でも月あたり150件ほど回れば良くなりますから、月22日として、1日7~8件の訪問となり、ゆとりのある活動となります。
 初めの7~8ヶ月を歯を食いしばって活動するかに、成功の鍵が隠されているのです。キーワードは「お客を見捨てない。5%の情熱と信念のあるセールスパーソンになる」ということです。

 では次に「緑」の色彩について話を進めてまいりましょう。
皆さんは、毎月お給料をいただいている職員の一員ですよね。では、いただいているお給料は、どこから毎月いただいているのでしょうか?
 私たちが働いているのは、お客さまあってのことです。どんな製品でも企画でも、サービスでも、それを買ってくれるお客がいなければ企業というのは存続できません。皆さま方でも例外ではありません。
 バブル全盛期の時代は、どのような企業でも、顧客が主役なんて誰も考えていませんでした。企業を創業した創業者たちは、一様に「顧客本位」をモットーとして、創業の精神を貫き成功させました。ところが世代も変わり、いつしか傲慢な企業精神が蔓延し、雪印、日本ハム、そして三菱自動車などに見るごとく、ゆがんだ企業家のために、顧客不在の企業経営がなされ、大きな信用を失うことになってしまいました。
 保険も例外ではなく、保険知識の乏しい顧客相手に、それこそ言いなりの販売を行い、強引、押し売り的な販売までしてしまったのです。そこには「お客さまは神様です。おかげさまで」などという感謝の精神なんてありませんでした。
「働いて手にするお給料は、お客さまから頂いている」。今日は、このような精神がないと、お客さまから見捨てられてしまいます。働いて手にするお金はお客さまからいただいている、というこの精神は、徳川吉宗の時代に民衆学者と言いましょうか、京都の呉服商に丁稚奉公として働き、苦労に苦労を重ねて、「石門心学」を築いた石田梅岩の「都鄙問答」(とひもんどう)の中に記されている言葉です。お給料をお客さまからいただいているという心からの感謝の気持がなければ、本当の意味での「顧客本位」「顧客が主役」という販売理念は生まれません。
 ここで顧客本位というテーマを明確にするために、皆さまに質問をしてみましょう。クイズを出しますので、考えてみてください。では問題です。

 「マンションの18階に住んでいる人が、下りるときは、18階から1階までエレベーターで真っ直ぐ下りていくのですが、上がるときは、いつも13階で下りて、残りの5階は階段を登っていくのです。これは一体なぜなのでしょうか?」
 
 「正解は幼い子供だったのです」
 下りるときは、エレベーターの1階のボタンは下の方に付いていますから、幼い子供でもボタンを押すことができるのですが、上がるときは、18階のボタンに手が届かない。仕方がないから精一杯背伸びをして13階のボタンを押すのです。後はそこで下りて階段を登って行くしか方法がないんです。
 さて、このクイズは何を言おうとしているのか、すでにお気づきの方もいらっしゃるでしょう。エレベーターを設計した人は、幼い子供も生活の中にいることなど考慮に入れていないのです。もちろん幼い子供が一人でエレベーターに乗ることの危険を考えてのことかもしれませんが、特に、障害をお持ちになる車椅子の方々への配慮もなされていない、団地のエレベーターを見ることがあります。
 これらは相手の立場、相手の生活に合わせて設計していないという事なのです。相手、つまりお客の立場に立つということは、エレベーターと子供の関係と同じことを意味しているのです。
 
 配慮の行き届くセールス、お客のライフステージに合わせて、ライフプランを作り、保障診断をして、最適な保険を提供しなければなりません。
 お客さまが必要としている生活保障は、大きく分けると3つになります。
(1) 家族生活資金
(2) 子供の教育・結婚資金
(3) 老後の生活資金
  この3大ニーズの中の「家族生活資金」について、少し触れておきますと、一口に家族生活資金と言っても、必要保障項目は次の3つに区分されます。
(1) 生活建直資金、(2)生活維持資金、(3)緊急予備資金の3つです。
(1) 生活建直資金は、年収の3年分。
(2) 生活維持資金は、年収の10年分。
(3) 緊急予備資金は、年収の1年分(病気・葬儀・クレジットの決済等)
 年収はどれくらい見積もるかということですが、勤労者の平均年収は約500万円、世帯平均年収でみると305万円というところです。
 ライフプランを設計されるときには欠かせないものになりますから、ご記憶なさってください。
 緑の色彩は「顧客本位」そのものであり、顧客のニーズに的確に応えてあげることに他ありません。このことは、つまりお客さまに「安心」を提供するということであるのです。

 緑の色彩の一つは「安心」を提供する。そして、もう一つは「納得」を提供することです。今日のお客さまは、この「納得」を最大限に評価します。私たちに強く求めているものであります。
 「納得」の最大のキーワードは「サービス」です。
 納得が行くまで懇切丁寧に説明してあげることも重要なサービスです。それから、お客さまが最も我々に求めているのが「すぐ対応してくれる」というサービスです。「売りっぱなし」「生返事の聞きぱなし」では、不親切だと非難されてしまいます。
 かつて、千葉県松戸市の市役所の窓口に「すぐやる課」という市民課ができてずいぶんと話題になりました。このときの市長がマツモト・キヨシさんでした。

 お客さまの不満は「ほったらかし」「後回し」にされている営業姿勢にあります。民間生保も、ようやくそのことに気付き、メンテナンス専門の部隊をつくり対応するようになりました。
 納得のキーワードは「買って安心、任せて安心、私はあなたの掛かりつけ、いつでもいかなる時でも、即時対応いたします。年中無休の方城です」。この精神です。まさしく、コンビニエンスの精神であって、お客さまと常に密着し、年中無休・24時間営業を心がけることです。
 ここで緑の色彩をまとめてみますと、「顧客本位」の方程式というのは、
「良い理念×よいサービス」ということであり、安心と納得を提供する真のサービスを積上げていくことであり、この安心と納得という信用と信頼の「預金口座」の残高を、お客さまの心の中に増やしていけば、お客さまはあなたに好意的となり、かけがえのない関係が築かれることでしょう。

 では、次に「青」の色彩についてお話しましょう。
 かの英雄ナポレオンは「人を動かすテコは恐怖と利益」である、と言っていました。
 保険セールスで言う「恐怖と利益」というのは、お客さまのニーズを発見し、「このままでは安心できませんよ」とアドバイスをしてあげることが善意の恐怖というもので、それをデータやライフプランによって理性的に示してあげる、つまりコンサルティングしてあげることが利益というものにつながります。
 恐怖と利益は「理性」と「感情」によって導いて行くことが販売の秘訣です。データやプランを示しながら、恐怖と利益をイメージさせていくのです。
イメージは色彩で言えばブルーと言えるでしょう。

 私が20代の頃、セールスが苦手で悩んでいる時でした。私の友人でセールスにかけては凄腕で、ブックローンの販売では常にトップの座を誇り、週刊誌にも「華麗なる独身貴族」というタイトルで紹介された男でした。
 その彼にセールスの秘訣を伝授してもらおうと、彼が当時住んでいた茨城県の水戸まではるばる訪ねて行ったのです。その頃、私は秋田県に赴任していました。一晩泊めてもらったのですが、彼は何も教えてはくれませんでした。
 アドバイスしてくれたのは「お前はもっとお客に断られて、お客の真の気持を理解することだ」と、この一言だったのです。つまり、失敗をたくさん経験しろ、失敗の中から発見があるのだという意味だったのです。苦手意識で、失敗を恐れ、地獄を味わうほどの苦労をしていない者に、アイディアなんか浮かぶものではないというのです。
 2日目の朝、彼はセールスに出かけるが、お前も一緒にくればいいと誘われ、同行することにしたのです。

 何軒か飛込みをした先に、タバコ屋がありました。
 ヤマちゃん、ヤマちやんというのは私のことです。
 やまちゃん、ちょっとタバコを買うわ、と言ってそのタバコ屋に寄りました。店番に、女の人が座っていました。
 彼は「おばちゃん、ハイライトちょうだい」と声をかけました。タバコを買うとすぐ立ち去るのかと思っていましたら、「おばちゃんがいつもお店番してるの、大変だね~」と話しかけたのでした。「おばちゃんは美人だから、タバコ屋の看板娘だね」
 すると女将さん、何だろね、この人はと思いながらも美人と言われたものだから「いやだね、もう若くないんだからね」と照れているのです。彼はその反応を見て取って、さらに声を掛けて「今日はいいお天気なのに、お店の中にいるのがもったいないくらいでしょう。お子様は幼稚園くらいですか」、すると女将さん「中学生と小学生の子供がいるんですよ」と返事をしてくれた。「イャー
そうなんですか、奥様があまりお若いので、小さなお子様かと思いましたよ」。女将さんだいぶご機嫌になったようでした。
 そして彼は、突然にこんな質問を浴びせたのです。
 「奥さん、どうして空は青いのでしょう」、藪から棒の質問に、女将さんはキョトンとしているのです。続け様に「どうしてお星さまは光るんでしょう、どうして海の水は塩辛いのでしょう? そうお子様から聞かれたら、奥さんどうお答えになりますか」。もうおばちゃんから奥様という言葉に変わっていました。女将さん黙って彼の顔を見てました。「何を言い出すのかね、この馬鹿は」なんて顔をしてました。
 「もし答えられたら凄いよね、お子様はきっと学校に行って、うちのお母さんは凄いんだぜ、博士みたいだぜって、得意になってお母様のことを自慢するでしょうね。そうなれたら素敵だと思いませんか。きっとお母さん、お子様にますます尊敬されますよ。奥さん、博士みたいになれる方法があるんです。お店番をしながら、お子様に凄いって言われるようになってみませんか」。

 それから会話のやりとりをしてましたが、その間10分も経たなかったでしょうか、目の玉が飛び出るような高価な大百科事典を、ものの見事に売ったのです。私は余りの手際良さに唖然としてしまいました。
 私にはとても真似ができないように思えましたが、秋田に帰る途中の汽車の中で、彼が使った話法イメージを、保険セールスに活かすことはできないものだろうかと、考えていたのです。成功の秘訣は商品を売るのではなく、イメージを売るのだと気がついたのです。

 現代の販売戦略に欠くことができないのが、パッケージデザインとキャッチコピーだと言われています。特に若者たちは、このパッケージとキャッチコピーをどうとらえるかと申しますと、「おしゃれ」とか「超おもれぇー」、「かわいい」、「かっこいい」、「ダサい」、「いけてるジャン」など、その商品を評価する傾向があります。商品の内容も当然追求される要素なんですが、商品の持つ本来の機能や中身に加え、まず「見た目」「言葉」のイメージに関心を示し、購買意欲を起すのです。その最たるものが、「青汁」のCMで、「まずい、もう一杯」、これのイメージで爆発的なヒット商品となりましたね。
 生命保険の場合は、商品が無形であるために、商品の持つ効用を納得してもらうためには、商品の特性である効用を、より鮮明にイメージさせてあげる事が、売上を伸ばす要因につながるのです。
 
 「蒲焼を売るな、その匂いを売れ」
あのニョロニョロとした蛇みたいな鰻を食べたくなりますか。嫌ですよね。第一気持悪いですよね。鰻の腹を割き、ミリン醤油をつけて炭火でパタパタと煽ぐ、絵にも言われぬうまそうな匂いが辺り一面にプーンと漂う。腹がググググと鳴ってくる。あの匂いに誘われて食べたくなるんですよね。その匂いが商品の一つになっているんです。

 商品そのものではなく、その商品から生まれ出てくる効用、つまり、安心、豊かさ、満足感、愛情をイメージさせるのです。
 イメージを別の角度から例えてみますと。
「今、あなたの妻が事故にあい、救急車で病院に担ぎこまれた」、知らせを聞いたあなたは息せき切って駆けつけた。まさに、あなたの妻は手術室に入ろうとしている。あなたは、先生をつかまえて何といいますか?
 「先生、妻は大丈夫でしょうか、何とか命だけは救ってください。命だけは・・・」、そう言うはずです。きっとそう言います。でも、先生が大変な守銭奴で金の亡者だったとしましょう。
 「う~~~ん、何とか努力はしてみるがね、これがかかるぞ、これが。金は大丈夫かね、金は」、そう冷たく言われたとしましょう。あなたならどうなさいますか? 
 「どうせ、口うるさい妻だし、先生チャンスだから、ほっといていただけますか」って言いますか。「お金なら何とかいたします、どうぞ命だけは救ってください」、こう言うはずです。それが人情ですよね、それが愛というものです。
 「妻の命が救われるのならば、お金なんか惜しくはない」
「何なにのためだったら」、この「何なにのためだったら」、つまり、「残された家族に辛い思いをさせないためだったら」、「可愛い子供のためだったら」「手術をして生きれるものだったら」「豊な老後が送れるものならば」、そういうイメージを描かせることが大切なのです。
 例えばこんなことです。
 私がセールスをしていた頃の名刺に、このような数字を印刷しておりました。
「あなたにとって大切なヒント1095」
 何の数字だかお分かりになるでしょうか?
 初めてお目にかかるお客様に、名刺を差し出して、方城でございます。宜しくお願いします。そして、やんわりと「これ何の数字だかお分かりになりますか?」と尋ねるのです。
 失礼ですが佐藤さん、チョッとその辺でお昼の食事をされるときに、いくらぐらいの物を召し上がられますか? と尋ねることにしていたのです。
 今ですと、700~800円というところでしょうか。朝食は100円か200円、夕食は贅沢したり質素にしたり。
 おおよそ、1食あたり500円としてみましょう。そうしますと、ちょっとこちらをご覧ください、といって電卓を出します。
 500円で3食ですから1500円になりますね。365日食べますから、1500円×365日で547、500円となります。これを20年間食べるとして、20年×547、500円で1095万円になってしまうです。一般的に残される家族3人の食費は、この3倍ですから、3285万円ということになります。一家の大黒柱として、せめて家族が飢えをしのぐだけの保障は最低でも必要なのではありませんか。それにお子様の養育費、教育費、結婚資金、加えて日々の生活の諸々の費用を考えますと、ざっと8000万円は必要になります。
 佐藤様の責任として、お子様にひもじい思いをさせない「お母さん、お腹すいたよ~~」って、泣きじゃくるお子様の姿を思い浮かべてみてください。そんな可愛そうな事を想像れるだけでも、背筋が寒くなられるのではありませんか。そんなお子様がふびんだと思われるのでしたら、私に佐藤さんのライフプランを是非設計させていただけませんか。
 
 1枚の名刺から、ニーズを掘り起こし、ニーズを喚起していく、イメージ手法をとったわけです。名刺から印象を高め、訪問を重ねることによって随分と売れました。
 1枚の名刺から、夢の花咲く事があるかもしれません。
 
 これから街を歩いている時、信号機を見られましたら、赤は止まれではなく、「アッ、情熱だ信念だ」、「緑」でしら「安心だ、納得だ、サービスだ」と言い聞かせ、また青空を仰いでは「イメージだ、蒲焼だ」と思い起してください。きっと素晴らしい自己啓発になることでしょう。

 さて、時間が気になる頃になってまいりましたが、最後にプレゼンテーション5つの基本法則を、かいつまんでお話しておきましょう。
(1)蒲焼を売るな、その匂いを売れ 
さきほども申し上げましたように、一般的な顧客ニーズ「何々のためだったら」というイメージを描かせながら保険設計書・プランの説明をすることです。どんな優秀な商品でも先に値札を見せられたら、尻込みされてしまうことがあります。十分に保険の必要性をイメージさせてから、具体的な詰めに入りましょう。

(2)花を添えて話せ
  花という意味は資料やデータを示しながら、表情、言葉づかい、ジェスチャーをまじえて話せということです。人の話はなかなか記憶に残りにくいものですが、印象というイメージの残存率は70%もあるとのことです。あなたの印象と同時に、あなたが何を話したかという印象を相手の脳裏にしっかりと残すことが大切です。そのためには、資料などを提示しながら、あなた自身を鮮明に記憶させることです。そういう意味ではセールスパーソンというのは演出者であり役者であらねばならないのです。
  駅のホームでとても好みにあった女性に出会った。お付き合いしたいと思った。そこで勇気をもって女性の前に進み、「私、○○大学を出て、一流会社に勤めてます。給料は○○円頂いていて、人柄はヨン様みたいに優しくて、食べ物はピーマンが嫌いです。お付き合いしてください」、なんて言ったら、「あんたアホとチャウカ」ってバカにされてしまいますよね。やはり、冬のソナタみたいな雰囲気づくりが必要で、その雰囲気づくりを行うと、お客の心をとらえることができるものです。

(3)同意を求める
  さきほど1枚の名刺の話のところで触れましたが、ニーズ話法のキーポイントになるところで必ず同意を求めます。人はプラスイメージを積み重ねていくと、不思議に前向きになるものです。お客さまに「イエス」「イエス」という同意を求めるような話法を展開していくのです。
 例えば、お客さんが「保険は嫌いだ」と言って断ったとしましょう。これに対しては反論さけます。
 「ごもっともなことですね。保険が好きと言われるお客さまがおりましたら、私どもも警戒してしまいます。ところで鈴木さまはお嬢様がいらっしゃいましたね。おいくつになられます」「4歳だよ」「そうですか、可愛いさかりですね」、お客「イエス」、「お子様のすこやかなご成長は親の願いですよね」、お客「イエス」、「お子様がご立派に成人なさるまで、お父様、元気で頑張らなくてはなりませんね」、お客「イエス」、「お父様にもし万一のことがあって、可愛いお嬢様に辛い思いをさせたくはありませんよね」、お客「イエス」。「それが親心というものでしょうね。可愛いお嬢様に辛い思いをさせないためには、保険は必要ことだと思われませんか」。お客「必要だねー」。
 保険は嫌いだと言っていたお客さまが、「イエス」という言葉を引き出しながら話を進めていくと、「嫌い」が「必要だ」という気持に変化させてしまう効果があるんです。これを私流に「イメージ誘導法による同意話法」と称しています。どうぞご研究してみてください。

(4)アナウンサーになるな―インタビュアになれ
  同意を求めるで触れましたように、簡単な質問しながらこちらのペースに引き込んでいくことが大切です。保険パンフレットや生活設計プランに書かれてあることに沿って、間違いなく説明していくのはラジオのアナウンサーみたいなもので、お客さまには馬耳東風、心に留めることができません。的確でソフトな質問を投げかけながら、ステップ方式で、あるいはチャート方式で話を展開していくことが望ましいのです。喋り過ぎず、その場を盛り上げるインタビューアとなってプレゼンテーションをしてみましょう。

(5)笑顔で接する
  人は元来、明るくて快活な人を好むものです。陰気で死神にでも取りつかれたような人には近づきたくないものです。笑顔はセールスそのもの、いわゆる人間関係づくりに絶大な効果を発揮させてくれます。
「元手がいらない、しかも利益は膨大、与えても減らず、与えられた者は豊になる。家庭には幸せを、商売には善意をもたらす。それは笑顔です」
 良い笑顔をつくるには、口の両端の広角筋を耳のほうに、ニィーッと引き上げます。それだけでいい笑顔になります。現代の笑顔は「ラッキー」の笑顔です。「チーズ」は明治時代の笑顔ですよ。毎日、鏡を見られ、ニコニコトレーニングをしましょう。ヨン様の笑顔をお客さまに向けてあげましょう。

 いかがでしたでしょうか、足早に話してまいりましたが、ご理解していただけたでしょうか。なるほどと感じられるところがありましたら、実行に移して試してみてください。解ったと納得しても、毎日歯を磨くように、心構えも磨かなければ身につくものではありません。
 「私はやる、私はやる、私はやる、私はできる」毎朝、毎朝、毎朝、毎朝、毎朝、心に言って聞かせましょう。あなたはきっとその通りになります。毎月、毎月ゼロから始まる営業成績、毎日、毎日、毎日、コツ、コツ、コツ、コツ、コツ、コツと努力しない者は、決して勝利者にはなれません。心に気力を持って「お客のためだ強くなれ」、今やるべきことを今やり、戦わねば脱落者になるだけです。積極的に前向きに、今、何をすべきか、今から始まるチャンスを一瞬たりとも疎かにせず、一瞬懸命に「よし!やろう」、その決意で初動を開始しよう。
 
 そろそろ時間がまいりました。ご清聴ありがとうございました。

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「菅原天満宮」(すがわらてんまんぐう)

2012年01月14日 07時49分29秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 創建の由緒は不詳であるが、平城宮跡の東側、菅原の地に鎮座する延喜式内社で、祭神として天穂日命(あめのほひのみこと)、野見宿弥(のみのすくね)、菅原道真(すがわらみちざね)の3神を祀る。当社の略記によれば、天穂日命は野見宿弥の始祖のとされ、菅原道真は野見宿弥の17世の子孫とのことであり、この菅原の地は土師氏(野見宿弥が垂仁天皇より賜った姓)の本拠地で、「菅原」という地名は平城京が造成される以前より存在し、元明天皇が和銅元年(708)9月藤原京からこの地に行幸し、平城宮予定地を視察している。

 当社は菅家発祥及び生誕の地といわれ、菅原道真ゆかりの神社として、終焉の地「太宰府天満宮」と京都「北野天満宮」の3宮を最も重要な神社として位置づけているが、全国にある天満宮と比較してもその規模は小さい。

 当地は菅原道真の生誕の地であるとの伝承があり、「道真の母が菅原氏の本拠であるこの地に戻って道真を出産した」と伝えられている。神社の東東100mの所にある池(現在は「誕生池」と呼ばれる)の水を産湯に使ったとも伝わる。

 「大和志」も「今称天神」と記し、現在でも「菅原の天神さん」と呼ばれている。社伝によると、文亀年間(1501-04)には兵火、元禄年間(1688-1704)火災にあう。一条院宮真敬法親王の命で寛保年間(1741-44)に再建されたというが、現社殿は菅公千年祭を祈念して修復したものである。平成14年(2002)、それまでの菅原神社から菅原天満宮に改称した。

 社宝に室町時代の絹本着色渡宋天神像があり、賛は京都東福寺・南禅寺に歴住した愚極礼才(ぐごくれいさい)の筆という。
 毎年2月25日に「おんだ祭」(お田植え祭)が催される。翁が田の雑草を引き抜き、牛を使って田を耕し、耕した田をならし、田に種まきをし、田に肥しを撒き、田を見まわして終わるもので、翁の滑稽な仕草と、牛(毎年中学生が演技)と翁の掛け合いと、若い牛の引っ張りについて行けない翁の動作など、滑稽な演技が面白い。
 また、毎年春分の日に筆供養が行われ、多くの筆が納められ賑わう。

 所在地:奈良市菅原町518。
 交通:近鉄奈良線西大寺下車、徒歩すぐ。
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「薬師寺休ヶ岡八幡宮」(やくしじやすがおかはちまんぐう)

2012年01月10日 07時04分35秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 薬師寺の南大門を出たところに薬師寺休ヶ岡八幡宮がある。当社は寛平時代(889~897)に、栄紹大法師が薬師寺の鎮守として大分県宇佐から現在地に勧請したものと言われている。
 現在の社殿(重文)は、幾度となく天災や兵火により破壊・焼失したが、さの後、慶長8年(1603)に豊臣秀頼によって再建された。他に瑞垣門・楼門・中門等も新造されたが地震で崩壊した。

 本殿は三軒社流造で、ご神体である木造三神像(国宝)の僧形八幡神像、神功皇后像、中津姫命像が祀られ、特に僧形八幡神像は僧の姿をした八幡神としては日本最古のものとされている。
 本殿の両脇に脇殿が連なっており、十九明神の板絵(宝蔵殿に安置)が祀られている。また南北の細長い建物は座小屋と呼ばれ寺僧の加行場としても使用されたが、本来は古くから存在した宮座の座衆が座すところで、明治以後残っている例は少ないという。また両脇に脇殿が付属する社殿も少なく、さらに座小屋まで残っている点で歴史的に重要な建物とされている。なお、春には参道の桜並木が美しいという。

 所在地:奈良市西の京町(薬師寺南問の南に鎮座)
 交通:JR奈良駅六条山行バス18分、薬師寺下車すぐ。近鉄西の京駅下車すぐ。
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